4-10 空を飛ぶ理由
学園の門前で待っていると、ベル先輩が新調したばかりの箒を携えてやってくる。
ひさしぶりに顔を合わせたのだけど、表情を見るかぎり元気そうでほっとする。
「お待たせしてごめんね、最近はやたらとバタバタしちゃってて」
「……うん、知っているから大丈夫ですよ」
ぼくがそう答えると、ベル先輩は困ったように笑う。
見るからに元気がないのはむしろ、自分のほうだった。
「まるでそっちが退学するみたいじゃないの。やっぱりおばかさんかもね、貴方」
「でもぼくが、あのときもっと早く先輩に……」
そう、世間においては暁の魔女団による破壊工作というかたちで収まったけど、学園のほうはさすがに事情を把握していて、ベル先輩は責任を取って退学することになってしまったのだ。
エーヴドゥルカが起こした騒ぎについても、ガードナーや王都の魔法使いの尽力もあって人的被害こそまぬがれたものの……一部の家屋や施設の破壊は避けられず、彼女は長年の間に最速の女王として稼いできた賞金で、修繕費を工面したという。
ぼくはベル先輩の命を救ったかもしれない。
でも彼女はほかのすべてを失ってしまった。
「お願いだから、自分を責めないで。学園を去るのはあたしも寂しいけど、これでも寛大な処置なんだからさ。……校舎地下にエーヴドゥルカを探しにいったのはあたしだし、竜を目覚めさせてレースをぶちこわしちゃったのも、全部あたしのせい。貴方はただ巻き込まれただけで、そのうえ助けてくれたわけでしょ。いくら感謝しても足りないくらいなのに、謝られたらこっちがどうしたらいいかわからなくなるじゃないの」
「ごめん……」
「だ・か・ら! 辛気くさい顔しないでってば!」
言っているそばから謝るぼくに、ベル先輩はゴツンと頭を叩いてくる。
怒っているのか元気づけてくれたのか、いずれにせよ加減を知らない彼女のお仕置きはけっこう強めで、あまりの痛みに思わず涙ぐんでしまう。
だけど胸の奥にこびりついていた後悔も、今ので強引に砕かれてしまった気がする。
「あわわわわ、大丈夫? 思いっきりやっちゃったかも」
「ぼくって一応は命の恩人なのに、やることが横暴すぎる……」
「あら、調子が戻ってきたみたいね。お別れするにしたって湿っぽいのはいやだし、今度また会いましょうみたいな雰囲気にしときたいわけ。おわかり?」
ぼくは無言でうなずく。
ベル先輩はきっと王都を離れて、実家に帰るのだろう。
彼女の故郷は西の街道を馬車で三日ほどの距離がある、牧畜が盛んな小さな農村だという。幼少のころに飛行魔法の才能を認められて以降、親元を離れ、カイトの親戚である行商人一家のもとに下宿していると、いつだか聞いた覚えがある。
だから学園を去ることになれば、王都に留まる理由もない。飛行魔法レースは出場禁止だというし、不動のチャンピオンだっただけにむしろ居づらいくらいかもしれない。
なのに今の先輩は、今までにないくらいほがらかな笑顔で――すべてを失ってしまったはずなのに、どうしてこんな表情ができるのか不思議でたまらなかった。
「故郷に帰ってもぼくのこと、忘れないでくださいよ」
「誰に聞いたのそんな話」
「え? いや、てっきりそうなのかと」
「そりゃ王都から去るのは間違いないけど、あたし別に故郷へ帰らないし」
じゃあどこに?
