10 排他原理
風太は笑顔で「もちろん助けるつもりです」と答えた。
「そのためにも、原因を調べなくてはなりません。今でも、ほむら丸にはこちら側から、みずち姫には向こう側から、それぞれ調査してもらっているところです」
細切り肉入り春巻にかぶりついていた玄田が、「そもそも、向こう側ってなんすか?」と訊いた。さすがにもう諦めたのか、相原も止めなかった。
風太は「そうだなあ」と玄田にもわかるような説明を考えていたようだったが、錦戸に向かって、「食事中すみません。ちょっとお借りしたいものがあるんですが、いいですか?」と頼んだ。
「はい、何でしょう?」
「紙コップを何個か。それと大きめの下敷き一枚をお願いします」
「紙コップはすぐにご用意できると思いますが、下敷きは事務関係の部署を探してみます」
「ご面倒をかけます」
相原が、「あんたのせいよ!」などと言って玄田を軽く叩いた。だが、玄田はなぜ自分が責められるのかわからず、キョトンとしている。
畑中は、風太がどういう説明をするのか、興味津々のようだ。
ほとんど待たされずに錦戸は戻って来た。
「下敷きではないのですが、これでいいでしょうか?」
錦戸が持っているのは、A3サイズのチラシが入ったクリアケースだった。
「ああ、逆に、下敷きよりいいです。ありがとうございました」
「紙コップはこちらに」
十個の紙コップを受け取ると、風太は五個ずつに分けた。
上向きにした五個の紙コップを適当に並べ、その上にチラシが入ったままのクリアケースを載せ、さらにその上に残った五個の紙コップを同じように上向きに並べた。
「いいかい?」
豚の角煮を蒸しパンに挟んで、大きく口を開けて今にも食べようとしていた玄田に、横から相原がエルボーを入れた。
「痛てっ。なんだよー」
「今から説明してくださるのよ。ちゃんと聞きなさい!」
風太はニコニコ笑い「いいんだ、いいんだ。耳だけこちらに向けてくれればいい。みなさんもどうか、食事を続けてください」と促した。
「さて、このクリアケースの上をぼくらの世界、下を魔界としよう。三次元が二次元になってると思って欲しい。今はちょうどチラシが間に入ってて、お互いに見えない。特殊な能力を持った人、いわゆる霊感が働く人はチラシが透けて見えるらしい」笑顔で相原をチラ見し、「だけど、このチラシに穴が開いていれば普通の人にも見える。それが、怪奇現象や超常現象として報告される事件になる。さらに、クリアケースそのものに亀裂があれば、そこを通って行き来もできる」
風太は下の紙コップを一個取り出し、上の紙コップのさらに上を移動させ、下に戻した。
「今みたいに、魔界の存在がこちらに出て来ても、同一平面になければぶつからない。ぼくらは三次元で見ているから、下の紙コップが上に来たのが見えたけど、実際には、上の紙コップには見えない。だけど」
今度は下の紙コップをクリアケースの上に載せた。
「こうなると、同一平面だから上の紙コップにも見える。これが実体化だ。でも、こんなに百パーセント実体化することはなくて、普通はもう少し浮いてる。いわゆる位相がズレている状態だ。だから、ほむら丸やみずち姫のような式神も少し半透明になっているし、そのおかげで壁もすり抜けられる」
少しは風太の説明がわかったのか、牛肉のオイスターソース炒めを食べながら、ふんふんと頷いていた玄田が、「百パーじゃダメなんすか?」と尋ねた。
「いい質問だね」風太はニヤリと笑った。
「物質が優勢なぼくらの世界には、排他原理というのがある。同じ時間に同じ空間を二つの物質が占有することはできないんだ」
風太は、下から上に持って来た紙コップを滑らせ、別の紙コップぶつけた。元からあった紙コップは弾き出されてしまった。
「ただし、別の方法がある」
風太はアルカイックスマイルを浮かべると、下から移動させた紙コップを、上に元からある紙コップの一つにスッポリと重ねた。
「これが、憑依だ」
「あ、でも、なんかおじいさんみたいな声が、憑依じゃないって、言ってたすね」
「よく覚えてたね。それは、こういうことさ」
風太は、紙コップを一個テーブルに置いて、水が入ったガラスのコップを重ねた。すると、パンと音がして、紙コップは裂けてしまった。




