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不死の子供たち  作者: パウロ・ハタナカ
第十九部

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962/969

962 01〈ミスト〉


 相模湾に出て、伊豆大島、八丈島を南に飛び、小笠原諸島付近に差しかかるまでは、天候は穏やかだった。上空数千メートル、輸送機のコクピットから見える太平洋は硬質な群青を保ち、水平線は鋭く引かれている。


 太平洋特有の乾いた風が輸送機の外殻を撫で、雲は薄く、陽光は鋭い。けれど、その穏やかさは目的地に近づくにつれて急速に失われていった。


 浮遊島〈デジマ〉――異星生物の生存環境を再現するため海上に建造された巨大人工構造体は、周囲の大気を恒常的に改変している。島に設置された環境制御炉が海水を霧状の粒子に変化させ、成層圏近くまで達する上昇気流を形成していた。すでに資料で読んでいたが、実際にそれは周囲の気象を歪めるほどの特異な環境を生み出していた。


 浮島の外縁に入った瞬間、外気温は急降下し、一気に見通しが悪くなる。機体前方は白濁し、視界は数十メートルにまで縮まる。霧は単なる水滴の集合というより、極端に均質化された微粒子層のようで、高度計の表示も不安定になる。


 日の光は散乱し、エンジン音は厚い布に包まれたように鈍る。遠方で航空障害灯がわずかに明滅しているのが確認できたが、上空も同様の霧層に閉ざされ、位置情報の取得すら困難になる。


 そのせいで輸送機は予定していた着陸地点を避けて、コンテナターミナルから大きく外れた場所に着陸せざるを得なかった。安全域を外れると手動制御に切り替え、〈AIエージェント〉に補佐してもらいながら飛行する。


 地表に連なる高層建築群は異星生物のために設計されたもので、人間の尺度では理解しづらい曲線と高低差が続いている。この霧の中での着陸は危険だったが、他に選択肢はなかった。


 開けた公園を見つけると、慎重に機体を降ろしていく。接地と同時にランディングギアが濡れた地表にわずかに沈み込む。エンジンを停止し、搭乗員ハッチを開くと、冷えた空気が機内に流れ込んできた。肺に触れる湿度は重く、霧は肌にまとわりつく。


 綺麗に刈り揃えられた芝生の上に立つと、身体を伸ばすようにストレッチしながら、拡張現実で立体的な地図を投影する。視界に重ねながら周囲の地形を確認していると、兵員輸送用コンテナからハクが姿を見せる。


 ハクは、軽自動車ほどの体躯を持つ大蜘蛛に似た〈深淵の娘〉で、全身を覆う白い体毛は霧を受けて淡く濡れていた。彼女は長い脚でそっと地面を確かめ、その大きな八つの眼で周囲の様子を慎重に探っている。


 その背には、幼い子どもほどの体高を持つ昆虫種族〈ジュジュ〉がちょこんと座り込んでいる。外骨格を覆う体毛は鈍い金色を帯び、どこかぬいぐるみを思わせる可愛らしさがある。その小柄な昆虫種族は、胸に抱えた鉢植えを大切そうに支えていた。


 苗は淡い燐光を放つように絶えず発光していた。発光は周期性を持ち、一定のリズムで強弱を繰り返している。それは単なる生物発光ではなく、生体電位の変動や細胞内の代謝に同期したフォトン放出――神経に類似した伝達網に基づくものなのだろう。


 親体から切り離された子株であるためか、周囲の霧に向けて微弱な信号を放っているように見える。霧中の微粒子が光を散乱させ、苗の周囲にごく薄い光環(こうかん)を形成していた。本能的に、親体が近くにいることを感じ取っているのかもしれない。


 未知の異星植物〈アスィミラ〉は、地球生物とは異なる情報伝達機構を有していた。ペパーミント(いわ)く、化学物質でも電磁波でもなく、細胞間に形成された量子的相関を利用して情報を共有している可能性があるという。ただ、それには一定期間ごとに親体と〝同期〟を行わなければ生理機能が不安定化することが確認されていた。


