941 38〈歩兵〉
隔壁を越えて倉庫に足を踏み入れると同時に、〈レギオン〉の兵士たちが設置していたバリケードに身を隠す。鋼板と複合樹脂を重ねた遮蔽物に銃弾が叩きつけられ、振動が装甲越しに背中に伝わる。ほとんど無意識に重心を落とし、ハクに狙撃手の排除を頼む。
倉庫上部の棚やクレーン軌道には、〈光学迷彩〉を備えたポンチョを身に着けた狙撃手が多数潜んでいた。呼吸と体温抑制によって存在感は極限まで薄れ、通常のセンサーでは輪郭すら捉えられない。けれどそれは、ハクにとって障害にならない。
〈深淵の娘〉特有の感覚――生体反応の微細な揺らぎ、空気密度の相違、音にならない微かな振動。それらを統合して標的を見つけ出すことのできる彼女にとって、完全な静止はむしろ違和感として浮かび上がる。
さらにハクの体毛に備わる攪乱特性により、電磁、光学といった各種センサーでも彼女の姿を捉えることはできない。視覚的にも倉庫の暗がりに溶け込み、まるで暗闇そのものが移動しているかのように歪んで見えた。
ハクが狙撃手を追い詰めている間、私は遮蔽物から身を乗り出すことなく〈自動追尾弾〉でサイボーグ兵を牽制していく。すでにタグ付けされた標的に対しては、銃口を向けるだけで弾丸が軌道を修正し正確に飛んでいく。だから銃身だけを突き出すような格好で、最小限の露出で射撃を続けられた。
異変が起きたのは、ちょうどその時だった。拡張現実に無数の警告が表示され、内耳に短い警告音が鳴り響く。
直後、連続した爆発が起こり、凄まじい衝撃がバリケードを粉砕した。破片とともに私は宙へと弾き飛ばされ、何度も地面に叩きつけられる。幸い〈ハガネ〉の装甲が衝撃を吸収してくれたおかげで、致命的な怪我は負わなかった。
ひどい耳鳴りのなか、視界は赤い警告表示で埋め尽くされる。
『レイ、気をつけて。教団兵の増援は対戦車用のロケットランチャーで武装してる』
カグヤの偵察ドローンから送られたスキャン情報が視界に重なり、複数の敵影が携帯式対戦車兵器を構えているのが確認できた。小火器では〈ハガネ〉の装甲を突破できないと判断し、より強力な兵器と成形炸薬を投入してきたのだろう。
シールドの出力を引き上げ、続く爆発をなんとか耐えしのぐ。ロケット弾が直撃するたび、エネルギーフィールドの表面が波打ち、光が不安定に揺らいでいた。限界が近い。
すぐに近くの遮蔽物に転がり込むと、姿勢を低くしてシールドの出力を安定させる。倉庫に並ぶ棚が揺れ、大量のコンテナから粉塵が舞い上がる。敵は火力を増し、こちらの進行を完全に止めるつもりだ。
ハクのタクティカルゴーグルを介して狙撃手の大半が排除されたことを確認すると、私は遮蔽物から身を乗り出して射撃を再開した。けれど、その瞬間を狙ったかのように複数のロケット弾が飛来する。
〈ハガネ〉の複合センサーが即座に軌道を解析し、回避行動を促す警告を次々と表示してくれたおかげで直撃は避けられたものの、数が多すぎた。爆風と衝撃波が遮蔽物を吹き飛ばし、金属棚が軋む。
通路側の敵を掃討し終えたカグヤは、〈セントリーガン〉との接続を遮断し、ドローンを倉庫内の制御コンソールにアクセスさせる。つぎの瞬間、天井に格納されていたピッキングドローンが一斉に起動し、滑らかな軌道で飛び出した。
彼女の制御は精密で、ロケット弾の発射と同時にドローンを衝突コースへと誘導していく。やがて衝突が起こり、倉庫内の空気が震え、衝撃波が棚の間を駆け抜けた。
ミサイル防衛に例えられる〝弾丸で弾丸を撃ち落とす〟行為は、理論上こそ可能でも実行は極めて困難だった。しかしカグヤは遠隔操作で見事にそれを成し遂げ、ロケット弾の多くを発射直後に次々と空中で爆発させていった。
爆散した破片が四方八方に飛び散り、近くにいた兵士たちが次々と戦闘不能になっていく。その混乱の中で、これまでとは異なる気配が倉庫の奥から迫ってきた。
最初に視界が捉えたのは、その異様な巨体だった。作業用パワードスーツを着込んだ戦闘員かと思ったが、背丈が二メートルを優に超える大男で、薄い若草色の皮膚を持つ兵士だった。
筋肉質な身体を覆う強化外骨格と装甲が重厚な輪郭を形作り、まるで重武装の機械人形が歩み寄ってくるかのような迫力がある。
驚くべきは、その身体能力だった。金属と肉が不自然に融合したサイボーグ兵とは異なり、彼の動きには洗練された滑らかさがあった。重装備にもかかわらず足音は抑えられ、動作に無駄がない。まるで戦闘そのものが身体に刻み込まれているかのようだ。
『あれは……宇宙軍が兵士に提供していた戦闘用の肉体?』
困惑するカグヤの声が聞こえた。
『……でも、どうして宇宙軍の備品が防衛軍の倉庫に保管されてるの?』
カグヤの疑問に答える余裕はなかった。大男が構えた重機関銃が火を噴き、倉庫内の棚を次々と貫通していく。私は金属棚の間を駆け抜け、射線から逃れた。
背後で鉄板が弾け、粉塵が舞い上がる。倉庫の巨大な空間が、ひとりの兵士の火力によって狭まっていく。この戦闘員は、これまでの〈レギオン〉の兵とは明らかに格が違う。
