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不死の子供たち  作者: パウロ・ハタナカ
第八部 水底の色彩 re

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275 ブレイン〈脳クラゲ〉re


 展示物に夢中になっていたハクとマシロをその場に残すと、展示室を出て〈サーバルーム〉に向かうことにする。展示室の出入り口には、衣類を身につけていない状態の人間の標本が扉の左右に置かれていた。


 そこに飾られていた男女の標本が本物の人間だったのか、あるいは人工的に培養された肉体なのかは分からなかったが、いずれにしろ生きた人間と寸分違わない標本を見せられるのは、あまり気持ちのいいものではなかった。


 人間の標本を一瞥したあと展示室を出ていった。廊下を歩いていると、施設を巡回している自律型のドローンと何度もすれ違う。天井付近を飛行しているドローンは、我々のことを少しも気に留めていないようだった。


「施設に危険な生物はいないみたいだな」廊下の先を見ながら言う。

『そうだね』カグヤの声が内耳に聞こえる。

『危険な昆虫が徘徊していると思っていたんだけど、何もいなくて良かったよ』


「大樹の森から侵入していたと思っていたのか?」

『うん。でも建物の造りがしっかりしているからなのか、地中から昆虫が侵入した痕跡はまだ確認できていない』


 ふと廊下の先に視線を向けると、ガラス窓がある位置に金属製の隔壁が展開されていて、建物全体が完全に閉鎖されていることが分かった。


『すごく厳格な閉鎖が行われたみたいだね』

「屋内での立回りは難しいから、できればこのまま敵が出ないことを祈るよ」


『でも敵がいる可能性は捨て切れないよ。施設内に飢餓状態の人擬きがいるかもしれない』

「工場地帯に潜んでいた危険な人擬きのことか?」


『そう。休眠状態から目覚めたばかりの人擬きは飢えていて、とても危険だからね』

「……用心して進まないとダメだな」


 〈サーバルーム〉に向かう通路は分岐のない真直ぐな廊下だったので迷う心配はなかったが、それでも床の低い所には歩行者を誘導するための矢印がホログラムで投影されていた。私はその青い線を見ながら歩いた。目的の〈サーバルーム〉の入り口は、鋼鉄製の隔壁(かくへき)で厳重に閉ざされていた。


「封鎖されているみたいだな」

 そう口にすると、ひんやりとした隔壁に触れる。


『開くか試してみるよ』

 カグヤの操作するドローンが飛んでくると、隔壁のすぐ横の壁にレーザーを照射した。すると壁に収納されていたコンソールパネルがあらわれる。ドローンは機体からケーブルを伸ばして、コンソールの差込口にケーブルの先端を近づけた。


 すると突然、隔壁が左右にスライドするように開いて、その奥に設置されていた〈サーバルーム〉の扉が勝手に開いていくのが見えた。


「カグヤ、どうなっているんだ?」

 すぐに反応して〈サーバルーム〉の暗闇に銃口を向ける。しかし生物の気配や機械人形の存在は確認できない。


『私たちを招待しているのかな……』

「この施設に生きている人間はいないはずだ……」


 薄闇に目を凝らすと、瞳の特殊な能力を使いながら敵対的な意志を持つ者の存在を探した。しかし暗闇の中に何かの意思を感じ取ることはできなかった。


『えっと……』と、急に幼い子どもの声が聞こえた。廊下のどこかにスピーカーが設置されているのかもしれない。『危険なものは何もないので――だから安心して入室してください……ねぇ、これでいいのかな?』


「今の聞こえたか、カグヤ?」ライフルを構えたまま言う。

『うん。幼い男の子の声がした』


 部屋の奥からまた声が聞こえる。

『聞こえていないのかな……』


 そのすぐ後だった。幼い子どもの声が女性のしゃがれ声に変わる。

『私たちに敵対する意思はありません。ですから銃口を下げてください』


「カグヤに謝らないといけないみたいだ」と私は言う。

『うん?』


「カグヤの予想が当たったみたいだ……この施設には俺たち以外の何者かがいる」

『敵かもしれない。油断しないで』


 カグヤのドローンにちらりと視線を向ける。すると私の意図を汲み取ったカグヤが、ドローンを操作して部屋の中に入っていく。ドローンから照射され扇状に広がる照明によって、部屋の中に置かれていた装置が浮かび上がる。そこには冷蔵庫のようにも見える黒い金属製の装置が数え切れないほど並べられていた。


 フルフェイスマスクを起動して頭部全体を(おお)うと、カグヤのドローンのあとを追うように部屋に入っていった。〈サーバルーム〉に入るさいに薄い膜を通り抜けるような、そんな不思議な抵抗があった。すぐにマスクの機能を使って視界をナイトビジョンに切り替えると、部屋に立ち並ぶ装置に視線を走らせて何か異変がないか確かめた。


