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地下の〈販売所〉へ続く入り口は地味で、これといった特徴のない場所だった。灰色の四角い建造物が地面に半ば沈むように置かれ、装飾はもちろん、警告の看板すら存在しない。
旧文明期以前の〈地下埋設型避難施設〉を流用したものなのだろう。武骨なコンクリートと無機質な金属の組み合わせは、耐久性だけを追い求めた結果であり、都市景観への配慮はまったく感じられない。けれど、現在の荒廃した景観には不思議と溶け込んでいるように見えた。
すぐ近くには旧文明の遺物――〈電波塔〉が聳えている。高さ四十メートルほどの円柱が空に向かって突き出し、その外装は深い紺色の鋼材に覆われ、光の角度によっては金属光沢が微かに揺らめいて見えた。
旧文明の特殊鋼材で作られた構造体は、途方もない年月を風雪に晒されても傷ひとつない。周囲の建造物が朽ち果て、腐り落ち、機能を失っているのに対し、この塔だけが異様なまでに健在で、この都市が辿った退廃とは別の時間軸に存在しているかのようにさえ思えた。
〈販売所〉の入り口には、以前は存在しなかった装甲板で補強されたバリケードが並べられていた。軍用規格の障壁が段階的に層を成し、侵入者を拒むように立ちはだかっている。デザートタンに染められた装甲表面には、打痕や擦り傷が無数に刻まれ、幾度となく戦闘に晒されてきたことを物語っていた。
そのバリケードの隙間から覗く空間には、教団兵がまばらに立ち、沈黙のまま周囲を監視していた。
さらに奥に見える施設の入り口は、錆びついた両開きの鉄扉だった。防爆仕様の重厚な構造になっているが、普段は赤茶けた腐食に覆われ、そのまま施設の擬装として利用されていた。
〈販売所〉を使用する際には、壁に据え付けられた端末に〈IDカード〉をかざすことで、扉上部の壁が左右に展開し、内部に収められた球体型カメラセンサーによって生体認証が行われる仕組みになっていた。
以前は、カグヤに偽装してもらった〈IDカード〉を使い、〈Fランク〉の一般市民としてこの施設を利用していた。
そこで消耗品の補充や、廃墟で生き延びるための最低限の装備を購入することができた。商人たちも頻繁に訪れていたが、今は様子が違う。入り口周辺には武装した教団兵が張りつき、重火器を携えて鋭い視線を巡らせている。
少しでも不審な動きを見せれば、理由を問われることなく頭を撃ち抜かれるかもしれない。あの頃、無意識に享受できていた秩序は、もはや完全に失われていた。
ふと〈電波塔〉に視線を向けた。
「カグヤ、施設の管理システムを騙して、教団兵を別の場所へ移動させられないか?」
偽情報を流すことができれば、警備兵を入り口から遠ざけられる。問題は、彼らが使っている暗号通信だ。
〈データベース〉に接続して暗号を解読する必要があるが、地下施設を管理するシステムは、侵入や攻撃に対処するため自律制御のサブノードによって運用されていた。ドローン単体の処理能力では突破は難しい。けれど、この塔を中継器として利用できれば、施設側のモニタリングを一時的に欺くことができるかもしれない。
自然を装うため、浮浪者が座り込んでいた掘っ立て小屋の壁に寄り掛かり、情報端末を操作しているフリをした。ほとんど動かさず、視線も固定する。外から見れば、重度の薬物中毒者が端末を手にしたまま固まっているように見えるだろう。
その間、カグヤが操る偵察ドローンは〈熱光学迷彩〉を使用し、空気の揺らぎのような歪みを残しながら〈電波塔〉へ近づいていく。機体の影だけが塔に映り込むなか、ドローンの装甲が展開し、内部のフラットケーブルが静かに伸びる。
数分後――バリケードのそばに立っていた教団兵が、急に慌ただしく動き始める。複数の兵が端末で確認を取りながら、大通り方向へと小走りで移動する。混乱の色を帯びたその動きは、明らかに偽の警戒情報に釣られた証拠だった。
「助かったよ、カグヤ」
『どういたしまして』彼女の声が内耳に響くと同時に、視界に赤い輪郭線が浮かび上がる。『でも注意して、まだ数人の教団兵が残っているみたい』
バリケードの陰に潜んでいた教団兵の輪郭が赤い線で縁取られ、拡張現実の警告と共に視界に重なり、まだ脅威が残っていることを示していた。彼らは壁に張りついたまま沈黙し、まるで獲物を待つ狩人のような陰鬱な気配を纏っていた。
「教団のサイボーグ兵か……」
ゆっくりと呼吸を整えながら周囲を見渡す。
バリケードの向こう側、黒いガスマスクと鈍い金属光沢の装甲をまとった兵士たちの背後に、ハクの位置を示す淡い輪郭線が浮かび上がる。彼女の輪郭は時折、揺らめく蜃気楼のように歪んで見えたが、教団兵はその存在に気づいていない。
