12 バタフライ効果
一瞬、女性三名はギョッとしたようだったが、玄田が「誰に利用されたんすか?」と無邪気に訊いて、気まずくなりかけた空気が和らいだ。
「もちろん、その鍵を掛けた人物さ」
その風太の答えに、畑中が異議を唱えた。
「でも、それって四百年も前の話でしょう?」
「そうです。ぼくも最初、今回の事件の首謀者は、霊獣を利用しようとしている第三者ではないか、と疑っていました。しかし、それでは辻褄が合わないんです。そもそも、大坂城に霊獣が封印されているなどという記録は一切ありません。しかも、慈典が倒れた時の状況を伺うと、かなり特殊な封印のようです。したがって、封印をした本人が、封印を解こうとしている、と考えるのが自然です」
畑中が唇をへの字に歪め、「また、犯人は幽霊なのね」と呟いた。
「と、言うより、怨霊でしょうね。恐らく、この四百年の間、何度も何度も封印を解こうと試みたはずです。そして、今回が一番成功に近づいた。それだけに、まだ諦めていないと思いますよ」
玄田が「おっかねえ」と言いながら周囲を見回したので、風太は苦笑して手を振った。
「怖がらなくていいよ。と言うより、怖がらない方がいい。怨霊が憑依できるのは、よほど位相が合った相手だけだし、せいぜい一度に一人だ。むしろ、術者が何事かを為そうとする時は、因果律を操作するものだよ」
ポカンとしている玄田の代わりに、相原が、「どういう意味ですか?」と尋ねた。
「そうだなあ、風が吹けば桶屋が儲かる、って話は知ってる?」
「はい、なんとなく」
「意外なキッカケから、ドミノ倒しのように次々物事が起こり、最後に思いがけない結果になる、という話だね。数学的には、バタフライ効果という言い方がある。蝶々の羽ばたきが原因になって、遠くの方で竜巻が起きるかもしれないという、これまた有り得ない説だけどね。とにかく、ほんの少し因果関係に手を加えることで、何段階かの出来事の結果として、狙った効果を得ようするのさ。今回のことも、何年も、いや、何十年も前から、少しずつ少しずつ、因果を調整したと思うよ」
ちょうど運ばれて来た食後のコーヒーを飲みながら、畑中が風太に訊いた。
「どんな封印なのか、手がかりはあるの?」
「残念ながらまだですね。ちなみに、封印にもいろんなやり方がありますが、基本的に『符』というものを用います」
玄田が聞き返した。
「フって将棋の歩すか?」
「いや、音符の『符』の字だよ。今でも、『符合する』とか『符合しない』とかいう言い方があるように、これが合わないと封印は解けない。まあ、現代風にわかり易く言うと、パスワードだね」
「あ、わかった、好きなアイドルの名前とかですね」玄田はニヤリとした。
すぐに「バカ」と相原にツッコミを入れられた。
しかし、風太は「いや、玄田くんはいいことを言ってるよ」と笑った。
「現代のパスワードもそうだけど、簡単に他人にわからないようにしながらも、自分自身が忘れてしまわないように、なんらかのコジツケをする、ということだね。逆に言えば、そのコジツケがわかればパスワードは解けると思う」
玄田がほらね、という顔をすると、相原はプイッと横を向いた。
畑中が、後輩二人のやり取りに微笑みながら、風太に尋ねた。
「封印されたのは、やっぱり秀吉の時代で間違いないの?」
「恐らく」
「でも、大坂城は、その後、徳川家のものになったわけでしょう?」
「そうですね。ですが、もし、封印したのが徳川の時代であれば、せめて祠くらいは残っているはずです」
「うーん、じゃあ、豊臣以前という可能性はないの?」
「石山本願寺ですか。浄土真宗というのは、そもそも超常現象自体を認めませんから、可能性はないでしょうね。あっ!」
風太の右手が、細かくブルブルと震えていた。
それを見て、玄田が「怨霊の、た、祟り、すか?」と怯えた声を出した。
だが、風太は何故か嬉しそうに笑っている。
「みずち姫から連絡が来たみたいです。錦戸さん、すみません。ぼくに紙とペンを貸してもらえませんか?」
「はい」
錦戸は、上着のポケットからメモ帳とボールペンを出し、風太に渡した。
風太は「ありがとうございます」と言って、左手で受け取った。
メモ帳を開いてテーブルに置くと、ボールペンを震え続けている右手に持ち替え、ペン先を紙に当てた。すると、ミミズが這ったような文字が現れ、書き終わると、風太の手の震えはピタリと止まった。
畑中が「それって、いわゆる自動書記ね。見ていい?」と頼むと、風太は笑顔で「どうぞ」と渡した。
「ありがとう。さて、うーん、文字は三つかな。カタカナみたいね。最初は何かしら? ヤかな? いえ、これはたぶんカね。次は点が二つに斜め線だから、ツかシね。最後は、点が一つに斜め線だから、ソかンか。カツン? カシソ? ああ、カシンね。お侍の家来って意味の家臣かな」
風太はアルカイックスマイルで首を振った。
「カシンとは、結果の果に心でしょう。つまり、果心居士です」




