114 面頬 re
「なぁ、レイ。こいつも開いてみてくれよ」
ジュリが手にしていたのは、深緑色のポリカーボネート複合素材のアタッシュケースだった。彼女の言葉にうなずくと、ケースを受け取り、手に持っていた偽物の〈オートドクター〉が入った小箱をジュリに渡した。
「このケースは他の品物と分けて保管しておいてくれ」
「うん、わかった」
ジュリから手渡されたアタッシュケースには、緩衝材の間に綺麗に収められた狙撃銃の照準器が幾つか入っていた。その照準器のゴツゴツした形状で、射撃支援ユニットを搭載した代物だと分かった。
スコープを手に取って眺めながら訊ねる。
「カグヤ、こいつは?」
『標的に対する追跡機能や、弾道計算が可能な電子装置が内蔵された〈小銃用射撃統制装置〉だね。以前も同じようなモノを入手していたけど、小型化した新しいモデルみたい』
「すぐに使える状態か?」
『〈超小型核融合電池〉が内蔵されていて、機能を維持するために必要なエネルギーは光や熱で充電されてるから問題なく使えるはず』
「電池内蔵か……。高価な品物みたいだな」
私はそう言うと、照準器をケースに戻した。
『これはアーキにあげようよ』
「そうだな。でも彼女以外にも射撃の成績が良かった戦士がいる。彼らに優先して支給しよう」
『レイは使わないの?』
「俺にはカグヤがいるからな。異界にでも行かない限り、こういう機能がある照準器に頼る必要がない」
カグヤと〈ワヒーラ〉の支援が得られなくても、アーキ・ガライの狙撃の腕は一流だった。しかし長距離攻撃の命中精度を高めるためにも、この照準器は役に立ってくれるだろう。
「ほかにどんなモノがあるんだ?」とジュリは興味津々だった。
コンテナボックスの上に積まれていたアタッシュケースには、ガスマスクが入っていて、こちらも丁寧に緩衝材で保護された状態で収められていた。
〈接触接続〉でガスマスクを調べたカグヤが言う。
『レイが使用しているマスクの、マイナーチェンジしたモノだね。性能は向上しているし、これはいいモノだよ』
防弾性能と汚染物質に対する性能が高められ、ヘッドライトを廃してナイトビジョンの機能が追加されていた。フェイスシールドは環境センサーによって管理されていて、半透明のシールドは状況によって曇りガラスのように暗くなる仕様だった。
また顔面を保護するプレートには自動で開閉する機構が備わっていて、周囲の汚染状況に自動的に対応してくれるようになっていた。
「これは当たりだな。ガスマスクの予備は幾らあっても困らない」
『レイ、あそぶ』
可愛らしい声が聞こえると、私は顔をあげた。
退屈していたのだろう、白蜘蛛のハクがウェンディゴのコンテナ内に入ってきていた。ハクは動くときに全く気配を残さないので、近くに来ていることに気がつかなかった。
白蜘蛛の登場にヤマダは驚いて私の背中に隠れた。彼女は巨大な蜘蛛にしか見えないハクに慣れていないのだ。しかしハクは怯えた様子のヤマダに構うことなく、私に身体を寄せてぴったりとくっついた。
「どうしたんだ、ハク?」
『ヤマダ、にげる』
ハクはそう言うと、床をトントンと叩いた。
「まだハクに慣れてないんだ。もっと仲良くなれるように、一緒に散歩に行ってきたら?」
ハクは腹部を揺らすと、パッチリした大きな眼をヤマダに向けた。
『ハク、あそぶ!』
恐怖で固まるヤマダを抱き寄せると、そそくさとコンテナの外に向かう。
「心配だから、俺も一緒に行ってきていいか?」
ジュリの言葉に私はうなずくと、ハクに声をかけた。
『なぁに、レイ?』
「ジュリも遊びたいってさ」
『いっしょ、あそぶ』
ハクは触肢を互いにゴシゴシと擦り合わせたあと、長い脚を伸ばしてジュリを掴まえると、器用に頭胸部と腹部の間に乗せた。
ヤマダは不安そうにしていたが、ジュリは心なしか楽しそうな笑みを浮かべていた。
「まだ巣の外に出ちゃダメだからな」と、一応ハクに注意しておく。
『ん、しってる』
ハクはそう言うと、トコトコとコンテナを出ていった。
ハクたちがいなくなると、カグヤに頼んで〈レオウ・ベェリ〉を呼び出してもらうことにした。それから残りのアタッシュケースを確認する。
