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森から一歩踏み出そうとした瞬間、視界に無数の警告表示が浮かび上がる。赤と黄色のアイコンが重なり合い、視野の端で明滅を繰り返す。空気そのものに潜む驚異の密度を示しているかのようだった。
『レイ、待って!』
内耳に聞こえるカグヤの声に反応し、〈アスィミラ〉の手を引き寄せ、その場にしゃがみ込む。湿った土の匂いが一気に強まり、腐葉土の甘い臭気が鼻の奥へと入り込んでくる。緊張で呼吸が浅くなるなか、音を立てないよう細心の注意を払う。
『すぐ近くに複数の動体反応を捉えた』
「教団兵か?」
『ううん、違うみたい。むしろ〈鳥籠〉に攻撃を仕掛けようとしているように見える』
視界に表示された矢印に従い、鬱蒼と生い茂る木々の間へ視線を移す。
すると、木々を透かすようにして藪の奥に潜む人影が、黄色い線で輪郭を縁取られながら浮かび上がった。輪郭は複数存在し、それぞれが一定の距離を保ち、互いの死角を補完するように配置されている。
彼らは伏せた姿勢のまま狙撃銃を構え、無駄のない動きで照準を定めていた。標的は入場ゲート付近の監視所――そこに立つ教団兵だった。
「教団と敵対する組織みたいだな……」
その呟きは湿気に吸われ、音として形を成す前に散っていく。
彼らは教団兵への何らかの報復を企む傭兵集団だろう。どうやら森を越えて〈ジャンクタウン〉にたどり着ける者は、自分たちだけではないらしい。明確な殺意を帯びた集団の存在が、この場にさらなる緊張をもたらしていた。
『どうするの、レイ?』
「……この機会を使って教団兵の数を減らす」
もともと自爆テロへの報復のため、ここまでやって来たのだ。傭兵たちが攻撃を仕掛ける瞬間を見計らい、こちらからも射撃を行う。
〈インシの民〉から譲り受けた腕輪に触れると、微弱な振動が皮膚を撫で、異次元へと繋がる小さな亀裂が開いた。その亀裂――〈収納空間〉から白いライフルを取り出す。
それは銃器というより、旧文明期の建設作業に用いられた工具を思わせる外観をしていた。白を基調としたセラミックベースの外装は、鈍い光を反射し、無機質でありながら洗練された美しさを放っている。過負荷に耐える構造を露骨に示すように、四角張った銃身には黄色と黒のストライプが走り、警告と機能性を同時に訴えていた。
その特徴的な銃口を監視所へ向け、姿勢を低くしながら銃身を固定する。ライフル下部から伸びる薄いフラットケーブルを引き出し、タクティカルベルトに吊るした〈超小型核融合電池〉へと接続した。
端子が噛み合った瞬間、銃身内部で細かな振動が生まれ、高密度エネルギーが充填されていくのが手のひら越しに伝わる。意識を向ければ、電流の静かな律動が腕へと響いていくのが分かった。
周囲は依然として音を失ったまま。森の湿度は高く、風の気配すらない。その沈黙の向こう側で、複数の殺意が交差していた。この瞬間、森そのものが戦場へと変貌していくのを肌で理解できた。
ライフルを構えたまま、すぐ隣にいる〈アスィミラ〉に視線を向ける。死んだ肉体は微動だにせず、周囲の緊張にさえ無関心な彫像のように佇んでいる。そのなかで、頭髪から伸びる細い蔓が微かに揺れ、淡い光を帯びていた。
ライフルに備え付けられた照準器と視界が完全に同期する。拡張現実の投影によって標的の輪郭が次々と赤い線で縁取られ、距離、風向、最適な射撃位置が視覚情報として風景に重ねられていく。数値と線が交錯し、世界は冷徹な演算の網へと変わる。