 振り返って出入口がまだ存在しているか確認したが、異常は見られなかった。しかし廊下に設置されている照明の光が部屋の中に入ってこないことに気がついた。まるでそこに透明な壁が存在していて、光を折り曲げているようでもあった。


『レイ、〈サーバルーム〉内の地図は建物案内図にも記載されていなかった。だから注意して進んで』


「地図に載ってなかったのか?」

『うん、部屋の名前だけしか確認できなかった』


 警戒しながら進んでいると、今度は老人の声が何処からともなく聞こえてくる。

『うっかりしていました。人間は暗闇が苦手な生き物でしたね』


 部屋が急に明るくなると、全面がガラス張りになっている床の上に立っていることに気がついた。その強化ガラスの向こうには、この部屋に置かれているのと同じ長方形の装置が数え切れないほど設置されていて、そのそばでは何かの作業を行っている大量の機械人形の姿が見えた。


 顔を上げると部屋の様子もおかしいことに気がついた。とにかくあり得ないほど広い空間になっているのだ。部屋に置かれている長方形の装置の数は膨大で、壁のように立ち並ぶ装置に囲まれていると、まるで迷路の中に放り込まれた気分になった。


『〈空間拡張〉で〈サーバルーム〉に広大な空間がつくられているんだ』

 空間に生じる(ゆが)みを利用して空間そのものを拡張する技術は、〈ウェンディゴ〉のコンテナでも使用されていた旧文明の技術だった。


「カグヤ」ガラス張りの床に目を向けながら言う。

「ここで迷子にならないように、出入口までの経路を記録しておいてくれるか?」


『了解、任せて』

 カグヤが作成していた〈サーバルーム〉の簡易地図(ミニマップ)が拡張現実で表示され、歩いてきた経路に沿って青い線が引かれていくのが見えた。


『それにしても、ずいぶんと深そうだね』

 ガラス張りの床の向こうに広がる空間は、多重構造の部屋になっていた。そのいずれの部屋もガラス張りの床になっていたため、視野が届く範囲すべての部屋の様子が確認できたが、あまりにも広大なため、全容を把握することは難しかった。


『こっちだよ』と、陽気な女性の声が聞こえる。

『大丈夫、私たちは貴方の敵じゃない』


 周囲が薄暗くなると、まるで誘導するように通路の一部だけに強い照明があてられる。

『どうするの?』

 カグヤの言葉に肩をすくめる。

「罠にしては大胆過ぎる」


 汚染されていないことを確認すると、マスクを外し、いつでも射撃できるように引き金に指をかけながら通路を進んだ。


 青白い照明を浴びるようにして薄暗い通路を進んでいくと、何かが泳いでいる水槽が見えてくる。やがて異様としか言えない得体の知れない生物の姿が見えてくる。


 クジラの群れが泳いでいても驚かないほど巨大な水槽の中には、無数の脳が浮かんでいた。いや、正確に表現するなら〝脳に限りなく似た形態をしたクラゲ〟が泳いでいた。それがどんな生物なのかは分からなかったが、警戒するには充分なインパクトを与えていた。


