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不死の子供たち  作者: パウロ・ハタナカ
第十八部

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919/943

919 16〈ジャンクタウン〉


 視界を拡大すると、眼下に広がる〈ジャンクタウン〉の陰鬱な居住区が見えた。プレハブや錆びの浮いた鉄板で無理やり組み上げた掘っ立て小屋、さらにはトラックのコンテナを改造し、ゴミ溜めのような寝床にしているモノまである。


 あり合わせの素材を継ぎ足すように増築された建物群は、各々が好き勝手に膨らんだ腫瘍のようでもある。居住区全体が意図もなく歪み、路地は幾層にも折れ曲がっている。


 集落としての形をなそうとした痕跡すら見当たらない。風が通り抜ける道筋は廃材の山や倒れかけた配管で塞がれ、迷路というよりも、崩壊寸前の生き物の内臓を見ているような閉塞感が漂っていた。


 相変わらず入場ゲート付近では戦闘が続き、断続的な衝撃――銃声や爆発音が響いていた。そのたびに粉塵がわずかに舞い、居住区の空気は白く霞む。けれど、その殺気立った空気の中でも、住人は誰ひとり顔を上げようとはしなかった。


 略奪者の襲撃や混乱に慣れているのかもしれないが、それだけでは説明がつかない。恐怖に慣れたのではなく、恐怖を感じる余裕すら奪われた人間の異常な精神状態を目の当たりにしているようだった。心が摩耗し、現実への反応が鈍っていくときに生まれる空虚さが、居住区全体に広がっているように感じられた。


 込み合う通りや狭い路地では、人々が道端に腰を下ろし、ある者は壁にもたれて半眼を開いたまま動かない。焦点の合わない視線は、遠くから響く戦闘音を祭りか何かの喧騒のように受け流していた。


 防壁の頂上から居住区を眺めていると、袖をわずかに引っ張られる。視線を動かすと、ジュジュがこちらを見上げていた。黒々とした複眼には不安も警戒もなく、ただ純粋な欲求だけが淡く揺らいでいる。


「どうしたんだ?」

「ジュージュ!」


 小さな昆虫種族は口吻を鳴らし、それからハクの腰に吊るされたユーティリティポーチを軽く叩く。喉が渇いているのかもしれない。森を移動してきたせいか、体毛のあちこちに泥が付着しているのが見えた。


 ハクに声を掛けてから、ジュジュ用の装備一式が収められた小さなポーチを開き、水筒を取り出した。蓋を外して手渡すと、ジュジュは嬉しさを隠しきれない様子で身体をそわそわと揺らし、飲み口に口吻をあてる。


 喉を鳴らすようにして夢中で水を飲む姿は、乾いた体内に水が染み渡るのを確かめているかのようだった。


 ついでに〈国民栄養食〉を手渡すと、勢いよく食べ始めた。固形タイプの乾いた塊が砕けるたび、粉屑が細い体毛の間にぼろぼろと落ち、淡い色の毛並みの中に散っていく。


 ハクにも何か食べるかと(たず)ねたが、彼女は『いらない』と身体を揺らす。


『いま、たべるとき、ちがう』

 その声音は硬く、普段の彼女にはない緊張が滲んでいた。


 敵地に侵入している状況を考えれば、当然のことかもしれない。けれど、ハクがこうして警戒心を露わにするのは珍しかった。


 彼女は長い脚をわずかに動かし、周囲の様子を探るように爪先で軽く地面を叩く。まるで反響定位によって、地中の奥底に潜む脅威の存在を探っているかのように見えた。


『レイ』カグヤの声が内耳に響く。

『すぐにそこを離れたほうがいいと思う』


 さすがにオートキャノンを破壊したのはマズかったようだ。まだ侵入に関しては悟られていないが、警備システムが異常を検知し、通報を受けた警備隊がこちらへ向かっている。到着までの正確な時間は分からないが、猶予はほとんど残されていなかった。


