21 ファーストバイト
錦戸は個包装からアメを出し、手のひらに乗せた。
それを見て相原が錦戸に声をかける。
「あたしが誘導します。もう少し下の方がいいと思います」
錦戸はゆっくり手を前に差し出し、内側の円の中に入れた。
「あ、熱っ」
畑中が心配そうに「大丈夫?」と聞く。
「ええ、大丈夫です。熱めのサウナぐらいですわ」
風太が錦戸にアドバイスした。
「ちゃんと言葉をかけてあげてください。麒麟は人間の言葉がわかるはずです。アメは初めて目にするものでしょうから、食べられるものだと教えてください」
「わかりました」見えない麒麟に向けて「さあ、美味しいものをあげるわ。お食べなさい」
相原が「あ、興味を示しました。向きを変えます!」と、うれしそうに言う。
「アメを見てます。匂いを嗅ぎました。あ、舌を出しました。舐めてます!」
相原は、今度は畑中の方を見た。
「畑中先輩、今がチャンスです!」
「わ、わかったわ」
意を決して、畑中も内側の円の中に手を差し込んだ。一瞬、「うっ」と顔をしかめたが、我慢して手を少しずつ伸ばしていく。
「そこで止めてください。今度は右に。あ、行き過ぎました。少し戻って。ああ、戻り過ぎです。そこです。その位置で手をもう少し下げてください」
「相原さん、もっと下かしら」
「はい、もう少しです。あ、そこです。一旦そこで止めてください」
相原は風太を見て、「いいですか?」と訊いた。
「ちょっと待って。錦戸さん、麒麟に今から矢を抜くことを伝えてください!」
「え? あ、はい、わかりました」
錦戸はちょっと唾を飲み込み、麒麟に話しかけた。
「さあ、いい子だからジッとしてるのよ。今から、あなたの脚に刺さっている矢を抜くわ」
風太が相原に「様子はどうですか?」と尋ねた。
「はい、おとなしくしています」
「よし。そのまま一気に抜きましょう。相原さん、畑中さんに指示を」
「は、はいっ。では、畑中先輩、あと五センチ、手を伸ばしてください」
「わかったわ。あ、これね。掴んだわ。このまま引っ張っちゃっていいの?」
頭上からみずち姫が「破魔の矢には、鏃はない。引けば抜けるぞよ」と告げた。
「わかったわ。せーの!」
指先に力を込めた。
見ていた相原が、「やった、抜けました!」とガッツポーズをした。尚も実況を続ける。
「麒麟は、地面から五十センチぐらい空中に浮き上がりました。あっ、待ってください。体がどんどん大きくなってます」
それを聞いて、風太は安心したようにニッコリ笑った。
「麒麟はすでに封印から開放されたようです。みなさん、もう魔法陣から出ても大丈夫です。その後、結界を解きます」
畑中が頷いた。
「わかったわ。みんな一斉に出ましょう。玄田くん、相原さん、錦戸さん、いいわね。イチ、ニの、サン!」
四人が同時に円から出たが、見た目はなんの変化もない。
風太は、式神たちに結界を解くように指示すると、相原に確認した。
「相原さん、麒麟はどうですか?」
「空中でぐんぐん大きくなっています!」
風太は玄田にも「音楽はどうなった?」と訊いた。
「あ、音楽が変わったっす。えーと、なんとかの上のアリャリャとかいう曲みたいす」
玄田がそう言うと、畑中がニヤリと笑った。
「G線上のアリアね。でも、さっきはトッカータとフーガだったし、なぜ麒麟がバッハの曲を知っているのかしら?」
首を傾げる畑中に、風太も笑って答えた。
「それは逆かもしれませんね。バッハが、麒麟の鳴き声を聞いたのでしょう」
うっとりと曲に聞き入っていた玄田が、急に周囲を見回した。
「あれっ、変だな、同じ曲が遠くからも聞こえて来るっす」
その時、相原が黄昏の迫る西の空を指さして、叫んだ。
「遠くの方から、何か光る丸いものが、ジグザグに飛びながら、ものすごいスピードで近づいて来ます!」
風太は、ハッとした。
「そうか。『足跡は正確な円形で、移動する時には直角に曲がる』ということは、つまり」
相原が空を見上げた。
「もう真上に来ました。円盤のような形をしていて、黄色く光っています。メチャメチャ大っきいです」
一方の玄田は、耳を手でふさいだ。
「わああっ、音楽も映画館並みの大音量っす!」
もちろん、二人以外の者には何も見えず、何も聞こえていないのだが、その周辺は異常な熱気に包まれた。
「相原さん、麒麟は今どうしてる?」
風太が尋ねると、相原は視線を下に戻した。
「はい、もうアフリカにいる方のキリンくらいの大きさで、どんどん上昇しています。あ、上の円盤に丸い穴が開きました。麒麟がそこに吸い込まれて行きます。今、中に入りました。穴が閉じました。あ、円盤全体が、ピカピカ点滅しています!」
風太は満足そうに頷き、「四百年ぶりの、親子再会だ」と呟いた。
相原は必死に実況している。
「ああっ、飛んで行きます。すごいスピードです。消えました!」
急に力が抜けたように、相原は「なんだか夢でも見ていたみたいです」と溜め息を吐いた。
すると、錦戸が「いいえ、夢じゃありませんわ」と言って、手を差し出した。
そこには小さな歯形が付いたアメが乗っていた。