息を潜め、攻撃の瞬間を計る。森の湿った空気が肺に重く沈み、時間が粘性を持つように重く流れる。そして、その時が訪れた。藪に潜んでいた傭兵のひとりが引き金を引き、入場ゲートに立つ教団兵へ銃弾を放つ。
その攻撃に紛れるように、こちらも射撃を開始した。まだ試作段階にある狙撃銃だったが、その性能は既存の兵器を凌駕している。火薬ではなく電磁力を利用し、弾丸を超高速で発射する仕組みを備えていた。
銃身内部には二本の平行な金属レールが敷設され、そこに大量の電流が流れ込む。電流と磁場の相互作用が弾丸を前方へ押し出し、レールに沿って加速させる。電流の量が増すほど発射速度は指数的に高まり、破壊力は限界を知らなかった。
それを可能にする弾丸は、旧文明期の高密度鋼材を削り出した塊だった。質量と硬度を兼ね備えたソレは、あらゆる障害物を無意味にし、貫けないものは存在しなかった。
発射の瞬間、銃口から閃光が走り、空気が裂ける鋭い音が空間を震わせた。しかしその音を認識するより早く弾丸は標的に命中し、教団兵の頭部を血煙だけを残し、跡形もなく吹き飛ばされていた。肉体はただ崩れ落ち、監視所の上で無力な塊となる。
傭兵たちの射撃音が周囲に散乱し、こちらの存在はその混乱に紛れて露呈することはなかった。反撃を恐れる必要はなく、冷静に射撃を続けることができた。
やがて被害が一定以上に積み重なると、教団兵も応戦の準備を整える。監視所から怒声が響き、彼らの銃火器が森に向かって火を噴いた。森の静寂は完全に破られ、戦闘の喧騒が〈ジャンクタウン〉へ広がっていく。
「カグヤ、〈ジャンクタウン〉内部の様子を確認できるか?」
照準を合わせながら、監視所に立つ教団兵を次々と排除していく。
標的に向かって伸びていた赤い軌跡が消えると、監視所の上に立っていた教団兵の頭部が霧散し、残された肉体だけが重力に従って崩れ落ちていった。演算処理によって構築された世界は、殺戮の一瞬一瞬を非現実的な光景へと変えていた。
その間、カグヤは〈高高度長時間滞空型無人機〉から受信した情報を精査する。
『複数の多脚車両の接近を確認。迫撃砲による攻撃準備も確認できたから、そろそろ森は騒がしくなるよ』
彼女の言葉が途切れた瞬間、傭兵たちが潜む藪の一角が白光に包まれ、直後に大量の土砂と木片が爆風に巻き上げられる。
湿った地表が裏返され、根を裂かれた木々が軋む悲鳴をあげながら横倒しになっていく。砲撃はすぐに続き、地面はひび割れ、破壊の連鎖が森を貫こうとしていた。砲撃はさらに密度を増し、周辺一帯の地形を更地に変えかねない勢いだった。
もはや穏便な潜入は不可能だった。
「ハクたちと合流したほうがいいな……カグヤ、誘導を頼めるか」
ライフルを〈収納空間〉に放り込むと、視界に表示されたラインに沿って移動を開始する。〈アスィミラ〉は状況を理解していないように見えたが、先ほどよりも確かな足取りでついてきていた。体内に張り巡らせた根を器用に動かし、死体の脚を操る様子からは、彼女が学習を重ねていることが分かる。
予期しない攻撃にさらされたのは、ちょうどその時だった。
背後から聞こえる激しい砲撃音に意識を奪われていたせいなのかもしれない。敵意はなく、前兆もなかった。ただ、周囲の空気が一瞬で裂け、無数の銃弾が雨のように降り注いだ。樹皮が削ぎ落とされ、砕けた枝が高速の破片となって飛散し、地面は細かな土砂の霧で覆われた。
〈ハガネ〉が瞬時に反応し、ほとんど無意識に展開された力場が皮膜のように身体を包み込む。その力場に弾かれた銃弾は、火花を散らしまがら軌道をそらされていく。けれど、そのシールドの保護はあくまで自分だけのものだった。