「了解、すぐに移動する」

 ハクとジュジュに声を掛けて、水筒をポーチに押し込むと、躊躇(ためら)うことなく防壁の下――居住区に向かって飛び降りた。防壁から地上まではそれなりの距離があったが、慌てることなく〈グラップリング・フック〉を射出する。ワイヤが張り、落下速度は徐々に削がれていった。


 義手の人工筋肉が軋み震えるなか、地面が迫る。靴底が砂利を噛んだ瞬間、膝を折って衝撃を分散させるように地面を転がり、そのまま姿勢を立て直した。着地と同時に周囲へ視線を走らせるが、異常は見られない。


 雑多な廃材と汚泥の混じる地面、腐臭を含んだ湿気、金属片に反射する薄い陽光。すべてが不衛生で無秩序だが、ここではそれが日常なのだろう。


 ハクは事前の取り決め通り、猥雑な集落の景観に紛れながらついてくる。彼女は軽自動車ほどの体躯を持つ大蜘蛛にも似た種族だが、〈深淵の娘〉特有の不可思議な能力を使い、人々の認識を阻害することでその姿を隠すことができた。


 それは旧文明期の施設に設置されていたセンサー群すら欺く驚異的な能力だったので、彼女が見つかる心配はほとんどない。


 加えて、この地区で暮らす人々は他者に無関心だった。実際、壁の頂上から人間が飛び降りてきたにもかかわらず、誰ひとりとしてこちらを気にする様子はなかった。


「カグヤ、周囲の警戒を頼む」

 偵察ドローンは光学迷彩を展開し、周囲の景色に溶け込むように姿を消した。視界の端にわずかな光の歪みが走り、それが消えると同時に、私は薄暗い路地へと足を踏み入れる。


 路地は重い湿気に沈み、空気そのものが腐敗の層をまとっていた。濡れた土と、長く放置された廃棄物の発する腐臭が混ざり合い、息を吸うたびに喉の奥を刺激してくる。吐き出す息でさえ淀み、肺の内側がゆっくりと汚染されていく錯覚すら抱かせる。


 足元に溜まった黒い水は、油膜と濁りを含んだ粘つく液体で、踏みしめるたびにグシャリと沈み込むような柔らかな感触を返す。


 狭い通路の両側に立ち並ぶ壁は、廃材として捨てられた鉄板や朽ちた木材を寄せ集め、補強も考えずに重ねただけのものだった。継ぎ目は錆の病巣に覆われ、少し力を加えれば崩れ落ちそうなほど脆い。


 遠くから爆発の微かな衝撃が伝わり、歪んだ鉄板が震える。その振動は路地全体へとゆっくり広がっていく。くぐもった金属音が壁の内部で長く尾を引き、薄闇に沈む空間に鈍い死の気配を刻む。


 ふと背後を振り返るが、ハクの姿は視界に映らない。ただ、その気配だけが霧のように揺らぎながら周囲に滲み、存在を確かめようとするほど輪郭が曖昧になる。〈深淵の娘〉特有の認識阻害が働いているのだろう。彼女は確かにそこにいるのに、世界の方がその存在を捉えることを諦めているかのようだった。


〈ジャンクタウン〉の地下にある軍の備蓄施設に侵入するため、まずは地下の〈販売所〉へ向かう必要がある。


 入り口は商人と買い物客でごった返す大通りから外れた裏路地にある。表通りの喧騒から離れた薄暗い裏路地のさらに奥へと潜り込む。


 古い下水管と錆び付いた配管が何本も絡み合い、無秩序な蔦のように頭上から垂れ下がっていた。どれもかつての機能を失い、今では汚水と油を垂れ流すだけの構造物へと変わり果てている。


 その頭上にはブルーシートや錆で穴だらけになった鉄板が敷かれていたが、雨避けとしての役割は果たしていなかった。そこに蓄えられた腐った水が、わずかな衝撃で滴り落ち、黒い染みとなって地面に広がる。


 下水の溝では、痩せ細ったネズミと異様に大きなゴキブリが、わずかな隙間を奪い合うように走り去っていた。


 やがて、暗い路地の一角に人影が見えてくる。ヘルメット型の端末を装着した若者たちが、濡れたソファーに沈み込むように座り、動かぬ肉塊と化していた。頭部から伸びたケーブルは壁際の制御装置に繋がり、彼らの身体は快楽に蝕まれた痙攣だけを合図に、生きていることをかろうじて主張していた。