 今回、我々が太平洋上を二時間ほどかけて飛来した目的は、この子株を一時的に親体へ再接続し、これまで蓄積された記憶、ある種の生体情報を共有させることだった。未知の異星植物である以上、まだ分からないことだらけだが、生体ネットワークの再構築に必要なプロセスなのだという。


 そして今回の訪問には、もうひとつ重要な目的があった。浮遊島〈デジマ〉に設置された〈転移門〉――各拠点と浮島を結ぶ空間転移装置が、原因不明のエラーによって稼働不能になっていた。


 物資輸送や浮島の調査を効率化するための重要なインフラだが、現在は完全に沈黙している。〈転移門〉の停止は、島の維持管理だけでなく、〈アスィミラ〉との連携にも深刻な影響を及ぼしていた。


 そのため、今回はペパーミントが同行してくれていた。直接の整備が必要になる可能性があったので、前回のように意識だけを転送した機械人形ではなく、本人が同行してくれていた。


〈人造人間〉でもあるペパーミントは、外見だけを見れば人間とほとんど変わらない。けれど彼女には〝人間らしさ〟とは別種の、どこか現実から浮いたような雰囲気があった。職人の手で精密に彫り上げられた彫像のような美しさも、そのひとつだ。自然の不完全さを欠いた完全性ゆえに、彼女の造形は逆にわずかな違和感を生み出している。


 均整の取れた顔立ち、滑らかな肌、わずかな表情の変化すら計算されたような美が感じられた。それらすべてが、彼女が〝人間ではない〟という事実を主張していた。


 その完璧な美しさを備えた女性は、青い眸で私を見つめる。時間すら止めるような視線に射抜かれて動揺しない人間はいない。人に恋をするには〝文脈〟が必要だと多くの人間は考えているだろうが、それは間違いだ。本物の美は、あらゆる種類の人間を虜にするものだ。


 ペパーミントを見つめすぎたせいなのかもしれない。彼女はわずかに首をかしげ、それから照れくさそうに微笑んでみせた。それが意図した表情なら、おそらく彼女は目的を達したに違いない。けれど、いつまでも見惚れているわけにはいかない。彼女と一緒に装備を点検していく。


 彼女が身に着けているのは、いつもの作業用ツナギではなく、身体の線がハッキリと出ている黒い半透明のスキンスーツだった。炭素系導電繊維と人工筋束を編み込んだ生体適応型スーツで、体温調整や筋力補助、神経反応の高速化などを目的とし、ペパーミントの動きや身体情報と同期するよう設計されている。


 どこか艶めかしい外見の美しさとは裏腹に、極めて実用的で、戦闘にも耐えうる装備だった。その上から重ねられた戦闘服は、耐熱アラミド繊維と複合セラミックプレートを組み合わせた軽量仕様で、布地の表層には耐薬品コーティングが施され、酸性霧や微生物汚染に対する防御性能を備えている。


 関節部は可動域を妨げない多層構造で、衝撃吸収ゲルが内蔵されていた。脇腹と脊柱部には分散型バッテリーパックが配置され、スーツと外部機器への電力供給を担っている。重量は見た目より軽いが、機能は過剰なほどに実戦向けになっていた。


 彼女が装着していたガスマスクも特殊なものだった。顔を覆うフェイスプレートは複雑な開閉機構を持ち、開いた状態でも薄膜状のシールドが顔面を保護する。このシールドは微細な粒子を弾き、細菌や汚染物質を遮断するためのものだ。視界にはヘッドアップ表示が重ねられ、環境情報や戦術データがリアルタイムで投影されていた。


 私は彼女の装備接続ポートを確認し、スーツと情報端末の同期状態を照合していく。それから電力残量と自己診断ログも忘れず確認していく。幸い、すべて正常範囲内だった。出発前にも確認していたが、用心に越したことはない。


