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〈ジャンクタウン〉の防壁を横手に見ながら、湿った草が絡みつく森の縁に沿って移動し続ける。背後では砲撃の重い振動が途切れることなく大地を揺らし、激しい殺意を示すように空気を震わせていた。
粉砕された土壌から立ち上る生臭い湿気に、火薬の焦げた臭いと金属片の酸味が混ざり合い、呼吸のたびに喉に嫌なざらつきが残る。遠くの爆炎は、〈鳥籠〉の上空に立ちこめる曇り空の底を淡く照らしていた。
カグヤから受信する情報はリアルタイムで更新され、それらは拡張現実で投影され、視線の先にある光景と重なっていく。
移動経路を示す淡い青のライン、茂みの奥で動く熱源反応、風速や地形情報、そして手持ちの装備や弾薬の状況――数値と幾何学的なアイコンが視界のなかで踊り、思考を乱すことなく整理されていく。その中から必要な情報だけを選び取り、冷静に精査しながら今後の動きを考えていく。
〈ジャンクタウン〉を拠点にしていた仲間の多くは、すでに別の拠点に避難していた。ジャンク屋のヨシダ、スカベンジャー組合のモーガンに賛同した数十名の組合員、かつて〈ジャンクタウン〉の警備隊を率いていたヤンとリーでさえも、クレアを連れて我々の拠点に移り住んでいた。
この〈鳥籠〉は、もはや人々の避難所ではなく、教団が恐怖で支配する場所へと変貌していた。行き場のない者だけが留まり、半ば空洞化した共同体へと変わりつつあった。
だから〈ジャンクタウン〉に対する攻撃を躊躇う理由は存在しなかった。それでも、〈重力子弾〉を撃ち込んで防壁を消し飛ばすことだけは、どうしてもできなかった。
親しくはなくとも数人の顔なじみはいたし、防壁が崩れれば、この街は嵐の中に裸で放り出されるも同然の存在となる。それは教団の勢力拡大を助け、残された住民にとっては滅亡に限りなく近い未来を意味していた。
足元の泥濘がブーツに吸い付く感触に意識を向けつつ背後を確認すると、〈アスィミラ〉が数歩後方にいるのが見えた。黒いガスマスクに黒の戦闘服、その上に光学迷彩の白いポンチョを羽織った姿は、一見すれば教団兵とほとんど区別がつかない。
彼女が操るのは、合金ベースの骨格を持つサイバネティクス兵士――いわゆるサイボーグの死体だった。その体内に張り巡らされた根が身体を動かしていたが、先ほどまで操っていた女性の肉体とは違い、慣れない重量に足が泥に沈み、歩幅はぎこちない。彼女にとってこの肉体は、より複雑な構造をしていたのかもしれない。
ちなみに、彼女が先ほどまで操っていた女性の遺体は、やむなく置き去りにしていた。本来なら礼を尽くし、適切な場所に埋葬して静かに眠らせるべきだった。しかし砲弾が降り注ぐ状況では難しく、手を合わせることしかできなかった。
それでも〈IDカード〉だけは回収していた。そこには彼女の名前や所属していた組合の情報などが記録されている。いずれ遺族を探し出して、相応の電子貨幣を贈るつもりだった。
〈廃墟の街〉で誰にも知られず腐敗していくのも、戦場で身体をズタズタに破壊されるのも、結末は同じなのかもしれない。けれど彼女の肉体を無理やり動かしていた事実は消えないし、責任を放棄することはできなかった。だからこそ、誠意を示す必要があると考えていた。
木々の影を縫うように駆け、湿り気を含んだ落ち葉を踏みしめながら進むと、予定していた合流地点が見えてきた。しかしハクたちの姿はなく、風に揺れる枝葉のざわめき以外に、生物の気配は感じられない。
視界に補助情報が重なると、環境に溶け込むように巧みに擬態していたハクの輪郭が浮かび上がる。拡張現実が描き出す淡い線が彼女を形作り、ようやくその姿を視認できた。体毛による迷彩効果は極めて高く、森そのものと見分けがつかないほどだった。
こちらに気づいたジュジュは、嬉しそうに小さな手を叩きながら口吻を鳴らす。ジュジュ独特の幼い仕草に、ほんの一瞬だけ緊張が緩む。しかし、その無邪気さを取り巻く光景は、あまりにも殺伐としていた。
ハクたちも教団兵の襲撃を受けたのだろう。周囲には大量の死体が転がっていた。手足を切断され、腹部を裂かれ、露出した臓器が湿った土と混じり合い、暗色の泥を形成していた。腐葉土の臭いと鉄錆の刺激臭が重なり、呼吸のたびに嫌悪感が胸に広がった。先ほどまで澄んでいた空気は、重油のように濁っていた。
『レイ、こっち』
ハクの可愛らしい声が聞こえて、長い脚で地面をトントンと叩く姿が見えた。彼女の隣に移動すると、茂みの向こうに〈ジャンクタウン〉の防壁が確認できた。
壁の周囲には廃車や航空機の残骸、ねじ曲げられた鉄柱が、無造作に積み上げられ、溶接痕が縫い目のように走っている。そこに木々や植物の蔦が絡みつき、赤茶の錆色と緑が入り混じりながら瓦礫の山を形成していた。
それは足場として利用できそうだったが、飛び越えるには高さが足りない。それでも他の場所より安全で、監視の目は薄い。
