171 襲撃 re
ジャンクタウンで〈蟲使い〉だと思われる傭兵に尾行されてから数日、我々は敵対者からの更なる襲撃に備えて、拠点周辺の警備に力を入れていた。
襲撃者たちが警戒網にかかったのは、アサルトライフルの整備を終えて、予備弾倉の確認をしていたときだった。
『レイ』カグヤの緊張を含んだ声が内耳に聞こえた。
『お客さんが来たみたい』
「数は?」
『少なくとも三十はいる』
「地上の状況は?」
『巡回警備していた機械人形が攻撃を受けて行動不能にされた』
網膜に投射される被害状況を確認しながら、モールベルトに予備弾倉を挿していく。
「ヤトの部隊は?」
『襲撃に関する情報は戦士たちの〈情報端末〉に転送したし、各部隊は〈戦術ネットワーク〉に接続して待機してる。すでに所定の位置について迎撃準備を行っている部隊もある』
「そうか……ミスズは何処にいる?」
『すぐそこ』
「レイラ!」と、ミスズが慌てて装備保管庫に入って来る。
「敵部隊の侵入を確認しました!」
「ああ、分かってる」
彼女の装備を確認しながら冷静に答える。
ミスズは戦闘用のピッチリしたスキンスーツを着ていた。しかしそれはあくまでも隠密任務に使用される類の装備で、黒を基調としたスーツは墓標のように廃墟が建ち並ぶ街では、逆に目立つ部類の装備だった。
だから彼女は市街地戦闘用の灰色のデジタル迷彩の戦闘服を重ね着していた。スキンスーツは独自のシステムによって管理されていて、パワーアシスト機能やナノマシンによる傷の治癒を可能とする旧文明の代物だった。
「〈戦術データ・リンク〉につながっているから、もう知っていると思うけど、地上ではすでにヤトの部隊が展開している。だから落ち着いてくれ」
「はい……」
ミスズを落ち着かせたあと、保管棚からボディアーマーを取り彼女が装着するのを手伝う。彼女はちらりと私を見ながら、遠慮がちに言う。
「あの……えっと、ありがとうございます」
「ミスズが指揮するアルファ小隊は?」
「ナミと一緒に地上で待機していて、いつでも作戦行動ができます」
「ミスズはヴィードルに乗らないのか?」
「はい。今回は部隊を指揮しながら戦います」
「ヴィードル工場で鹵獲した多脚車両は?」
「すでに整備が済んでいて、部隊に配備されています」
「操縦するのは?」
「訓練を受けた戦士のなかで、最も適性があった者が操縦することになっています」
ミスズは少し伸びた黒髪を耳にかけたあと、ヴィードルに搭乗している戦士たちの情報を転送してくれる。
「車両の武装は?」
「各車両に重機関銃が搭載されているので、問題なく戦えるはずです」
「簡易型の電磁砲は?」
彼女は頭を横に振ると綺麗な黒髪を揺らす。
「レールガンとガトリングレーザーは整備に時間がかかっていて、まだ換装していませんでした」
「そうか……なら仕方ないな」
手早く装備の確認を終えると、彼女と一緒に〈装備保管庫〉を出る。その装備保管庫は拠点地下にあった運動場を〈射撃訓練所〉に改修したさいに増築した部屋だった。
以前までは、食料を備蓄するための小さな倉庫を武器庫として使用していたが手狭になっていた。だから新たな保管庫が必要になった。もちろん理由はそれだけじゃない。探索で手に入れられる物資や、拠点で生活する人間が増えたことが増築の決め手になった。
ちなみに装備保管庫の備品の管理、それに仕入れはジュリとヤマダに任せている。増えすぎた物資の管理が面倒だからという理由で、仕事を彼女たちに押し付けているわけではない。おんぶに抱っこの生き方を彼女たちが求めていないからだった。
自分の足で立って生きていけない人間は、この世界では誰にも必要とされないし、それを許すほど廃墟の街は甘くない。彼女たちは肌でそれを感じて知っている。それになにより、私は二人のことは信頼していた。だから安心して仕事を任せられる。
エレベーターに乗り込むと地上の保育園に向かう。我々の拠点は保育園の地下に建設された旧文明期の〈核防護施設〉だった。今は地上にある保育園を中心にして、徐々に支配領域を広げている最中だった。