旧文明期、宇宙軍に志願した兵士には、宇宙空間での長期任務や極限環境に耐えるため、個人の遺伝子情報を基に最適化された肉体が支給されていた。それは単なる強化手術ではなく、出生後に獲得した身体を一度〝設計し直す〟行為に近かった。
骨格は高密度化され、微細な格子構造を持つことで強度と柔軟性を両立し、筋繊維は生体素材と人工繊維の複合体へと置き換えられていた。
神経系にも大規模な改変が施され、人類の限界値を大きく超えていた。反射速度の向上により、身体はほぼ自律的に最適な動作を選択する。重力の変化や慣性に対する補正も神経反射の段階で行われ、宇宙船の急制動や無重力下での戦闘でも動作精度は落ちなかった。
呼吸器と循環器も宇宙環境に適応するため再設計されていた。肺胞は多層化され、血中のヘモグロビンが酸素と二酸化炭素を効率的に交換する。さらに皮膚には葉緑体由来の細胞器官が組み込まれ、微弱な光と二酸化炭素、水分から最低限のエネルギーと酸素を生成する機構を備えていた。
初期の世代ではその影響が顕著で、肌は若草色を帯びていたが、改良が進むにつれ色素は抑制され、最終的には灰色がかった白練色へと収束していった。
その肌色の変化は、人工血液の改良とも深く関係していた。血液中には常時稼働するナノマシンが含まれ、放射線による損傷、未知の病原体、毒素を分解し隔離する。微細な裂傷や内出血であれば戦闘中でも修復が進み、痛覚信号は必要に応じて抑制される。宇宙軍兵士の肉体は、外見こそ生身に近いが、実態は高度に自己修復する半人工構造体だった。
つまり、目の前の大男――戦闘員の意識が転送されたこの身体は、旧式とはいえ宇宙軍で正式採用されていた強化兵士の肉体そのものだった。設計思想も素材も、教団が推進していたサイボーグ兵とは根本的に異なる。
「地球防衛軍が技術解析用に手に入れていた試験体が、この倉庫のどこかに保管されていたのかもしれない……」
倒れていた兵士の傍らに転がっていた携帯式対戦車兵器を拾い上げ、そのままコンテナの陰に滑り込む。カグヤのドローンから受信した映像には、薄緑の肌を持つ大男がこちらに向かってくる姿が映し出されていた。
強化外骨格と重装備を身につけているにもかかわらず、その速度は常識を逸していた。その戦闘員の移動経路を見極めながらロケット弾を撃ち込んだが、大男は腕に装着した見慣れない装置を起動し、瞬時に鋼鉄製の大楯を形成して防御してみせた。
多結晶合成素材を用いた装備なのだろう。衝撃で楯は砕け散ったが、彼自身は一歩も退かず、損傷の兆候すら見せない。肉体だけでなく装備にも旧文明の技術が多数使われている。その事実が、この戦いをさらに複雑にしていた。
大男は砕けた楯の残骸を踏み越え、重機関銃を構え直す。銃口がこちらに向けられた瞬間、倉庫の空気が張り詰めていくのを肌で感じた。
私はコンテナの陰を離れ、棚の間を縫うように駆けていく。背後では金属が裂ける音が連続し、弾丸が棚を削り取っていく。倉庫という閉鎖空間が、彼の火力によって圧倒的な殺傷領域へと変貌していた。
弾頭には旧文明期由来の高密度鋼材が使用されているのだろう。銃弾は赤熱する弾痕を残しながらコンテナを次々と貫通していく。
多層複合装甲が用いられた保管用コンテナが紙のように裂け、内部に封じられていた空気が圧縮されて噴き出す。その銃弾が手足に直撃するたびに衝撃は散らされるが、〈ハガネ〉のシールドをもってしても、いつまでも耐えられる攻撃ではなかった。
しかし、器がどれほど優れていようと、そこに転送された意識まで優れているとは限らない。狙撃手を排除し終えたハクは、こちらに気を取られていた兵士の背後に影のように忍び寄った。宇宙軍仕様の感覚器官は、空間感覚を失いやすい宇宙での戦闘に最適化されていたが、それでもハクの接近には気づけなかった。
ハクの蹴りが背中に叩き込まれると、兵士の身体は質量を無視したかのように吹き飛び、棚や支柱に手足を打ち付けながら床を転がる。皮膚の下ではナノマシンが活性化し、裂けた皮膚と血管が急速に縫合されていくのが見えた。人工血液が粘性を増し、致命傷を防ぐために凝固していく様子も確認できたが、その隙を見逃すほど甘くはない。
すかさずハンドガンを構え、躊躇いなく引き金を引いた。頭部に撃ち込まれた弾丸が頭蓋を破壊し、制御中枢を物理的に断ち切る。その肉体は驚異的な再生能力を誇るが、頭部を失ってはどうすることもできない。
衝撃で頭部が跳ね上がり、脳漿が背後のコンテナに飛散する。構わず数発の銃弾を撃ち込み、確実に止めを刺した。旧文明の叡智で造られた肉体は、なおも傷口の修復を試みていたが、意識を失った身体はやがて活動を停止する。
直後、内耳に警告音が鳴り響く。視界に投影された警告に従って背後を振り返ると、重機関銃を手にした別の兵士がこちらに銃口を向けているのが見えた。どうやら、この倉庫に保管されていた宇宙軍兵士の肉体はひとつだけではなかったらしい。







