1-3 図書室の破壊神
やがて気分が治まると、小さな猫がもの言いたげな表情で、こちらをじっと見つめていることに気づいた。
「……誰にも見られていないと思ってたけど、そういえば君がいたんだっけ」
と言って、ぼくは微笑みかける。
だけど猫は微動だにしない。
「今さらかな。ぼくがここで泣きごとを言っても、君はいつもむっつり黙りこんでいるものね。たまにはにゃんと鳴き声のひとつでもあげて、慰めてくれると嬉しいんだけど」
懲りずにもう一度声をかけてみるものの、やはり猫はピンと背筋を伸ばしたまま。
それもそのはず、ぼくを見つめている猫――オーサはただの置物で、尻尾を降って近寄ってくるどころか、餌をあげたところで食べることすらできないのだから。
大きさは小ぶりで、ぼくの指の先から肘くらい。
石作りの身体は雪のように真っ白で、図書室の調度品らしく本棚に飾られている。
ハーレイ先生が校舎の地下から発掘したらしいけど、誰が作ったのだろう。
不死皇帝が所蔵していた美術品か、神話時代の遺物? ただの置物にしてはやたらと作りが精巧だ。しかしオーサというの名が刻まれた石札が付近から見つかっただけで、手がかりはなきにひとしい。
「もしかすると君は怒っていて、だから愛想が悪いのかな。……そりゃそうだよね。よりにもよって破壊神と同じ名前で呼ばれているなんて」
そう、オーサってのは伝説に登場する邪神の名前。
ハーレイ先生が言っていた『破壊神にお祈り』ってのは、ぼくが日々の鬱憤をまぎらわせるようと猫の置物にブツブツ話しかけていることを、皮肉った冗談なのだ。
傍から見たら完全に奇行だし、寂しいやつだと思われるかもしれない。
だけど物音一つしない図書室で延々と同じ作業をくりかえすのは、やっぱりどうにも退屈で。
そのうちに夜のとばりがおりて室内が暗くなってくると、ぼくはどうにも心細くなってきて――結局また、小さなオーサに話しかけてしまう。
「昼間ガードナーに怒られちゃったけどさ、ぼくだってあいつみたいに強くなれりゃいいのになって思うときもあるよ」
水の玉と、ドラゴンが象徴しているように。
ぼくが小手先の技術を使ってやりくりしている間、ガードナーは派手にどかんと力を使って、みなの注目を集めることができる。
あいつは才能があって、努力していて、だからきっと誰よりも立派な魔法使いになるはずだ。
一方のぼくは地道にケープを織るのが性に合っていて、たいした魔法使いにはなれないと思う。
「それでも……生涯に一度くらい、世界を変えられるほどでっかいことをしてみたいな。君が本当に神さまだったら、そのときに手助けしてくれると嬉しいよ」
そんな冗談を呟いたあと。
完成したケープを、辛抱強く愚痴につきあってくれたオーサにかけてあげる。
「仕事で使った毛糸のあまりを使って、君のために織ってみたんだ。もしかすると嫌がるかもしれないけど、近頃は毛むくじゃらでもけっこう寒そうだからさ」
背筋を伸ばしたオーサにケープをかけてあげると、なんだか猫の王様みたいになった。
……うん、可愛い可愛い。
満足したぼくは寮に帰ろうと、オーサに背を向ける。
そこで頭の中に直接、しゃがれた声が響いてきた。
『――待て。お前の願いを聞きいれよう』
ハーレイ先生にも困ったものだ。
まさか聞き耳を立てていて、手のこんだイタズラをしかけてくるとは。
だから呆れながら振り返って、
「ぼくに力を授けてくれると言うのか。世界を滅ぼす力を」
『そう言っておるであろうに。疑りぶかいやつだにゃ』
ぼくの目の前に。
真っ黒な毛むくじゃらの生き物が――置物と同じくらいの猫が。
ふよふよと浮いている。
『我が名はオーサ。忌まわしき封印を解いたお前に褒美をくれてやる』
ええ?