しばらくすると、内耳にレオウの声が聞こえた。短い挨拶を交わしたあと、さっそく本題に入る。
「戦勝祝いをやった夜に、みんなに装備品を支給したいって話をしたのを覚えているか?」
『うむ。新しいライフルとやらをレイラ殿が皆に配っているのを見たが、それに関して何か問題があったのか?』
「いや、あのときの小銃のほかにもあげたいんだ。……褒美っていったら何だか偉そうな言い方だけど、部隊の中でとくに活躍した戦士たちにはいい装備を支給したいんだ」
『それは構わぬが……しかし良いのか、レイラ殿。我々はすでに多くの物資を頂戴している』
「それは気にしないでくれ。戦闘は命がけだ。ヤトの戦士たちはこれからも戦闘がある度に、命を懸けて戦うことになる。それは――直接的でないにしろ、俺のために命を懸けてくれていることでもある。だから俺は尽くしてくれている戦士たちに報いたいんだ」
『レイラ殿がそこまで言うのなら、わしはその気持ちを尊重する。それで、わしらはどうすれば良いのだ?』
「悪いけど、これから名前を挙げる戦士たちを連れてきてくれないか?」
私はそう言うと、褒美を贈る予定のヤトの戦士の名前を口にする。
■
『本当に〈ヤトの戦士〉はレイのために命を懸けて戦っていると思う?』
しばらくしてカグヤはそんなことを言う。
「どうだろうな……元々が〈混沌の追跡者〉って呼ばれている種族で、戦うことが好きな連中だからな」と、アタッシュケースの中身を確認しながら答える。
『褒美で部族の心を縛るつもり?』
「まさか、そんなつもりはないよ。ヤトの戦士たちだって幾つか装備品を贈られたからって、部族以外の者に簡単に尻尾は振らないだろ」
『本当にそう思うの? ミスズと同年代の若い戦士がレイとハクに心酔していることは、レイも知ってるんでしょ』
「俺の目は節穴じゃないし、他人の気持ちが分からないほど鈍感でも間抜けでもない」
『なら――』
「もちろん下心はあるよ。ヤトの族長が言うように、俺を中心にひとつの組織が作れたらいいとも思っている」
私はそう言うと、ケースの中から赤いマスクを手に取った。
「俺たちは危険な世界に生きている。綺麗ごとで片付けられない問題も多々ある。だから戦力は必要だ。自分たちの力だけで世界に立っていられる力が」
『……そうだね』
「カグヤは不安なのか?」
『集団の中にいると、自分以外の問題も抱えなければいけないときが来る。それだけじゃない、レイは組織を率いる人物にならなくちゃいけなくなる。戦士たちの命の責任も、全部レイが抱えることになる』
「問題や責任はずっと抱えてきたじゃないか。それは今に始まったことじゃない」
『でも……』
「それにな、カグヤ。俺はまだ何もやれていないんだ。この世界で目を覚ましてから今日までずっと、俺は自分自身が何者なのかさえ分からないんだ。何も知らずに、何もできないまま世界に殺されたくない」
『だから、レイは力を求めるの?』
「そうだ」
『わかった』とカグヤは溜息をつく。
『不安だけど私はレイを支えるよ。どんなときでもレイのために最善を尽くす。もちろん今まで通り、ダメなことにはダメって言うけどね』
「わかってる。カグヤが頼りだ。俺が間違ったことをしようとしていたら止めてくれ」
『うん。ならこの話はお終い。それで、そのマスクは?』
「ちょっと高価そうなケースに入ってたんだ」
「なんだか〈侍〉がつけていたような防具だね』
「そうだな」
手元のマスクを引っ繰り返しながらまじまじと見つめた。
そのガスマスクは赤と黒に染められていて、甲冑を装備した侍がつけている面頬にも似ていた。
『鋭い牙があるから、鬼の口を意識しているのかな?』
カグヤの言葉に肩をすくめる。
「性能を調べてくれないか? さっきのガスマスクよりもずっと数が少ないから、貴重な遺物なのかもしれない」
『ちょっと待ってね』
〈接触接続〉のあと、その面頬に似たガスマスクを顔に近付ける。するとマスクの形状が変化して粘度のある液体に変化すると、瞬く間に伸びて覆いかぶさるように口元から首までしっかりと覆ってしまう。驚いてマスクに手をかけると、予想に反してマスクは簡単に外れ、もとの状態に戻った。
