8 ランチタイムの邂逅
畑中は「やあねえ」と呆れたように笑った。
「玄田くんもホテルマンなら、ファーストバイトくらい知っとかないと。ちなみに、どういうことだと思う?」
玄田は困ったように「はあ」と下を向いたが、急に何か思いついたように顔を上げた。
「あ、わかりました。初めてのアルバイト、でしょう?」
畑中は、笑いながらちょっと怒ったフリをして、拳を上げた。
「もう、しっかりして。アルバイトはドイツ語よ。この場合のバイトは、食べ物なんかを『噛む』という意味よ。披露宴でケーキ入刀の後、新郎新婦がケーキを一口ずつ食べさせ合うセレモニーのことなの。新郎は『一生食べるのに困らせません』という誓いとして、新婦は『一生美味しい料理を食べさせます』という約束として、ね。もっとも」
畑中はニヤリとして「わたしは逆がいいけど」と続けた。
「はあ。わかりました。畑中先輩は料理が苦手なんすね」
畑中は「え? 記憶に残ったの、そこ?」と苦笑して、肩をすくめた。
二人のやり取りが終わったとみて、錦戸が「よろしければ」と声をかけた。
「広崎さんの状態もご心配でしょうし、相原さんの体調のこともありますから、館内のレストランをご利用になりませんか。グループホテル社員割引がご利用になれますよ。ああ、もちろん、そちらのお客さまの分も」
錦戸は手のひらで風太を示した。
畑中は少し考え、「そうね、お願いするわ」と頼み、笑顔を向けた。
「それなら、錦戸さんもわたしたちと一緒に食べない?」
「ありがとうございます。でも、広崎さんを一人にして置いて大丈夫でしょうか?」
錦戸が少し不安そうに訊いたので、畑中は尋ねるように風太を見た。
「大丈夫ですよ」風太は笑って「この部屋の中にいる限り、ですがね」と付け加えた。
広崎も頷いた。
「風太がいいと言うまで、絶対ここから出ませんよ」
風太は何か思い出したように「慈典、ひとつお願いがあるんだけど」と言った。
「なんだい?」
「髪の毛を少しもらってもいいかな?」
「はあ? まあ、いいけど」
風太は錦戸からハサミを借りて広崎の襟足の髪を少し切り、丁寧に和紙に包んでポケットに入れた。
その後、少し眠くなった様子の広崎に、何かあればすぐ連絡するように言い残し、全員部屋を出た。
錦戸の薦めで、ホテルの最上階にある中華料理レストラン、阿頼耶識に行くことにした。
途中、相原の部屋に立ち寄って様子を聞くと、だいぶ回復したとのことなので、一緒に行くことになった。
阿頼耶識の店内に入ると、小さめの個室に案内された。ラウンドテーブルの乗った丸いテーブルに、畑中・風太・玄田・相原の四人で座った。錦戸は少し遅れて来るという。
玄田が周りを見回して「へえ、壁紙が黄色っぽいすね」と珍しそうに言った。
いいところに気づいたという顔で、畑中がニッコリ笑った。
「黄色は皇帝色と言って、中国では、昔は皇帝にしか許されなかった高貴な色なのよ」
畑中の説明がわかったのか、わからなかったのか、玄田は曖昧にうなずいた。
「先輩、ムダですよ。玄ちゃんは全然わかっていませんから」
少し元気が出てきた相原が、笑いながら突っ込んだ。
「あら、そうかしら」
「そうですとも。例えば先月のことですけど、お祝いのパーティーにお花を贈りたいというゲストがいらして、どんな花にするか迷っているので、ちょっと教えて欲しい、と玄ちゃんに尋ねられたそうなんです。『三階宴会場の陣内先生のお祝いの会は、確か米寿でしたね?』って。すると、玄ちゃんは『いいえ、ベージュじゃなくてオフホワイトです』って答えたらしいんです。宴会場の壁紙の色を聞かれたと思ったんですって」
畑中が声を上げて笑うと、言われている当人の玄田も笑った。
そこへ最初のメニューの前菜の盛り合わせが運ばれて来た。
畑中が「錦戸さんから、先に食べ始めて欲しいと言われてるから、いただきましょう」と声をかけた。ラウンドテーブルを回しながら、各自で取り分けていく。
「相原さん、体の調子はどうなの」前菜を食べながら、畑中が聞いた。
「はい、もう落ち着きました。それに阿頼耶識の料理が食べられるチャンスを逃したくありませんから」
「元気が出て良かったわ。風太さんも、遠慮なくじゃんじゃん食べてね」
「ありがとうございます」
「ああ、そうだわ。この前はバタバタしてできなかったから、名刺交換しましょうよ」
畑中は立ち上がり、「改めましてよろしくね」と言いながら名刺を差し出した。
【コンシェルジュ 畑中珠摩】
「名前は『すま』よ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
風太も立ち上がり、名刺を出した。
【傀儡師 半井風太】
相原と玄田も名刺を出した。
【レストランサービス 相原晴美】
【ドアマン 玄田泰聡】
「自分の名前は『やすあき』っす」
風太は少し首を傾げた。
「ええっと、ドアマンって、ホテルの玄関に立って、お客さんを案内する人だよね?」
「そうす。まだ、新米っすけど、お客さまには顔を覚えてもらいました」
すかさず相原が「逆じゃん!」と突っ込んで、皆の笑いを誘った。
前菜が終わり、フカヒレのスープが来たのを見て、玄田が目を輝かせた。
「これが大好きなんす!」
中華用のスプーンでスープを飲み、「うんまっ!」と唸った。
そこへ錦戸が入って来たが、後ろに誰かを連れて来ているようだった。
「お待たせしました。食事中にすみませんが、上司の丹野が、半井さまに一言ご挨拶したいと申しておりますので」