ずいぶんと可愛らしい姿に変化しましたね、ハーレイ先生。
混乱してそんなことを考えてしまうけども。
先生のイタズラでないことは、明白だった。
――――――――
オーサが伝説に登場するのは、今から千年前。
歴史の教科書に『神話時代』と記されているころ。
当時はまだドラゴンや悪魔、巨人や妖魔といった古代種が地上に君臨していて、人間はおろか魔力に秀でた亜人族ですら、世界の手綱を握ることが許されていなかった。
古代種は屈強な肉体を持つだけでなく、神々に匹敵するほどの叡智を備えており、世界を思うがままに作り変えることができた。
しかし長い年月が経つにつれて、彼らの叡智は驕りという名の悪い虫に育ち――古代種は作り主である天上の神々に、反旗をひるがえしたという。
とはいえ神々の力は凄まじかった。
またたく間に多くの古代種が破れ、様々な叡智が失われていった。
しかし彼らは不遜にも過ちを認めず、むしろ自らの叡智によって新たな神を作りだすことで、天上の神々との戦いに決着をつけようとした。
古代種が作りあげた、神を殺すための神。
それが破壊神オーサだ。
――――――――
ぼくは伝説について話したあと、ふよふよと浮いている猫にたずねる。
「本当にあのオーサなの?」
「そうだとも。石にされて千年、我が武功が今でも語り継がれておるとはにゃ。過去はどこまでも追ってくるものよのう」
オーサはそう言ってから、得意げに「ふなっ!」と鳴き声をあげる。
心に囁きかけるのはやめたらしく、鈴の音のような声で、
「オーサは爪牙をふるい、善き神も悪しき神も滅ぼした。……しかし結局、戦いに勝つことはできなんだ。作り主たる古代種は闇の境界に追いやられ、我が身も封印され石と化した。とはいえ神々も無事ではなく、生き残ったものどもは力を失って地に墜ちたという。痛みわけというやつだにゃ。なっははっ! ざみゃあみろっ!」
うーん……破壊神かあ。
さきほどの話をふまえたうえで、あらためてオーサを眺めてみる。
夜の闇みたいな漆黒の顔に、くりくりとした真っ赤な瞳がふたつ。全身を包む毛も黒で、見るからに艶がよく上等なシルクのよう。
スラムで残飯を取りあった野良のやつと比べたらかなりの美人さんだけど、やっぱり猫はただの猫。感想としては『可愛いな』しか出てこない。
ていうかどう見ても、猫妖精さんじゃないの?
「反応が悪いにゃ。さてはお前、信じておらぬのか」
「ええと、どうなんだろうね。ハハハ……」
へらへら笑ってごまかそうとすると、オーサはふんと鼻を鳴らす。
猫なのに仕草がどことなくメグに似ていて、ぼくは懐かしい気分になってしまう。
とはいえ、今の状況はけっこう危ないかもしれない。
この猫が石にされていたのは事実で、つまり破壊神であろうがなかろうが――封印されるほどには強大な魔物、ということになるからだ。
……できるかぎり慎重に、対処しなくては。
「お前の願いどおり力をくれてやるというのだから、もっと喜ぶべきではにゃいか? ほれほれ、感激のあまりむせび泣き、四つんばいににゃって地べたに接吻してみせよ」
「待ってよ! 確かにいつも愚痴っていたけど、お願いしたのは今日だけだってば! それにあれはちょっとした冗談というか」
「冗談とはどういうつもりにゃ。やはりオーサを信用しておらぬのか」
「だって破壊神にしちゃ可愛すぎるから――」
そう言ってから、ぼくはしまった! と思った。
破壊神を自称する猫が『可愛い』なんて褒められたところで喜ばないだろうし、下手すると侮辱されたと感じるかもしれない。
現にオーサは全身の毛をぷるぷると震わせて「なんだと……」と呟いている。
これはまずい。
早く謝ったほうがいいかも。
ところが、
「そんなふうに褒められたのははじめてだぞう。ふふ、可愛いか。面と向かって言われると照れてしまうにゃあ……ぬへへ」
「あ、あれ? 意外と喜んでる?」
どうしよう。
オーサの反応が読めない。
この自称破壊神、やっぱりただの猫ちゃんなのでは?