きょとんとしたまま問いかけようとしたところで、いきなり襟首をつかまれる。
「わわわ、なにするんですかっ!! ぐえ!!」
「いいからいいから、あたしにちょっと付き合いなさい」
そして出会ったときみたいにベル先輩は箒にまたがると、ぼくを強引にうしろに乗っけて空に飛び立った。
恐怖の記憶が瞬時に脳裏をよぎって、まともに息すらできない爆速飛行を覚悟して先輩にしがみつく。だけど――。
「お別れだからって積極的ね、おばかさん。でもそんなに強く抱きつかれると恥ずかしいかも」
「……あれれ、今日はやけにゆっくり飛ぶんですね」
いつものばびゅんとすっ飛ばす感じじゃなくて、雲の間をふわふわと漂っているような優しい飛び方だ。
ぼくが意外に思って先輩の白いうなじを見つめていると、
「実はね、今度カイトの両親のところで雇ってもらうの。正確には下宿先の一家のところにあらためて弟子入りして、行商人としてデビューするわけ」
「じゃあ学園を去ったあとの進路が決まっているんですね。となると今後は王都の外を旅してまわることになるんですか?」
「そそ。せっかく箒で空を飛べるんだし、唯一の取り柄なんだから活かさないと」
その話を聞いて、ベル先輩が思いのほか落ちこんでいない理由がわかった。
彼女はもう次にやることを決めていて、だからレースで優勝を狙っていたときみたいに、目指す道に向かって一直線に進もうとしているところなのだ。
すべて失ってしまった……なんて後ろ向きに考えていたのはぼくだけで、それはもしかすると、とても失礼なことなのかもしれなかった。
「すごいなあ。自分が同じ立場だったら、たぶんずっとメソメソしていますよ」
「なに言っているの。貴方が教えてくれたんじゃない」
「え?」
「空の飛び方。それがなかったら、あたしだってこんなふうに思えなかったかも」
意味がわからなくて、首をかしげる。
飛び方を教えてもらったのはぼくのほうだし、言っていることがあべこべだ。
「出会った日、こうしていっしょに箒で飛んだときに言ってたでしょ。空を飛ぶって世界が広がることなんだって」
「そんなこと言いましたっけ? すみません、全然覚えてないかも」
「あー、もうこれだから貴方は! あのときはピンと来なかったけど、今ならわかる気がするわ。あたしはずっと前だけ見て、速く飛ぶことばかり考えていたけど……ほら」
ベル先輩はそう言って、眼下の景色を指さす。
色とりどりの屋根を頭に乗っけた、市街区の家々。
通りを行き交う豆粒みたいな人々。
視線を移せば金色に輝く絢爛豪華な王宮と、それを見守る父のような外壁。
そして再び前を見れば――はるか彼方に白い雪が積もった辺境の霊峰と、緑豊かな森林が広がっている。
ぼくがまだ行ったことのない場所。
そしてベル先輩が、これから行くかもしれない場所だ。
「せっかくの機会だから、自分の世界を広げてみようと思うの。カイトだって世の中には面白いものがいっぱいあるんだーって生意気なこと言っていたし、あたしがどれだけ世間知らずで未熟者だってことも痛いほどよくわかったしね。でもやっぱり一番は貴方のおかげ」
「ぼく……? なにもしてないけど」
「すっとぼけちゃって。あたしのこと助けてくれたじゃないの。だから空を飛ぶ新しい理由を見つけることができたんだし、本当に感謝しているのよ。これでも」
彼女の笑顔はやっぱりキラキラと輝いていて、もう一度いっしょに空を飛ぶことができてよかったと、ようやく実感が湧いてくる。
オーサの言っていたようにこれが自分で成したことなのだとしたら、ぼくの力だってなかなか捨てたものじゃないかもしれない。
「ていうか王都にだってたまに顔を出すし、そのとき貴方が体験したすごい話、いっぱい聞かせてよ。そしたら行商ついでに言いふらしてまわるから」
「ぼくとしちゃしばらくは平穏な生活を送りたいところですけど……。でもオーサが絶対なんかやらかすし、また大騒ぎになるんだろうなあ」
「貴方から直接聞かなくても、そのうち嫌というほど耳にすることになるかもしれないわね。王都にクラウンっていうすごい魔法使いがいて、いろんな人を助けているって」
「そうなるように努力してみます。ぼくの話を耳にしたら、先輩はきっと会いに来たくなるでしょうし」
すると彼女は「生意気なことを言うようになったわね」と頬を染めて笑う。
知らなかった。
お別れするって寂しいものだとばかりに思っていたのに、こんなふうに笑顔のまま、お互いに別々の道を歩んでいくこともあるんだって。
これからもきっと大変なことばかり起こるだろうけど……それでも前を向いて、胸を張って、やっていけそうな気がする。
空を飛びまわっているベル先輩まで、クラウン・ロッドの名が届いていくように。
大魔法使いになったぼくの活躍を、大陸中に知らしめる日が来ることを夢見て。




