プロローグ
大阪城の見えるホテルの一室。
そこは客室ではなく、事務所のようであった。
見事なほどキチンと片付けられた室内の窓際に、書類一枚に至るまで几帳面に整理整頓されたデスクがある。スチール製ではなく、重厚な色調の木材を使ったものだ。
今しもドアが開き、一人の中年の男が入って来た。短めの頭髪は櫛目まで綺麗に整えられ、上品な縁なしの眼鏡を掛けている。何よりもその男を特徴付けているのは、姿勢の良さであった。ピンと伸びた背筋を崩さず、ソシアルダンスを踊るように優雅に歩いてデスクの椅子に座った。
男は少し考えるとデスクの上のノートパソコンを開き、ピアニストのような優雅な指使いで何かメールを送った。
しばらくするとドアがノックされ、若い女の声で「錦戸でございます」という声がした。
男は、アナウンサーのような明朗な声で「どうぞ」と告げた。
「失礼いたします」
ストレートな長い髪の若い女が入って来ると、バインダーに挟んだA4サイズぐらいの書類を、男に差し出した。
「丹野インストラクター、これが先ほどご依頼のあった候補者たちのプロフィールです」
「ありがとう」
書類の表紙には、【接客マナー研修 グループホテル参加者】とタイトルがあり、その下に四名の名前が記してあった。
・レストランサービス 相原晴美 女性 二十一歳
・コンシェルジュ 畑中珠摩 女性 三十三歳
・ドアマン 玄田泰聡 男性 二十一歳
・フロントクラーク 広崎慈典 男性 二十五歳
丹野と呼ばれた男は表紙をめくり、二枚目以降に書いてある各自のプロフィールに、熱心に目を通している。
長い髪の錦戸という若い女は、何か躊躇っていたが、思い切ったように、丹野に声をかけた。
「あの」
丹野は、顔を上げて微笑んだ。
「ん? 何?」
「あ、いえ、どうしてそのメンバーをお選びになったのかなと思いまして」
その刹那、錦戸には、微笑んでいる丹野の両目が真っ黒な空洞に変わったように見え、声にならない悲鳴を上げた。
が、次の瞬間には、丹野の目は普通に戻っており、何事もなかったように「うーん」と笑顔のまま小首を傾げていた。
「まあ、ぼくの直感かな。いけない?」
「いえ、とんでもございません」
すると、丹野はニヤリと笑った。
「ぼくの秘書がそんな言い方じゃ困るね。そういう場合は『とんでもないことでございます』だよ」
「し、失礼しました」
丁寧に頭を下げて丹野の部屋を出た後、錦戸は小さな声で「錯覚だわ、きっと」と呟いた。




