070 光の輪 re
天候を気にして〈カラス型偵察ドローン〉を使用しなかったことが原因なのかもしれないし、川向うの兵器に気を取られ過ぎて、ワヒーラから得られる情報をもとに製作される索敵マップを確認しなかったことが原因なのかもしれない。
あるいは、ただ単に慢心していたとも考えられる。日々の慣れによって、少しずつ警戒心が和らいでいたことが招いた事態なのかもしれない。
いずれにせよ、私とミスズが人擬きの大群に囲まれている事実は変わらない。
頭部に弾丸を受けて倒れた人擬きを押しのけるようにして、別の人擬きが扉に体当たりして劣化していた蝶番もろとも扉を吹き飛ばすと、その扉と共に通路を転がりながら突進してきた。
人擬きの頭部を狙った射撃を行いながら、我々は後方に下がっていく。
脅威になっていた人擬きを無力化できたことを確認すると、背中合わせになりながら、後方から迫って来る人擬きに対して射撃を行っていたミスズに声をかけた。
「そっちは問題ないか?」
銃声に声がかき消されないように、ミスズは声を張り上げた。
「大丈夫です! レイラは先に部屋に入ってください、掩護します!」
すぐ近くにある扉のない部屋に侵入すると、いつでも射撃ができるようにライフルを構えながら引き金に指をかけ、狭い室内の安全確認を行う
『ミスズ、安全が確認できたよ』と、カグヤの声が内耳に聞こえた。
人擬きに対して射撃を行っていたミスズは、通路に銃口を向けながら部屋に入って来る。私は部屋の奥に向かい、ベランダから侵入しようとしていた人擬きの頭部をライフルのストックで殴り飛ばした。
雨に顔を濡らしながらベランダの下を確認すると、頭から地面に落下していった人擬きが痙攣しているのが見えた。素早く部屋に引き返すと、崩れた天井に開いていた穴に向かって飛んで、天井の縁に手をかけると一気に身体を引き上げた。
部屋の作りは階下と変わらない、経年劣化によるひどい状態の家具やらゴミの中を進んで部屋の安全を確認すると、崩落した床の側で腹這いになって階下のミスズに手を差し出した。
「掴まれ、ミスズ!」
ミスズが私の手を掴むと、そのまま彼女を上階に一気に引き上げた。その瞬間、ミスズが立っていた場所に向かって人擬きが飛び掛かる。
「ありがとうございます」と、ミスズはホッとしたように息を吐いた。
「怪我はしていないか?」
「大丈夫です、少し驚いていますけど」
部屋の薄い壁を通して人擬きの叫び声や呻き声と共に、周囲を動き回る化け物が壁や家具に身体をぶつける音が聞こえてくる。
「迂闊だった。すまない、ミスズ」
琥珀色の瞳を見つめながら謝罪を口にすると、彼女はサラサラとした黒髪を揺らした。
「いえ、大丈夫です。二人で対処しましょう」
私はうなずくと階下の人擬きに対して、ピンを抜いた手榴弾を落とした。
破裂音と共に建物が揺れる、崩れそうになっている建物で爆発物は使用しないほうがいいのかもしれない。困惑した表情で私を見ていたミスズに謝ると、ワヒーラから受信している索敵マップを確認する。
『ウミに支援を頼む?』と、カグヤが提案する。
「いや、必要ない。そのままウェンディゴの警備を続けさせてくれ。それより、この建物から脱出したい」
『なら、ベランダに出てとなりの部屋に飛び移って』
ライフルの弾倉を抜いて残弾数を確認すると、ベルトポケットに挿していた弾倉を代わりに装填した。
「いいけど、となりの部屋に何かあるのか?」
『わからないけど、そこにいるよりかはずっといいと思うよ』
衝撃音がすると、扉を破壊した人擬きが廊下の先から走って来るのが見えた。ミスズはライフルから手を離すと、素早くハンドガンを構えて射撃を行う。銃弾を受けながらも人擬きは走り、私とミスズの間を通り抜けて崩落して出来た縦穴から階下に落下していった。