保育園の周囲に築いた防壁だけでは、廃墟の街に潜む脅威に対処するのは困難で多くの危険が伴う。そのため拠点の規模を広げながら組織力を強化する必要があった。
その名も無き組織に所属しているのは、〈異界〉からやってきた一族だ。
ヤトの一族は、〈混沌の領域〉とも呼ばれる世界を旅したときに出会った集団で、混沌に連なる神々の支配領域に侵入した者たちを執拗に追いかけ、狩ることを運命づけられた異形の化け物だった。
〈混沌の意思〉と呼ばれるモノが存在する。それがどのようなモノなのかは分からない。しかしそれは人間が誕生する遥か太古の昔から、秩序を司る勢力と争いを繰り広げていることはなんとなく理解していた。
混沌の意思が創り出す領域を旅して、そこで見てきた多くの事実が、混沌と秩序の争いの凄まじさを物語っていた。
しかし何の因果か、敵対し殺し合う運命にあった我々は、異界に存在する数多の神の一柱とされる〈ヤト〉によって結び付けられ、異界の戦士たちには新たな〝運命〟が与えられた。
それ以来、一族はヤトの眷属として私を中心とした組織をつくりあげていた。戦士たちの間にどのような心変わりがあったのかは分からない。けれど私はそれを受け入れた。何かを変えようとして、困難な道を選択した者を拒絶するほど私は愚かではない。
〈ヤト〉がどのような神なのかは依然として分からない状態だった。それが秩序に属する存在なのか、あるいは混沌に属しているのか……。けれどそれが分かったところで何かが変わるとも思えなかった。もとより矮小な存在に神々の意思が理解できるはずなんてないのだから。
とにかく、〈ヤト〉が我々の力になってくれていることはハッキリしている。そして廃墟に埋もれた世界で生きる我々にとっては、それが重要なことだった。
ヤトの一族は現在、五人一組で編成された隊に別れて、それぞれが受け持つ監視所で待機して戦闘の準備を行っているはずだった。
地上に到着するとアルファ小隊と合流するミスズと別れ、戦闘準備を行っている戦士たちの間を縫うように歩いて、指揮所が設置されている中庭に向かう。
廃墟だった保育園の敷地内に散らばっていた瓦礫は片付けられ、綺麗に改修されていて、雨風を凌ぐためだけに存在していた廃墟はヤトの一族が生活する場所に変わっていた。
一族は地下にある施設に自由に出入りできたが、地上での暮らしを望む者も多くいた。だから拠点に残されていた旧文明の〈建設機械〉を使って、保育園の敷地内に一族のための住居を用意した。
指揮所として利用されている建物も、それらの住居と一緒に〈建設機械〉で建てた間に合わせの施設だった。
何の特徴もない飴色の四角い建物である指揮所内には、テーブルと錆びたパイプイスが並び、小銃の点検を行うヤトの戦士がいた。彼らは私の姿を見るとイスから立ちあがり、胸の前で握った両拳を合わせる独特の挨拶を行う。私が同じような所作で挨拶を返すと、装備の点検を終えていた者たちは指揮所を出ていった。
扉も窓ガラスもない室内には外からの生暖かい風が入り込んでいて、天井に設置された扇風機が必死に首を回していた。しかしそれは砂埃を舞い上がらせているだけで、ほとんど役に立っていなかった。そこにいるだけでじっとりと汗を掻いてしまいそうな環境にウンザリしながら、レオウ・ベェリの姿を探した。
ヤトの一族が使う古い言葉で〈緑色の豹〉の名を持つレオウ・ベェリは、部族の長で、異界を離れ、この世界に渡って来る決断をした人物でもあった。一族は私を中心にして一個の組織を作りあげているが、それでもレオウに敬意を持って接していた。一族は仲間で対等な存在だと思っていたからだ。
「レオウは来てないか?」と、ヤトの戦士に訊ねた
彼女はビクリと驚いて、それからくるりと振り向く。彼女の手には、隊員全員に支給されていた〈救急ポーチ〉が握られていた。どうやら彼女はパックパックの整理をしていたようだ。
「すまない、驚かせたな」
謝罪すると、彼女は撫子色の綺麗な瞳を私に向ける。
「いえ、大丈夫です」
「それで――」
「族長はすでに出陣しました!」
「出陣?」
