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不死の子供たち  作者: パウロ・ハタナカ
第十八部

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 その場にしゃがみ込むと、足元の泥濘に視線を落とす。目を細めた瞬間、肉眼では識別できない微かな痕跡が、黄色の縁取りを伴って泥の表面に強調されて浮かび上がる。


 拡張現実の補助によって押し潰された泥の分布や踏圧による土壌の微細な歪み、靴底の摩耗痕が抽出され、あたかも時間を早戻しするかのように、確かな通過の痕跡がそこに〝描き出されて〟いく。


 やがて人の形をした残像が浮かび上がり、数時間前にこの場を数人の人間が通過していたことを示す。体重、歩幅、重心移動――すべてが無機質な情報として収束していった。


人工眼球(バイオニック・アイ)〉を利用した空間走査による痕跡の再構築は、旧文明の生物工学が生み出した驚異的な技術だった。かつて偉大な部族の斥候が持ち合わせていた狩人としての〝感覚〟を、人工的に模倣しようとした成果でもある。


 もちろん、そこに自分の才能など関係していないことは分かっていた。ただ、失われた文明の残滓に縋っているにすぎない。だから自惚れることはない。その技術を使い、淡々と敵の残した影を追っていく。


 湿った空気が縫い付くように肌に張りつく。鬱蒼とした森の密度は高く、数歩先ですら薄闇の膜に覆われていた。風の動きは緩慢で、鳥の声も一切聞こえない。音という音が、意図的に消し去られたかのようだった。


 この静寂は自然のものではない。殺意を持った潜伏者が周囲の環境を凍らせたときにだけ生まれる、不快な沈黙――敵が近くにいる証拠だった。


 その沈黙の中、白い影が音もなく寄り添ってきた。ハクは私の隣に身を滑り込ませ、低く姿勢を落とす。八つの眼がタクティカルゴーグルのレンズ越しに微光を放ち、森の薄闇を裂くように周囲を観察する。


 人間とは異なる肉体の構造でありながら、その動きには静謐な理性すら感じられた。呼吸の気配すら殺し、獲物の気配だけを拾い上げる捕食者の姿がそこにある。


〈深淵の娘〉でもあるハクは、頂点捕食者としての本能を備えているが、どこまで痕跡を理解しているのかは分からない。自らの本能で獲物の痕跡を探っているのだろう。あるいは、ただ私の動作を観察し、真似をしているだけなのかもしれない。


 けれど、そんな疑問はどうでもよかった。ハクが隣にいるだけで安心感があり、冷たい緊張がわずかに溶けていく。


 私は小さく顎を動かし、周囲の警戒を続けるよう促す。ハクは微かな振動だけで応えると、音もなく離れていった。


〈ジャンクタウン〉に近づくほど、敵と接触する可能性は高まる。以前、森を経由して侵入を試みた際には、教団兵の待ち伏せに遭った。死角と死角が重なり合うこの森では、一瞬の油断が命取りになる。


 警戒しながら慎重に進んでいた時だった。前方の薄闇が唐突に光の線で裂かれた。何もないはずの空間から、瞬間的な閃光――マズルフラッシュが浮かび上がる。同時に、無音に近い速度で飛来した弾丸が〈アスィミラ〉の操る女性の死体に着弾した。


 乾いた衝撃が肉体を揺らす。けれど死体はわずかに身体を揺らしただけで倒れない。痛覚も反射も、当然のように機能しなかった。


 狙撃手も、その異様さに戸惑ったのだろう。撃ち抜いたはずの標的が倒れず、無反応で立ち続ける光景は、彼の状況判断を一瞬だけ鈍らせた。その刹那、森の空気が張り詰めたまま凍りつき、時間が停止したかのような無音の空白が生まれた。


 そのなかで動いていたのはハクだけだった。すでに銃撃の軌道を読んでいたのか、彼女は狙撃者の背後へと回り込むようにして、恐るべき速さで木々の影へと消えていった。その姿は肉眼で追うことすら難しい。


 つぎの瞬間、狙撃手の背後で長い脚が振り抜かれる。光学迷彩を使い茂みの中に身を隠していた観測手ごと、狙撃手の首が切断され、その身体は力を失い泥濘へと崩れ落ちた。


 敵の血は熱を帯びたまま湿った土へ浸み込み、鉄臭が森の沈黙を汚す。その臭いに誘われるように、遠くで何かが(うごめ)く気配がしたが、今はまだ姿を見せない。


 森は再び静寂に沈み込んでいく。その静けさは、さきほどよりも重く、暗く、さらに深い不穏を孕んでいた。


 本来なら〈アスィミラ〉の無事を確認する必要はなかった。その肉体はすでに死んでいて、そこに生命活動は存在しない。それでも、長年の習慣に従い、負傷者の状態を確かめるように彼女の身体へ手を伸ばした。


 銃弾は鎖骨の下へ深く食い込み、皮膚と骨を貫通して背中側から抜けている。生者であれば痛みに悲鳴が漏れ、血液が噴き出すほどの傷だ。けれど彼女の肉体は沈黙し、裂けた皮膚から血は流れず、ただ冷えた肉塊があるだけだった。


 それでも、微かな反応だけは存在した。「問題はないか」静かに問いかけると、彼女の頭髪に絡みつく細い植物の蔓が淡い燐光を帯びて揺れる。痛みを感じていないのは明らかで、肉体はすでに死んでいた。けれど〈アスィミラ〉は問いかけを理解し、意思表示のようなものを返してくる。


 この異常な共生は、もはや寄生とすら呼べないのかもしれない。異星の植物が死者の身体を苗床として利用している。それ自体が、この森に満ちる静謐よりも深い不気味さを宿しているように思えた。