『これは貴重な遺物みたいだね』とカグヤが言う。
『今までのガスマスクよりもずっと性能がいいモノだった』
「確かに奇妙なマスクだけど、フェイスプレートやバイザーがないから視覚情報は得られないんじゃないのか?」と、マスクをひっくり返しながら言う。
『それは大丈夫だよ。もう一度マスクを装着してみて』
カグヤの指示通りマスクを顔に近づけると、口元に張り付いたマスクは、口元から首に、そして後頭部を覆うように瞬時に形状を変化させていった。
「うん。とくに違和感はないな」と、私は首を振りながら感触を確かめる。
『マスクが頭全体を覆うようにイメージをして』
「イメージって、要は心象だよな。そんな意思の力だけで操作できるのか?」
『〈接触接続〉でレイの生体情報を登録したからね。あとは思考電位……つまり脳波だけで操作できようになった。だから早くやってみて』
彼女の言葉にうなずくと、マスクが顔全体を覆っていく様子をイメージしていく。するとマスクは形状を変化させながら頭部全体を包み込んでいった。
『どんな感じ?』
「視界に変化はない、死角もないし重さも感じない。まるで何も装備していないみたいで、違和感もないよ」
拡張現実のディスプレイが幾つか浮かび上がると、マスクの仕様に関する情報が表示される。
「精神感応金属……か、これも旧文明の未知の技術だよな?」
『うん。生体情報で登録された人間の精神的な反応に作用する金属だね。リアルタイムに思考電位を受信してるから、端末を介した操作も不要になる』
「貴重な遺物がレイダーギャングに悪用されずに済んでよかった」
『怒った鬼みたいな顔だね。何かに怒ってるの?』
カグヤに揶揄われると、私は顔をしかめる
「鏡がないから、自分では分からないよ」
〈カラス型偵察ドローン〉をコンテナ内に呼ぶと、カラスの眼を通して自分の姿を確認することにした。カラスは積み上げられたアタッシュケースにトントンと跳び乗ると、首をかしげながら私を見つめる。
「たしかに鬼のお面だな……いや、西洋の悪魔にも見えるな」と、自分自身の横顔を見ながら言う。「でも頭部全体を覆うから、タクティカルヘルメットは装備できそうにないな」
『その必要がないんだよ。防弾性能はヘルメットよりずっと高い』
「そいつはすごいな」と素直に感心する。
マスクを外すことを意識した。するとマスクを構成する未知の合金がスルスルと形状を変化させながら顎下まで移動する。首巻をしていたので、マスクは完全に隠れる状態になった。
『ガスマスクとしても高い性能を発揮するし、つねに新鮮な酸素を取り込んでいて、水中に潜れるような設計にもなってる』
「何でもありなんだな」
『貴重な遺物だからね』
「同じケースに入っていたマスクも性能は同じか?」
『うん。形状が少し変わるだけ』
面頬に似たマスクを眺めていると、レオウ・ベェリが一族の戦士たちを連れてコンテナにやってきた。
「待たせたかな、レイラ殿」とレオウが言う。
「いや、大丈夫だよ」
私はそう言うと、簡単に挨拶をした。ヤトの戦士は挨拶に答えるように、胸の前で握った両拳を合わせた。
私はさっそく切り出した。
「もう聞いていると思うけど。戦果に相応しい贈り物を用意した。だから皆に受け取ってもらいたい」
「はっ!」と戦士たちは声を合わせた。中々の迫力だった。
「ヌゥモ・ヴェイ」と私は言う。
「戦闘部隊の支援に残党狩りと、並び立つ者のない活躍だった。これは感謝の気持ちだ」
ヌゥモに〈環境追従型迷彩〉の機能が備わる外套と、面頬に似たガスマスクを渡す。
「ありがとうございます」とヌゥモは両手で受け取ってくれた。
「詳しい使い方はあとでカグヤに説明してもらうけど、その外套は一時的に隠密効果を高めてくれるモノで、マスクは頭部全体を覆う特殊な装備になっている」
ヌゥモに渡した面頬は、黒を基調とした〈鬼〉の頭部を象ったモデルだった。
「オンミ・ノ・ソオ」と私は言う。
ナミは名前を呼ばれてもボケっと突っ立っていて反応しなかった。
「ナミ、どうした?」
「あっ、私か。レイラ殿にその名で呼ばれると違和感がある」