『正しい判断だね』とカグヤが言う。『レイもそれができていれば、今ごろ、人擬きの大群に囲まれていなかった』
「ハンドガンの残弾を気にしたんだ。川向うの兵器を破壊しないといけないだろ?」と、私は必要のない言い訳を口にする。
『そう言うことにしておくよ。それで、ミスズの残弾数は……大丈夫みたいだね』
数体の人擬きが雪崩込んでくる、私が射撃を行っている間にミスズは部屋の奥に向かうと、となりの部屋のベランダに飛び移る。
私は背後にある縦穴に落ちないように注意しながら、ベランダまで下がると人擬きに射撃を継続しながら機会を窺う。
突進してくる人擬きに対して、カグヤから受信する最適な射撃位置に合わせて的確に弾丸を撃ち込んでいく。そうやって足首を撃ち抜かれた人擬きは、足首を失ってもなお、周囲に臭い体液を撒き散らしながら走り、バランスを失うとそのまま階下に落下した。
「安全です、レイラ!」
ミスズの声が聞こえるとライフルを背中に回して、となりのベランダに向かって飛んだ。眼前まで迫ってきていた人擬きは、そのまま経年劣化で脆くなっていたベランダの柵を破壊しながら地面に落下していった。
雨に濡れて滑る苔だらけのベランダから室内に入ると、ミスズの姿がなかった。
「ここです」と、廊下の先から彼女の声が聞こえる。
部屋を出て廊下に向かうと、玄関の扉にそっと手をかけるミスズの姿が見えた。
「人擬きがいるのか?」
「いえ、今は確認できません」
「ならそのまま出て上階につながる外階段まで行こう」
「屋上に向かうのですか?」
「そうだ」
カラスとワヒーラが近くにいれば、壁を透かしたサーモグラフィーで人擬きの姿が確認できたが、すでに目覚めた人擬きを相手にしているのであまり効果がないだろう。それよりも広い場所で戦ったほうがいいだろう。
足音をできるだけ立てないようにして廊下を歩く。雨の勢いは弱まっていたが、湿った暖かい空気で嫌な汗をかいた。子どものオモチャが散らばる部屋の前まで来ると、足を止めて、それからミスズに声をかけてから部屋に入っていく。
廊下の壁には、額縁に飾られた住人の写真が飾られていた。家族で暮らしていたのだろう、写真には笑顔を向ける三人の姿が映っていた。私はライフルを構え直すと、廊下の先に見えていた部屋に向かう。まるで地震のあとのように荒らされた室内を進むと、足を止めてミスズに室内の状況を説明する。
ミスズのタクティカルゴーグルに室内の映像が表示されると、彼女は状況を理解して、音を立てないように慎重に部屋の外に出ていく。私も部屋のなかにいる化け物に視線を向けながら部屋を出ていく。
そこにいたのは〈侵食型〉と呼ばれる人擬きだった。途方もない長い年月を生きて、他の人擬きや生物を体内に取り込んで変異していく恐ろしい化け物でもある。その人擬きは部屋の隅に置かれたベビーベッドに寄りかかるようにして、動きを止めていた。
グロテスクな化け物には頭部が三つあって、ガスで膨れ上がった腹からは腐敗液と内臓が飛び出ていた。赤いぬめりを持った触手のような内臓は、粘菌のように部屋の中に広がっていた。天井から垂れ下がる腸や臓器に雑じって、脚や腕も見えた。それらは時折、痙攣するように動いていた。
部屋の外に出ると、大きく息を吐き出した。腐臭が鼻に残っているような、そんな不快感がした。
「どうしますか、レイラ?」
ミスズが困ったように眉を八の字にした。
「あれはどうにもできないな……。本当は処分したほうがいいんだろうけど、〈侵食型〉の人擬きにハンドガンの弾丸が有効なのかも分からない」
「そうですか……」
私は薄暗い部屋の中に視線を向けた。天井から海藻のように垂れ下がる臓器の一部が脈動しているのが見えた。
『急ごう、レイ』