「はい!」
彼女はコクリとうなずいたあと、手元の端末を操作した。するとテーブルに設置されていた装置から、周辺一帯の地図がホログラムとして浮かび上がる。私は投影されていた地図を指差しながら彼女に訊ねる。
「レオウが向かった先が分かるか?」
「はい」彼女は何度かうなずいて、それから地図の一角を指差した。
「おそらく族長は、ヌゥモさまが部隊を展開している監視所に向かったと思います」
私は彼女の細く長い綺麗な指先に視線を向ける。
レオウ・ベェリの息子である〈ヌゥモ・ヴェイ〉は、〈赤い雲〉の名を持つ一族の若きリーダーで、戦士たちを率いて拠点の周囲に敷かれた警戒網の最前線に赴き、そこで部隊を展開していた。
『ヌゥモの部隊と合流するつもりなのかな?』
カグヤの声が内耳に聞こえると、彼女は顔を赤くする。
「はい、女神さま!」
「大丈夫か?」と、彼女の様子が気になって思わず訊ねる。
「あっ、いえ、女神さまの声を聞くのが久しぶりなので、すこし緊張してます」
「これから戦闘になるけど、問題はないよな?」
「もちろんです。戦いはすごく楽しみです」彼女は鈍色の髪を揺らして微笑む。
戦闘を好む気質は〈混沌の追跡者〉と呼ばれていた頃から変わっていないのだろう。
「あの、レイラさま。〈オートドクター〉が支給されているのですが、良かったのですか?」
彼女が救急ポーチから取り出したのは、常時温度管理がされている角筒状の医療ケースだった。角筒には半透明の小窓がついていて、そこから注射器が見えた。
オートドクターは旧文明期の医療用のナノマシンの名称で、注射器を使って体内に特殊なナノマシンと濃縮した栄養剤を注入することで、身体の損傷や病気を治すことのできる貴重な〈遺物〉だ。
文明が崩壊した世界では入手が困難で、争いの火種になってもおかしくない効果を持つ遺物だった。実際、〈五十二区の鳥籠〉はオートドクターを口実にして、他の鳥籠との泥沼の紛争を続けていた。
「問題ないよ。だから戦士たちに支給したんだ」それから彼女に訊ねた。
「注射器に問題があったのか?」
「いえ、問題はありません。ただ、ものすごく貴重なモノだと聞いていたので……」と、彼女は手に持っていた容器を恐る恐る眺める。
「たしかに貴重なモノだけど、拠点にはソレを常に製造して供給できる資源と施設がある。だから怪我したと思ったら遠慮せずに使ってくれ」
「製造に供給ですか……?」彼女は可愛らしい仕草で首をかしげる。
「よく分からないですけど……これを使っても問題ないんですね」
『ないよ』とカグヤが答える。
『受け取るときに説明されたと思うけど、注射器を使うタイミングだけ気をつけてね。重傷を負っている場合、副作用として強制的に睡眠状態に入るかもしれないから』
「はい、仲間と一緒にいるときにだけ注射するようにします」
『怪我しないのが一番だけどね』
「ところで」と私は言う。
「君はアルファ小隊だったな」
「はい!」と彼女は笑顔になる。
「ミスズも部隊と合流したから、君のことを探しているかもしれない」
「あっ」彼女は情報端末で急いで確認した。
「レイラさま、失礼します!」
彼女が慌てて出ていくのを見たあと、地図を表示しているホログラムを眺めた。
『敵の数はさらに増えてる』
カグヤはそう言うと、拠点周辺に設置されていた各種センサーの情報を表示した。するとホログラムディスプレイに視覚化された敵の正確な位置が表示されていく。
「完全に拠点を包囲しているな」
『警戒網に接近するまでは、まだ結構な距離があるけど……そうだね、警戒したほうがいい』
「敵の位置情報はヤトの部隊と共有できているのか?」
『うん、それは大丈夫だよ。偵察ドローンの映像もすぐに出せる』
「見せてくれ」
ホログラムディスプレイに表示された映像を見て、思わず顔をしかめた。
「これは昆虫か?」
『うん。大きな昆虫だね』
「なら今回の襲撃者には〈蟲使い〉の傭兵も含まれているのか……」
『そうみたいだね』
映像に表示されていたのは、体長が一メートルを優に超える甲虫の姿だった。