 狙撃手の死体に近づき、彼らの装備を調べることにした。倒木に身体を預けたまま力なく崩れた遺体は、表情を失った仮面のように冷たく、切断面から滴る血液だけが生々しく血溜まりを広げていた。


 彼らが身に着けていた装具は、ただの略奪者や傭兵では到底手に入れられないほど高価なものだった。


 光学迷彩機能を備えたポンチョは旧文明の軍事技術の残滓であり、〈廃墟の街〉に流通することはほとんどない。軽量素材の表面にはハニカム構造の微細な膜が走り、光を吸収するようにして背景へと溶け込んでいた。


 銃器も精密で、整備状態は良好だった。即席の武装集団ではなく、訓練を受けた狙撃手と観測手の組み合わせであることは明白だった。


 しかし彼らは教団の信者には見えず、特有の標章なども身につけてはいなかった。代わりに、かつて傭兵組合が使用していた識別タグが装備の一部に残されていた。


 勢力を拡大する教団が取り込み、飼いならしている兵力――そう判断すべきだろう。それならば、周囲の森に同様の狙撃班が複数潜伏している可能性は高い。森の中での移動は、常に監視され、狙撃の危険に晒されていると考えるべきだった。


 教団から支給されたと思われる装備を丁寧に剥ぎ取り、ひとつ残らず回収する。資源は貴重であり、敵の再利用を防ぐ必要もある。死体はそのまま森に委ねた。やがて昆虫が群がり、腐敗と分解が進む。それは、この世界の自然な循環の一部だった。


 甘ったるい血の臭いが混じる空気の中で、再び周囲に視線を巡らせる。徘徊型兵器でもある自爆ドローンがあれば、敵をあぶり出すこともできただろうが、隠密行動を優先して連れてきてはいなかった。


 背中に手を回すと、腰のユーティリティポーチから手に収まる球形のドローンを取り出す。


「カグヤ、狙撃手の端末を確認してくれないか」

 ドローンは低く震え、無音のまま起動した。


 空中に浮かび上がった球体の装甲がわずかに開き、倒木にうなだれるように首の切断面から血液を垂れ流していた遺体にレーザーを照射し、スキャンを開始する。


『誰かと連絡を取った痕跡はないみたい……たぶん、〈アスィミラ〉を視認して即座に発砲しただけだと思う』


 内耳に響くカグヤの言葉に、思わずため息をついた。

「教団兵に交戦規定は存在しないらしい……」


 死角からの狙撃、警告なしの発砲、敵味方識別の放棄――それらはすべて〈レギオン〉が採用する行動原則と一致していた。


〈ジャンクタウン〉に接近する者は、それが何であれ排除するよう命令されているのだろう。であるなら、彼らは〈レギオン〉に所属する兵士だった可能性が高い。


 それを〝秩序〟を取り戻すための戦いだと彼らは信じている。人類至上主義を掲げながらも、その上位者が非人間種族である事実すら知らずに。


 歪んだ信念は、ただ生きたいと願っていた者たちを兵士へと変え、かつて人類の避難所だった〈鳥籠〉を要塞と狂気の巣へと変えていた。


 それからどれほどの時間がたっただろうか、警戒を怠らず森を進むと、やがて伐採の痕跡が広がる場所に出た。切り株が無数に並び、視界は開けている。切り株の列の間には、まるで処刑台のように死刑にされた人々の遺体が串刺しにされ、整然と並んでいた。略奪者たちの根城で目にするような光景に、思わず眉を寄せる。


 その先に〈ジャンクタウン〉の壁が見えた。かつて高度な工学で築かれた旧文明の外壁は、本来の構造だけでも充分にその機能を維持できたが、補強のために雑に積み上げられた多脚車両の錆びついた車体が連なっていた。


 植物が絡みついた航空機の翼が壁沿いに複雑に積み上げられ、さながら廃品置き場のような光景が街を囲んでいた。この〈鳥籠〉を人々が〈ジャンクタウン〉と呼ぶ由縁は、そんな姿にあるのかもしれない。


 しかし、その光景には決定的に欠けているものがあった。人の流れだ。かつての活気は消え、交易のために訪れる行商人の姿もなく、傭兵たちの往来もない。


 入場ゲート付近にたむろしていた覚醒剤の密売人や、スカベンジャーから電子機器を買い付ける商人たちの姿も消えていた。街の周囲には、異質な沈黙が漂っていた。


 壁に設けられた即席の監視所には、数人の兵士が立っていた。彼らは武装し、周囲を厳重に監視している。視線は鋭く、侵入者を拒絶する意志が明確に伝わってきた。〈鳥籠〉は要塞と化し、外部の者を受け入れる余地はほとんど残されていないように見える。


 ここから先、異種族であるハクとジュジュを連れていくことはできない。彼らの存在は、即座に異端として認識されるだろう。私はハクに声をかけ、カグヤの偵察ドローンとともに〈ジャンクタウン〉の周囲を調べてもらうことにした。彼女の能力なら、敵の配置や監視網を把握できるはずだ。


〈アスィミラ〉は……遠目から見れば生きた人間と見分けがつかない。だから同行させることにした。スキャンされてしまえば死体であることを悟られる可能性は高いが、まずは入場ゲートまで行き、偽造IDでの潜入を試みる。拒絶されれば、その時はハクたちと合流して、兵士に見つからないよう潜入すればいい。


 そっと息をついたあと、〈アスィミラ〉を伴って歩き出す。街の壁が近づくにつれ、緊張感は増していった。

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