 衣服は黒ずみ、長時間放置された汗の臭気が染みつき、端末の縁には乾きかけた涎の筋が何本も残されていた。その装置は薬物依存を高めるよう設計され、快楽を伴う仮想現実を見せるものでもあった。


 何時間も座り込んだままなのだろう。服を着たまま尿を漏らしている女性もいた。その臭いが周囲の腐臭と混ざり合い、濃密な悪臭を放っていた。口元しか見えないが、その表情は虚ろで、太腿の上でゴキブリが這っているのが見えた。ここでは、仮想の快楽こそが唯一の逃避であり、最高の現実だった。


 この退廃した光景は、〈ジャンクタウン〉の裏路地で生きる者たちが、すでに人間性を放棄してしまったことを示していた。ここでは日常生活すら困難になり、ただ消耗しながら息を継ぐだけの日々が続く。現実は彼らにとって耐えがたい拷問で、仮想の快楽だけが唯一の逃げ道であり、そして確実に死へと近づくことのできる甘い毒だった。


 時折、路地の裂け目から、かつて商人たちが行き交っていた大通りが見えた。しかし、その面影は崩れ落ちた瓦礫の山に呑み込まれていた。


 倒壊したプレハブの壁、熱でねじ曲がった鉄骨――それらが層状に積み重なり、進路を完全に塞いでいた。かつて整然と並んでいたはずの露店の屋台も荷車も、今は無惨に押し潰され、廃材の一部として風雨に晒されていた。風が吹くたび、破れたシートが微かに揺れ、焦げた布の臭いが路地まで流れ込んでくる。


 そこは、前回〈ジャンクタウン〉で教団の信徒と交戦した際、最初に火の手が上がった場所だった。半ば忘れかけていた光景を思い出す。爆炎に呑まれ、悲鳴が混じり、群衆が混乱の渦の中で押し潰されていった――あの混乱がそのまま封じ込められたかのように、通りの傷痕はほとんど手つかずのまま残されていた。


 復興はとうに終わっていると思っていたが、実際には商人たちの多くが資金力を失い、支援もなく、ただ朽ちるに任せて放置されていたようだ。


 以前なら、各組合が資金を投じて瓦礫を撤去し、商人を支援していたかもしれない。共同体の最低限の秩序を保つことで人の流れを維持し、互いの利益を確保する――それが彼らの流儀だった。


 しかし今は教団が実権を握り、組合は骨抜きにされ、援助も労働力も途絶えている。もはや誰も未来を語らなくなり、残されたのは破滅の予兆だけだった。


 あるいは、これは意図的に仕組まれた演出なのかもしれない。テロリストとして扱われる〝蜘蛛使い〟への憎悪を煽り、住民に教団の庇護を受け入れさせるための計算された行動のようにも見えた。瓦礫はただの残骸ではない。怨恨を培養するための装置であり、見る者の恐怖と憎しみを呼び覚ますものだった。


 あの日の混乱で家族や友を失った者たちは、やがて蜘蛛使いに憎悪を集中させ、そして教団に協力的になる――その筋書きはあまりにも冷淡で、計算高い。住民の苦しみすら、彼らにとっては支配を強固にするための糧に過ぎない。


 もし住人が真実を知ったらどうなるのだろうか。


 瓦礫の下に埋もれた遺体の多くが、そして数少ない財産を破壊した者が、教団の信徒や〝使徒〟と呼ばれる人造人間の狂信者によるものだったと知ったなら、その憎悪はどこへ向かうのだろうか。


 自分たちが操られていた現実に気づいた瞬間、癒えない傷はさらに深い絶望へと変わるかもしれない。


 いずれにせよ、それに関わる価値はないのだろう。この瓦礫の山は、過去の惨劇と憎悪を永遠に抱え込むための墓標でしかなく、踏み込めば心を蝕まれるだけだった。私は崩壊した通りから視線を外し、〈販売所〉へと足を向けた。

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