やはり教団のセキュリティセンサーは、〈深淵の娘〉特有の〝存在の揺らぎ〟を感知できないのだろう。ハクは気配そのものを景観に溶かし、周囲に立ち込める影の濃淡へと紛れ込んでいた。近くにいるはずなのに、視線を凝らしても見つけられない。彼女が獲物へ這い寄るときの静謐さは、恐怖すら伴っていた。
教団兵の始末はハクに任せ、私は偽装IDを体内にロードした。身分証の表示が書き換わるのを確認すると、両手のひらを見せるようにして、あくまでも無害な来訪者を装いながら施設の入り口に向かって歩を進めた。
すぐに兵士のひとりが動き、重い義足を引きずるようにして近づいてくる。彼の背後では、まだ複数の兵士がバリケードの影に身を潜め、こちらを監視している様子が確認できた。
接近してくる兵士の背後へ視線を滑らせる。施設の入り口、灰色の構造物の上では、ハクが長い脚を静かに動かしながら、獣が跳びかかる直前のような姿勢で身を沈めていた。
「おい、止まれ。ここは教団の管理区域だ。許可のない者は立ち入りを禁じられている」
しゃがれた人工声帯特有の声が響く。
「問題を起こすつもりはない。買い物に来ただけだ。通してくれないか」
私は平静を装いながら応じた。
兵士は苛立ちを隠そうともせず、地面にオイルの混じった痰を吐き捨てた。義眼が赤い光を点滅させ、データ解析が行われていることが分かる。IDをスキャンしているのだろう。つぎの瞬間、兵士は小銃を胸の高さに引き上げ、威嚇するように銃口をこちらへ向けた。
「聞こえなかったのか? 撃ち殺されたくなければ下がれ!」
私は肩をすくめ、声を潜めて返す。
「なぁ、クレジットはいらないか?」
その一言で兵士の義眼がわずかに開口部を広げ、内部の光学素子が明滅する。
「賄賂か……いくらだ?」
舌打ちとともに銃口が下がる。その一瞬の隙を逃さなかった。
手を伸ばして兵士の喉元を掴む。義手の内部機構が作動し、液体金属が瞬時に変化していく感覚が伝わる。その直後、手のひらから鋭利な杭が勢いよく突き出し、兵士の首を正面から貫いた。
咽頭部の人工筋肉が断裂し、圧搾空気と灰色がかった人工血液が破裂するように霧散する。頭部を失った身体は重力に従って膝を折り、糸の切れた人形のようにその場に倒れ込んだ。
けれど、周囲からの反応はなかった。残っていた兵士たちはすでにハクによって仕留められていた。長い脚が鋭い弧を描いた痕跡だけが血飛沫として残り、倒れた兵士たちの身体は切断され、そこから人工血液が噴き出していた。
「カグヤ、警備システムは?」
『大丈夫だよ。監視カメラの映像は事前に生成したモノに差し替えてある。彼らはまだ立ったまま警備してる』
カグヤに感謝したあと、すぐにハクと合流する。ふたりで死体をバリケードの裏へ引きずると、泥濘に人工血液が混ざり、不自然な白と灰の斑が広がった。隠蔽は長くはもたない。じきに彼らの作戦部隊が巡回に訪れ、異常な体液の痕跡を見つけるだろう。
とにかく死体を隠し終えると、カグヤが遠隔操作で開放してくれていた扉を使い、施設内へ潜入する。ハクとジュジュ、そして〈アスィミラ〉の芽も同行するが、警備システムはすでに操作していたので、侵入に対する警告は一切発せられなかった。
扉の先には、地下へと続く長い階段があった。足を踏み入れた途端、外の湿った空気は途切れ、地下施設空間特有の乾いた冷気が肌を刺す。
無機質な鋼材が靴底の下で鈍く響く。その反響はすぐに吸い込まれ、静寂だけが戻ってきた。やがて階段は途切れ、視界が開ける。そこは壁も天井も床も、すべてが同じ白い鋼材で構成された広大な空間になっていた。
磨かれた壁面は光源を均質に跳ね返し、陰影というものが存在しない。空間全体が人工的な無音に支配され、温度も匂いも感じられない。
施設内に警備のための教団兵が待機していると思っていたが、機械の稼働音すらなく、微かな足音だけが自分たちの存在をかろうじて確認させてくれる。広間はただ白い金属の箱のように広がり、そこに漂うのは不自然な静けさだけだった。
潜入の目的はふたつ。教団が地下で発見した〝未知の存在〟を調査し、自爆テロに関わった犯人を見つけ出して排除することだった。だから〈販売所〉には向かわず、施設の裏側に位置するメンテナンス区画へ向かうことにした。
そこは本来、点検用の機械人形しか出入りしない区域で、一般利用者は立ち入らない。おそらく教団兵も近寄らない場所だろう。現在は機械人形の気配すらなく、稼働音も起動信号の微かな振動も、どこにも感じられなかった。
通路の奥に進むほど静寂は濃さを増し、空気が薄くなっていくような圧迫感が胸を締め付ける。これから先は、わずかな油断も命取りになる。私は呼吸を整え、警戒をさらに引き締めて、白い鋼材に覆われた迷宮へと踏み込んだ。