『やっと来ましたね』

 部屋の何処からか老人の声が聞こえると、脳クラゲが次々と集まってくるのが見えた。


『ねぇ、見て』と女性の声が聞こえる。

『やっぱり〈不死の子供〉だったんだよ』


『いいや』と青年の声がした。

『あれは出来損ないの不死者だね。〈不死の子供〉はもっと身体が大きいんだ』


『ボールが浮かんでるよ』

 幼い子どもの声が聞こえた。


『違うわ』と、女性のしゃがれ声が聞こえる。

『あれは隠者の瞳よ。おじいさまの作品ね、とても懐かしいわ』


『ねぇ、見て、あの汚い格好』若い女性の声が聞こえた。

『野蛮ね。〈混沌の領域〉にでも行っていたのかしら』


『いいや』また青年の声が聞こえる。

『不死者たちは貧弱だから〈混沌の領域〉に行くこともなければ、ましてや〈混沌の領域〉から戻ってくることなんか出来っこないんだ。きっとあいつは浮浪者なのさ』


『浮浪者って何?』と幼い声がした。


『ずいぶんと旧式のライフルを持ち歩いているのね……』

 しゃがれ声が聞こえたかと思うと、若い女性の声が聞こえる。

『顔は好みかも、でも身体はもっと(たくま)しいのが好き』


『僕が特別に改良を加えた〈タイタン・シリーズ〉が何処かに置いてあった気がするから、それに彼の意識を転写すればいいんじゃないか?』と青年が言う。


『嫌よ。時代遅れの〈タイタン・シリーズ〉なんて御免だわ』女性が否定する。


『……蜘蛛だ』幼い声が聞こえると、脳クラゲが一斉に水槽の奥に逃げていく。


 振り返るとマシロを背に乗せたハクがゆっくり近づいてくるのが見えた。

『レイ』とハクが言う。『さがした』


「すまない」ハクに抱きつかれながら言う。

「ハクたちが夢中になっていたから、邪魔したくなかったんだ」


『じゃま、ちがう』

「今度からは、ちゃんと声をかけるよ」


『ん、そうして』

 ハクから解放されると、水槽に視線を戻す。一体の脳クラゲだけがそこに浮かんでいた。


『あなたのお友達?』

 幼い子どもの声にうなずく。すると脳クラゲは言葉に反応するように震えた。どうやら騒がしく声を発していたのは、水槽で泳いでいた脳クラゲたちだったようだ。


「ハクは特別な存在だよ」と私は言う。

「俺はレイラ。君の名前を聞いても?」


『名前……?』脳クラゲがびくりと震える。

『僕たちにはね、特別な名前はないんだ。でも人間は僕たちのことを〈ブレイン〉って呼んでいたんだよ。面白い響きだよね。僕は結構好きだよ』


『やっぱり、クラゲみたいな脳だね……』カグヤが言葉を零した。


『レイラは――』幼い声を発していたと思われるブレインはそこまで言うと、水槽のガラスに張り付いたハクに向かって泳いでいく。『白いお腹が見えるよ……』


 水槽の奥に視線を向けると、数体のブレインがこちらの様子を(うかが)うようにしながら戻ってきているのが見えた。


『その〈深淵の娘〉は私たちに興味がないみたいね』と、女性の声が聞こえる。

『危うく食べられちゃうんじゃないかって思った』


『僕はそう思わなかったね』と青年が否定する。

『宇宙軍と同盟関係にある〈深淵の娘〉は、僕たちにそんなことはしないのさ。そうだろ?』


『真っ先に逃げたくせに』

『いいや。それは君の勘違いだ。そもそも僕はね――』


 突然、何かを強く叩く音が聞こえるとブレインたちは一斉に黙る。


『騒がしくしてすまないな』と、他の脳クラゲよりもひと回り大きなブレインが渋い老人の声で言う。『人間と会うのは久しぶりのことだ。だから皆も興奮しておるのだろう』


「いえ」と私は頭を振る。

「この出会いに緊張しているのは私も同じですから」


『そうか……』

 老人の声でブレインはそう言うと、水槽を覆う強化ガラスのそばまで泳いでくる。近づいてきて初めて分かったことだが、ブレインは巨大だった。男性の平均身長よりもひと回り大きく、神経のように伸びる無数の触手を合わせれば、人間よりも大きいと分かる。


『どうして緊張を?』老人のブレインは言う。

「貴方たちが敵対するような存在なのか分からなかったからです」


『敵対?』しゃがれ声のブレインが言う。

『人間とは敵対しないわ』


「どうして?」

『不思議な人間ですね。私たちのことを知らないのでしょうか?』


「残念ですけど」

 頭を横に振ると、しゃがれ声のブレインが強化ガラスのそばに近づきながら言う。


『それなら簡単に説明するわね。ずっとずっと遠い昔、私たちはエメラルドグリーンの海原が何処までも続く惑星で生活していたの。そこは信じられないくらい美しい惑星で、波は穏やかで――』


『突然、異界に続く空間の(ゆが)みが出現したの』と、若い女性の声を持つブレインが言葉を遮りながら言った。『混沌の水棲生物に私たちの仲間をほとんど食べられてしまったの』


『あわや絶滅という状況さ』と青年が続けて言う。

『その絶体絶命の危機から我々を救ってくれたのが人類さ』


『だから人類とは絶対に敵対しないの』と女性が付け加えた。

『そもそも』と青年が言う。『僕たちが生きていた惑星の環境を完璧に再現したこの水槽の中でしか、僕らは生きていけないんだ。だから人類と敵対しても意味がないのさ』


『私がまだ話している途中でしょ?』

 しゃがれ声に反論するように、若い女性の声が聞こえる。

『だって叔母さまの話は長いから』


 もう一度、何かを強く叩く音が聞こえると、ブレインたちは一斉に黙った。

『安心してくれ、レイラよ』と老人のブレインは言う。


『我々は貴方たちとは敵対しない。ただ話をしたいだけなのです』

 ブレインの言葉にうなずくと、老人の声を発するブレインと向かい合うように立つ。

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― 新着の感想 ―
[一言] シビュラシステムを連想したのは俺だけではないと思うんだ
[一言] サーバールームの水槽に浮かぶ脳のようなクラゲ!その光景を想像してみるだけで面白いですね。
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