 装備に問題がないことを確認すると、我々は〈転移門〉の状態を調査するため、設置場所に向かうことにした。


 ハクとジュジュに声をかけたあと、視界に投影された移動経路を確認する。カグヤが転送してくれたルートは、青い矢印として深い霧の奥へと伸びている。拡張現実で投影されているにも関わらず、その光は霧に吸い込まれるように揺らぎ、未知の領域へ誘う標識のように見えた。


 公園を抜けて市街地に出た瞬間、霧の向こうに高層建築群の輪郭が見えた。重力に逆らうように聳えるその姿は、ブルータリズム建築の理念を極端化したかのようにさえ見える。巨大なコンクリート塊が互いに噛み合い、支え合うというよりは、圧迫し合いながら積層していた。


 窓は最小限に抑えられ、開口部は深く抉られた陰となっている。造形的に見れば合理性を持つはずの直線が、視界の端でわずかに湾曲しているように見えた。


 けれど、ただの人工物ではなかった。霧の中でその輪郭はわずかに動いているように見え、視界の端で形が変わるような錯覚すら抱かせる。建物の形状は統一性を欠いていた。直線と平面を基調とした機能主義的な建物がある一方で、有機的な曲面が絡み合い、外壁が波打つように隆起した構造体も並んでいる。


 後者は自己修復型複合材で覆われ、表面に走る微細な亀裂の痕が見える。まるで人工物と生体組織の境界が曖昧になっているようだ。設計思想が複数混在しているというより、島そのものが独自の形態進化を始めた結果のようにさえ思えた。


 外壁は深緑色で、洞窟の岩壁のように粗く、冷たさを感じさせる質感だった。霧に覆われているせいで、表面は常に濡れているように見える。近づくほどに、湿った石の匂いと、どこか鉄錆に似た金属臭が混じり合い、この場所が異常だと強く意識させた。


 視線を上げると、建物の外壁から無数の管が突き出しているのが見えた。配管の大きさは一定せず、太いものは人の胴ほどもあり、細いものは指先ほどしかない。それらは建物全体に張り巡らされ、周期的に膨張と収縮を繰り返している。まるで血管のように脈打ち、時折、間欠泉のように蒸気を勢いよく吐き出していた。


 内部を流れるのは蒸気か、あるいは霧化された海水だろうか。圧力弁が開くたびに白い噴出が生じ、周囲の霧と混ざり合って視界をさらに悪くする。その放出間隔は完全な規則性を持たず、微妙な揺らぎを含んでいる。あるいは、呼吸のようなリズムだ。


 蒸気は単なる排気ではなく、微量の有機化合物が混在しているのか、ガスマスク越しでもわずかな刺激臭を感じる。建物全体が巨大なポンプの役割を果たし、島内部の環境を循環させているのだと理解しても、その規模は人間の尺度を超えていた。まるで都市そのものが一個の臓器であり、我々はその内部を歩いている小人のようだ。


 その霧の奥で、何かの影が横切った気がした。けれど輪郭は定まらない。建物の一部が動いたのか、管が収縮しただけなのか、それとも観測者である我々の認知が歪められているのか判断できない。


 拡張現実の地図は正確なはずだが、現実の空間と微妙に噛み合わない瞬間がある。距離感が一拍遅れて補正され、足元の感覚と視覚情報がわずかにずれる。そのずれが積み重なれば、いずれ方向感覚は失われてしまうだろう。


〈デジマ〉の市街地は、合理的な環境制御都市として設計されていた。しかし管理者不在のまま放置された都市は、今や設計者の意図から大きく逸脱した姿へと変貌していた。


 人工物でありながら、人間の理解を拒む何かが内部で循環している。霧は光を吸い込み、音を減衰させ、存在の輪郭を曖昧にする。その不気味な静寂の中を、我々はただ前へ進むしかなかった。


 その光景に心細くなったのだろう。ペパーミントが小さな昆虫種族を抱き上げると、ジュジュは猫のようにゴロゴロと喉を鳴らした。

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