カグヤの言葉にうなずくと、ミスズと一緒に通路の先に向かう。階下に向かう階段は崩れていたが、上階に向かう分には問題なかった。我々は慎重に外階段を移動して屋上に出る。屋上の入り口には侵入防止のためのフェンスがあったが、錆ついていて原型がほとんど残っていなかった。
屋上にはゴミが散乱して、人間が残したテントの残骸や大量の缶詰が放置されていた。我々は屋上の安全確認を素早く行う。放置されたゴミに潜むように数体の人擬きがいたが、ミスズが素早く処理した。その間、私は階下からやって来る人擬きに備えた。
地面に膝をつけるとベルトポケットから装填済みの弾倉を外して、自身の左手側の地面に整然と並べた。それから弾倉を装填するさいの動きを何度か確認する。
しばらくすると叫び声がして、皮膚のない個体や腕を複数生やした個体が階下からぞろぞろとやってきた。私はアサルトライフルで人擬きに射撃を行い、弾薬が尽きるとマガジンキャッチを押して空の弾倉を落として、左手側に置いていた弾倉を拾い、素早く弾倉の再装填を行う。あとは繰り返しの作業だ。大事なのは集中力を途切れさせないことだ。
ミスズにはその間、私が撃ち漏らした人擬きに対処してもらった。
もちろんそれ以外にも周囲の警戒もしてもらう。建物の壁を伝って登ってくる人擬きがいれば、彼女のハンドガンで攻撃してもらう。人擬きのなかにはカグヤが表示してくれていた最適な射撃位置に銃弾を受けても、前進を止めない個体がいた。
そういった個体は足を失くしても、這いずりながら迫ってきた。私は冷や汗を掻きながらも、常に冷静に人擬きに対処することを心掛けた。
人擬きの波が途切れると、私はライフルを構えながら手早く空の弾倉を回収してベルトポケットに挿していった。それからワヒーラから受信している索敵マップを確認する。
『片付いたみたいだね。残った人擬きは、階下にいる侵食型だけ』
カグヤの言葉を聞いて立ち上がると、無力化した化け物の山を一瞥して、それからミスズの姿を探した。
「終わったみたいだ。大丈夫か、ミスズ?」
「はい」とミスズは笑顔を見せた。
花が咲いたような、そんな明るい表情に私はホッと息をついた。
緊張の連続で、精神的に疲れていたのかもしれない。汗を拭こうとして外套のフードを上げると、雨が止んでいたことに気がついた。
そのまま灰色の空をぼんやりと見上げた。
気を取り直すと、手早く装備の状態と残弾数の確認をする。それが終わると屋上を見回して、高置水槽と呼ばれる大きなタンクに視線を止めた。
「タンクの上から川向うを攻撃できるかもしれない」
『まだ、諦めてなかったんだね』とカグヤが言う。
「もちろん」
水を貯めていた大きなタンクは、赤茶色に腐食していて至るところに穴が開いていた。タンクに取り付けられた錆びた梯子に手をかけると、何度か力を入れて壊れないことを確認した。その梯子を使ってタンクに乗ると、足元に気をつけながら川向うを眺める。
兵器が格納されている構造物からは相変わらず白い蒸気が立ち昇っていた。
「大丈夫ですか、レイラ!」
手を振るミスズにうなずいた。
「ああ、バンカーを確認した。今から狙撃してみるよ」
その場に片膝をつくと、ハンドガンを構えた。
「なにか異変を感じたら教えてくれ、カグヤ」
『うん。分かってる』
『弾薬を選択してください』
『重力子弾を選択しました』
『注意。選択した弾丸の使用量に伴い、他の弾丸の残量も減少します』
内耳に聞こえる機械的な合成音声を聞き流していると、ホログラムで投影される照準器が浮かび上がって、銃身の形状が変化していく。銃身内部に青白い光の筋が幾つも走っていくのが見えると、天使の輪にも似た輝く輪が銃口の先にあらわれた。
川向うの高台にある構造物に照準を合わせると引き金に指をかけた。