入場ゲート方面からは断続的な怒号と銃声が響き、襲撃者と教団兵の戦闘が続いていることが分かる。監視の目は分散していて、見張りは少ない。数名を排除すれば、安全に忍び込める可能性があった。
『しまつ、する。しかたない』
ハクの言葉に肩をすくめる。
「敵に見つからずにやれるか?」
『ん。あさめしまえ』
ハクはジュジュを背に乗せたまま、その体躯に似つかわしくない静けさで跳躍する。彼女の姿が景色に溶けていくのを見届けながら、壁の上方、監視所に銃口を向ける。
「カグヤ、ハクが攻撃した瞬間を見逃さないようにしてくれ。同時に敵を倒して、周囲に攻撃が悟られないようにする」
『……それなら、早く攻撃したほうがいいかも』
カグヤが言い終わる前に、視界の端で黒い影が揺れた。
視線を動かすと、切断された教団兵の首が重力に従って落下していくのが見えた。どうやらハクは、すでに仕事を終わらせたらしい。
すぐに照準器を覗き込み、壁を巡回していた別の兵士の頭部に弾丸を叩き込む。首が撥ね上がるような衝撃が走り、血煙と骨片が飛び散った。兵士の身体は膝から崩れ、そのまま壁の下に落下していく。
カグヤから受信していた情報で周囲の動体反応を確認する。しかし目立った動きはなく、敵に気づかれることなく始末できたようだ。
「やれやれ……」
小さく息を吐き出す。
〈アスィミラ〉に声をかけたあと、防壁に向かって小走りで移動する。その際、足元の地形を慎重に確認していく。地雷やトリップワイヤー式の罠、赤外線による監視に警戒する。教団兵は防衛のためなら手段を選ばないだろう。
罠を起動させずに防壁の影に身を潜めると、積み上げられた廃車の山を眺めながら移動経路を思案する。破壊され腐食した戦闘車両の車体は、長い時間と雨風に侵食され、今では醜い鉄屑と化していた。
互いに押し潰し合うようにして生じた歪みは、まるで金属が苦しみにもがいた痕跡のように見える。剥き出しのフレームは折れた肋骨のように突き出し、塗装は錆に侵食され、剥がれ落ちた断面から鉄粉が風に舞っていた。触れただけで皮膚を裂きそうな鋭利な切断面は、侵入者に対する警告のようにさえ思える。
それでも〈グラップリング・フック〉を使えば、壁を越えること自体は難しくない。しかし、それでは〈アスィミラ〉を置き去りにすることになる。やはり戦場に連れて来るべきではなかったのかもしれない。
あれこれ考えていると、〈アスィミラ〉が操っていた男性が屈伸するように膝を曲げるのが見えた。筋繊維が収縮し、人工骨格が軋む微かな音が聞こえる。〈アスィミラ〉は跳躍すると、ひとっ飛びで鉄屑の山に着地し、その勢いのまま防壁を飛び越えようとする。
それはサイボーグの身体構造と義足の性能を理解し、重力と反発力を計算に入れた無駄のない動きだった。肉体が強化されていたことは知っていたが、その機能を自在に扱えるほど人体に慣れているとは思っていなかった。彼女は、この短い期間に確実に成長していた。
しかし、そこで予期せぬ事態が発生した。警備システムの一部が反応し、警報も警告音も鳴らさないまま、壁の内部に格納されていた兵器が作動し、二十ミリのオートキャノンが滑り出た。それは、多脚車両すら容易に破壊できるほどの威力を備えた兵器だった。
その射角がわずかに揺れ、銃口が彼女を正確に捉える――警告は間に合わなかった。空中にあった男性の肉体は、つぎの瞬間、容赦なく破砕された。轟音と共に撃ち出された弾丸が骨と臓器を削り取り、白濁した人工血液が霧となって散る。油と血の混じる臭いが風に乗り、湿った森の空気を撫でた。
飛び散った手足は鈍い音を立てて廃車にぶつかり、内臓は枝葉に引っ掛かってぶら下がる。人間としての存在は瞬時に消え、肉片だけが残された。
即座に反応し、オートキャノンに〈貫通弾〉を撃ち込んで兵器の基部を破壊する。そのまま〈グラップリング・フック〉を射出し、跳躍するように宙へ舞い上がった。そして落下していく残骸の中から、サイボーグの頭部だけを回収し、その勢いのまま壁頂上の歩廊に着地する。
ガスマスク越しに覗く眼窩から、〈アスィミラ〉の芽が淡い燐光を放っているのが確認できた。どうやら彼女は無事らしい。芽は呼吸するように律動していた。
オートキャノンの爆発と射撃音は広範囲に響いたはずだったが、入場ゲート周辺の戦闘が続いていて、こちらの侵入には誰も気づいていないようだった。
安堵の息をつくと、ジュジュを背に乗せたハクが音もなくやってくる。サイボーグの頭部をジュジュに手渡す。小さな昆虫種族は、ガスマスクを装着したままの生首を見てぎょっとして、細い触角を縮めた。
けれど〈アスィミラ〉の根を見つけると、その小さな手で容赦なく茎を掴み、摘み取るような仕草で一気に引き抜いた。哀れなサイボーグの頭部には、もはや興味を失ったのか、そのまま地面に投げ捨てた。
あまりにも乱暴な扱いだったので、さすがにマズいと思ったが、〈アスィミラ〉は何の反応も示さない。根を伸ばすようにジュジュの腕に巻きつき、淡い燐光を放ちながら動きを止める。根を支えるための植木鉢を、ただ淡々と乗り換えただけで、それ以上でも以下でもないのだろう。どこまでも不可思議な生態だった。