「そうだな」
ナミの言葉に苦笑すると、外套と面頬を渡した。
「ナミも残党狩りでは大活躍だったな」
「ヴィードルのおかげだ」と、ナミは満更でもない表情を見せた。
彼女に渡したガスマスクは〈般若の面〉に似た面頬で、頭部全体を覆うとツノも生える仕様だった。彼女に般若の面を渡したことに深い意味はない。
「アレナ・ヴィス」と、青年の姿を探しながら言う。
「はっ!」と、アレナが集団の中から姿を見せる。
まさか自分が呼ばれると思っていなかったのだろう、青年は少し戸惑っているように見えた。
「レオウとも相談して決めたことだけど、アレナの部隊には、今回のような作戦行動を必要とするときには、隠密部隊として参加してもらうことになる。だから部隊に所属する戦士たちに、隠密性を高める外套と高性能なガスマスクを支給する」
アレナはしっかりうなずくと、部隊の戦士たちと一緒に装備を受けとった。
「それから、これはアレナ個人に対する贈り物だ」と、アレナに面頬を渡す。
アレナには戦士たちに渡した高性能なガスマスクではなく、カラスの頭部を象った漆黒の面頬を贈る。彼なら問題なく使いこなしてくれるだろう。
「アーキ・ガライ」
「はい」と、彼女は嬉しそうに小走りでやってくる。
「アーキには狙撃用の特別な照準器だ。これからもアーキの狙撃には世話になる」
「任せてくれ……いや、任せてください、レイラ殿」と、彼女は鈍色の長髪を揺らした。
小銃用射撃統制装置を備えた照準器は、射撃訓練で成績がとくに良かった上位四名の戦士たちにも支給して、外套と高性能なガスマスクも贈る。ちなみにアーキにも面頬を渡してある。彼女のマスクは鷹の頭部を象ったモノだ。標的を的確に仕留める彼女に似合いの装備だった。
「あとは……ヴェルカ・フローナだけだな」
目的の女性を探したが見当たらなかった。そして呼んでいなかったことを思い出した。衛生兵として活躍した戦士だったが、あとで直接手渡しに行くことにした。これでレオウ以外の戦士たちは、何かしらの装備品を受け取ったことになった。
「それじゃ、これからもよろしく」
それから私に感謝する戦士たちと話したあと、レオウとヌゥモだけがその場に残った。私はレオウにも外套と面頬を渡した。レオウのガスマスクは長い顎髭を持つ〈鬼〉の頭部を象った面頬だった。
戦士たちの前で渡さなかったのは、レオウが族長だからだ。族長としての威厳を保つためにも、皆の前でレオウに対して偉そうにしたくなかった。けど、そんな気遣いは無用だったようだ。レオウは私の気遣いに笑い、それから感謝した。
ヤトの一族がいなくなると残っていた面頬のひとつを手に取って、ミスズに会いに行くためコンテナの外に出た。カラスも退屈だったのか、私の肩に乗って一緒にコンテナを出ていく。
畑仕事をしていた〈ハカセ〉に挨拶すると、ハカセの手伝いをしていた泥まみれの青年に注目した。たしか拠点を襲撃した敵部隊の青年だった。そこで彼の名前を聞いていなかった事と、彼の処遇について何も決めていなかったことを思い出した。
私は肩をすくめると、問題を先延ばしにすることに決め、ハクの巣に向かった。
■
「レイラ、どうしました?」と、ミスズが笑顔を見せる。
ミスズはウミと一緒に拠点近くの廃墟にいて、ヤトの若者たちに戦闘訓練を行っていた。それは狭い室内での小銃の取り扱いや、室内掃討の方法などの本格的な訓練だった。
「お疲れさま」と、ミスズとウミに声をかける。
ミスズがやってくると、彼女に面頬を差し出した。
「ミスズにこれを渡そうと思ってきたんだ」
「猫のマスクですか?」
黒を基調とした桜色の配色が施されたガスマスクを見つめる。
「違う、ウサギだよ。顔につけてみて」
ミスズの面頬は兎の頭部を象ったモノで、マスクが頭部全体を覆うと特徴的な耳が二本突き出た。
「ありがとうございます」と、面頬を外したミスズが微笑む。
「どういたしまして。それで、訓練はどんな感じだ?」
「順調ですよ。皆さん、とても気合が入っています」
「そうか」
それから私は、訓練を行うヤトの若者たちをぼうっと眺めて過ごすことにした。







