2-9 奈落の魔人
不安を覚えながら遠目で確認すると、先生がふらふらと近づいてきたのでほっとする。
でも魔法の盾で守っていたはずなのに、満身創痍。
「なんだそれは!! 貴様、そんな力を隠していたのか!!」
「違うんです違うんです。隠していたわけじゃなくて」
「スラムの未熟児ごときが舐めやがって! もう許さん、絶対ぶちのめしてやるッ!」
「いやさあ、降参したほうがよくね? たぶん勝てないっしょ君」
「黙れ! いや、口を挟まないでもらいたいね腐れ校長ッ!!」
ロッキー校長が絶妙なタイミングで横から茶々を入れたので、キデック先生はいよいよ激昂してしまう。
だけど全身血まみれだし、今にもぶっ倒れそう。
さっきの魔法をもう一発ぶちこんだら、今度こそミートパイの中身にしてしまうかもしれない。
不安を覚えたぼくは、先生に提案する。
「降参してください。力を制御できる自信もないし、手を汚したくないので」
「うううう――うがあああああああッ!!!!」
あれ、先生が絶叫。
髪をぐしゃぐしゃかきむしる姿は、完全にやばいやつ。
オーサがぼくの頭に乗ってきて、
「お前、けっこう煽るのうまいにゃ」
「いや、そんなつもりでは……」
だけど先生の様子を見た感じ、どうにも手遅れっぽくて。
懐から硝子玉みたいなものを取りだすと、いきなり地面に叩きつける。
なにごとかと思って眉をひそめると、
「裏社会の競売で手に入れた秘蔵の一品さ。校長、私も使い魔を呼んでいいんですよねえ?」
「おいおい君、それガチの悪魔を召喚する闇の魔法道具じゃん。あんだけ生徒にやれ処罰だと言っておいて、自分はためらいもなく禁忌に手を染めるのはどうかと思うよん」
「なにを言いますか! 私は選ばれし貴族にして天才の魔法使い、かたやクラウンくんはスラム生まれの無能な生徒! そもそもの前提からして違うのですよ!!」
砕けた硝子玉から怪しげな黒い渦が湧きでる中、先生は心底身勝手な理屈を披露する。
そこでオーサがぽつりと、
「悪魔とな。雑魚かつまらん」
「ハンッ! 身の程知らずな言葉だな。私がこれより召喚せしものは、一匹で都市を滅ぼしかねない上位の存在。お前のようなデブ猫では勝負にすらならんよ」
「あ?」
「我が呼びかけに応え、闇の境界より顕現せよ! ――奈落の魔人フズムカクニ!!」
地中より湧きでた黒い渦から、異様な姿の魔物が這いでてくる。
見あげるほどに巨大な、雄牛の頭をした半獣人。
全身が黒い鱗に包まれ、ところどころに開いた亀裂から、蛍火みたいに青い炎が燃え上がっている。
見るからに悪魔。禍々しい雰囲気。めちゃくちゃ強そう。
奈落の魔人が顕現したのとほぼ同時に、草原全体を包むように尋常でない魔力の気配がふくれあがり、ぼくは背筋が凍るような悪寒を味わった。
「グオオオーッ!!」
「うわあ先生、やばいやばいやばいって」
「今さら後悔したところで遅い!! フズムカクニは呼びだされたが最後、標的をくびり殺すまで暴れまわる!! 悪魔の手で生きたまま腸を引きずりだされるがいい!」
「いやそうじゃなくて、オーサが――」
さいきょうのあくまを呼びだして興奮しているのか、先生は聞く耳を持たない。
実を言うとフズムナントカはどうでもよくて。
召喚の直前、先生の言い放った言葉。
お前のようなデブ猫。
それを聞いたオーサが、全身の毛を逆立てたことのほうが怖ろしかった。
「しかし予想以上の凄まじさだな。もはや神と見まごうほどの膨大な魔力よ……」
「たぶんそれフズムさんのじゃないし、早くオーサに謝らないとほんとやば」
「そういえば、お前の使い魔は古代の神と同じ名だったな。馬糞をこねて作ったようなうす汚い毛玉の分際で偉そうに。奈落の魔人に格の違いというものを教えてもらえ」
この先生、罵倒が無駄に達者。
でっかいフズムさんがのっしのっしと近づく中、オーサがケタケタケタと笑いだす。
いっそ自分だけでも逃げようかと考える。
でも――その前に足がどぷんと沈む。
ぼくだけでなく、奈落の魔人まで驚いて声をあげた。
「グ……グオーン!?」
「フズムカクニよ、お前が空間を歪めたのか!? ハハハ! すごいなあ!!」
「ああ、もう手遅れだ……」
ロッキー校長は運よく難を逃れたのか、ぼくらのほかには黒い沼だけが広がっている。
オーサの姿が見えなくて、だけど突き刺さるような威圧感だけは感じて――奈落の魔人も同じ恐怖を抱いたのか、巨大な体躯をびくりと震わせて天を仰ぐ。
そしてべちゃりと、踏みつぶされた。
「は?」
召喚した使い魔が霧散したのを見て、キデック先生が唖然とする。
奈落の魔人をいともたやすく滅ぼした破壊の神は、しゃがれた声で囁きかける。
「おっとすまぬ、お前の玩具を壊してしまった。せめて詫びとして、代わりのものを与えるとしよう」
「待って! 先生をどうするつも――」
間にあわなかった。
オーサは前足で、先生をべしゃりとつぶした。
暗闇の中で爛々と輝く両眼は、ぼくにさえ殺意を向けている。
「オーサは神ゆえ、虫けらどもの言葉に耳を傾けるつもりはない」