〈アスィミラ〉の操る死体は、無数の弾丸を真正面から受けた。血は流れず、悲鳴もない。それでも肉体は容赦なく裂け、骨が露出し、支えを失った脚が崩れ落ちるように地面に倒れ込んだ。身体中に張り巡らせていた根が切断されたのだろう、彼女は制御を断たれた機械人形のように倒れ込む。
そして砂塵の向こうで、奇妙な影が揺らぐのが見えた。〈光学迷彩〉が解け、藪の奥から数人の教団兵が姿をあらわす。迷彩の残滓が陽炎のように揺れ、輪郭だけが遅れて世界に定着する。銃口はすでにこちらへ向けられていた。
その瞬間、〈ハガネ〉の液体金属が震え、つぎの瞬間には肩部へと集中して流れ込み、〈ショルダーキャノン〉を形成していく。表面には微細な電光が走り、凝縮された殺意のように空気を歪ませた。
飛び出してきた教団兵に向けて、照準を合わせる動作すら不要だった。〈ハガネ〉が敵意を持つ存在を自律的に判断し、射線を自動で補正する。
そして〈貫通弾〉が発射された。甲高い音が周囲の湿った空気を震わせ、直後――弾丸は敵兵の胸郭を貫き、体内の構造を粉砕しながら出口を求めて突き進む。その凄まじい衝撃で肉体は破裂し、肉片と血が雨のように散り、臓器の断片が苔むした地面に飛び散った。ねじ切られた四肢は別々の方角に転がり、微かに湯気を上げる。
間髪を入れず、ライフルを構えた。さらに接近してきた教団兵へ銃弾を叩き込みながら距離を調整する。
彼らは人間の形をかろうじて保っているにすぎないサイボーグだった。骨格に沿って走る金属フレームが皮膚を押し上げ、人工筋肉が脈打つたびに装甲の接合部が微かに軋む。〈サイバネティクス〉と〈痛覚遮断チップ〉によって強化された身体は、もはや苦痛を理解しない。ただ命令に従い、敵を破壊するまで突進し続ける存在へと変わっていた。
しかし、その機械じみた殺意も〈ショルダーキャノン〉から放たれる〈貫通弾〉の質量には耐えられなかった。胸部を穿たれ、背骨を断ち切られ、頭蓋を粉砕された兵士たちは、反応の遅れた人形のように倒れていく。最後の一体が泥濘へ崩れ落ちたとき、周囲にわずかな静寂が戻った。
敵の制圧を確認すると、すぐに〈アスィミラ〉のもとへ駆け寄る。先ほどの銃撃で、彼女が操っていた死体は原形を留めないほど損壊していた。胸郭はえぐれ、腹部は抉られ、四肢は折れ曲がっている。生命反応のようなものは当然なく、立ち上がる余地もないように見えた。
しゃがみ込んで抱き起こそうとした瞬間――背後で、枯れ枝を踏みつける乾いた足音が響いた。反射的に振り向きざまにライフルを構える。しかし、引き金を引くことはしなかった。
そこに立っていたのは、ガスマスクを撃ち抜かれて絶命したはずの教団兵だった。顔面の中心――砕けたフェイスシールドの奥から、淡い燐光を帯びた植物の芽が静かに伸びていた。細い根が神経束へ侵入し、筋肉を操り、死んだ肉体を再起動させていた。どうやら、代わりの〝植木鉢〟を見つけたようだ。
「……やれやれ」
差し出された手を取って、そのまま立ち上がる。
その手は生温かく、死人にない柔らかさを保っていた。フェイスシールドで顔が隠されていたが、今度の肉体は骨格や体格から男性のものだと分かる。
〈アスィミラ〉は新たな身体を確かめるように、ゆっくり手足を動かした。腐敗の気配はなく、筋肉の反応も良好。生命と死の境界は、彼女にとってあくまで形式でしかない。その命の軽さは、どこか背筋を凍らせる気配を含んでいた。