異変を感じたのはそのときだった。土手沿いに並んでいた白い円柱の付け根から、輝く輪のような発光体があらわれた。
それは円柱の頂部にある、球体型の装置の側まで上がっていくと静止した。等間隔に並ぶ柱のすべてに光の輪が出現したわけではなかった。我々がいる建物に一番近い柱だけに、その異変が生じた。
『何か変だよ』
レドームにも似た赤い装置の上で、光の輪が収縮して球体に変化していくのが見えた。
「変って何が――」
言葉を口にした瞬間、私の視界はめまぐるしく動いた。
気がつくとミスズのとなりにいて、私が先ほどまで立っていたタンクは真っ赤に融解していた。赤熱し熔けだした鉄が地面に広がっていた。
『レイ、あぶない』と、幼い女の子の拙い言葉が聞こえた
振り向くと巨大な白蜘蛛に私は抱きかかえられていた。
「ハクが助けてくれたのか?」
「ん」
「ありがとう、ハク」
茫然としていた私をそっと地面に下ろすと、ハクはフワフワした体毛に覆われた長い脚で地面をべしべしと叩いた。
『しろい、あぶない』
■
ハクは〈深淵の娘〉と呼ばれる蜘蛛に似た生物だ。軽自動車ほどの体長があって、旧文明期の〈鋼材〉のように硬い体表を持っていた。深淵の娘たちは黒い体毛に赤い斑模様が特徴だが、ハクは〈深淵の姫〉と呼ばれる特殊な個体で、全身に生えた体毛は白く、頭胸部から腹部にかけて赤い斑模様がある。
パッチリとした大きな眼に、ぬいぐるみのようなフサフサとした体毛は可愛らしい印象を与えたが、恐ろしい大蜘蛛の姿を持つことに変わりない。
〈深淵の娘〉たちは死の代名詞にされるほど、この世界の人々には恐れられる存在だが、ハクと私は敵対していない。私の特殊な血液を体内に取り込んだことで、古の御呪いが成立したとかなんとか、それでハクとは精神的なつながりを持つことになった。
深淵の娘たちは謎が多い種だ。旧文明期の人類との関りもあるようだったが、私は多くを知らない。ちなみに今までハクがどこにいたのかも私は知らない。一緒に拠点を出発したが、ハクはちょくちょく何処かに遊びに行っていた。ハクは基本的に子どものように好奇心旺盛で自由だった。
■
「ハクはあの柱がどういうモノなのか知っているのか?」
『ん。これ、みて』
ハクはそう言うと、屋上に転がる人擬きに向かって糸を吐き出した。それから触肢を器用に使って糸に絡みついた人擬きを振り回すと、柱に向かって投げた。その人擬きが柱に近付くと、先ほどと同じ現象が柱に起きて、空中に静止した光の輪が収縮したかと思うと、光の球体になって人擬きに向かって撃ちだされた。
もちろん人擬きは一瞬で蒸発した。
「今の見たか、ミスズ?」
私がそう言うと、ミスズは驚いた表情でうんうんとうなずいた。
『レイには反応しなかったけど、人擬きには反応した?』
カグヤの言葉に私は頭を横に振る。
「いや、俺にも反応しただろ? 危うく死ぬところだった」
『それは、レイのハンドガンに反応したからだと思う』
「反撃されたってことか?」
『うん。それよりハクに、どうして柱が危険だって知っていたのか訊いて』
「了解」
『ハク、あぶない』
そう言って白蜘蛛は身体を震わせると、全身についた水滴を飛ばして小さな虹を作った。毛の乾かし方がまるで犬みたいだ。
私が感心しているとハクは柱に向かって飛び上がった。ハクが柱に近付くと、先程とまったく同じことが繰り返された。しかし光弾がハクに当たることはなかった。
ハクは近くの建物に向かって糸を吐き出すと、その糸を脚で引っ張って、空中で進行方向を変えて器用に柱からの攻撃を避けた。
『あぶない。だめ』
戻って来たハクはそう言った。
『ハクも柱の攻撃対象なのか……』
カグヤのつぶやきを聞きながら、土手沿いに並ぶ柱を眺めた。川向うの構造物からは、今も白煙が立ち昇っていた。







