歪み。
もうすぐ離宮に辿り着く。
そう思ったところで、背後から伸びた手に腕を取られた。
「……やっ!放しっ」
強引に引き寄せられて、拒絶の声を上げるけれども、その声はすぐに重ねられた唇によって塞が
れる。
「……んん!」
くぐもった声を上げ、メリッサは手を突っ張って身体を離そうとする。
けれどその手もあっさりと捕まえられて。
「メリッサ、頼む。話をさせてくれ」
息が上がるほどの口づけの後に、覗き込むアイスブルーの双眸と無理やり目を合わせられた。
顔を振って背けようとしても、頭の後ろに回された手に、がっちり固定されていて動かない。
「話すことなんてありません」
声が震える。
あんなにも会いたかった人なのに。
恋しくて、愛しくて、自分の全てを捧げてもいいと、そう思っていたはずなのに。
今は、
ーー怖い。
クロイスが何を考えているのかがわからない。
(……どうしてあんなことができるの?)
ヘルトに対しても、メリッサに対しても。
クロイスは帝国の公爵で、あの駐屯地の最高責任者だ。
だから、駐屯地に対して危害を加えたヘルトに対し処罰を与えるのはある意味当然のこと。
だがそれならメリッサの知らぬ場でメリッサを巻き込まずに行ってほしかった。
(知りたくなんてなかった)
クロイスは軍人で、魔王とまで呼ばれる人で。
メリッサに見せていた顔だけが、クロイスの全てなはずはないのだ。
きっと。
クロイスは自身が必要だと思えばどんなことでも躊躇わずに行うのだろう。
それがメリッサにとっては許し難いどんな非道な真似であっても。
(……あぁ、そうか私……)
メリッサが何よりショックだったのは、クロイスの知らなかった顔を見てしまったこと。
知らなければ、メリッサに見せる側面だけを見て、こんな風に怯えることも、怒りを覚えることもなく、ただ好きでいられたのに。
(お願いそんな瞳でみないで)
そんな縋るような瞳をしないで。
心が、揺れてしまうから。
「メリッサ、そんなに泣くな」
「……誰のせいですか!」
思わず怒鳴ってしまった。
すると、堰を切ったように言葉が身体の内から溢れ出す。
「どうしてヘルト殿下を病にさせたんですか?いったいどうやって?何を思って私に会わせたんですか!何故私に……選べ、なんてーー」
「お前が助けることを選ぶと知っていたから」
「そんな……」
クロイスの指がメリッサの頬を撫でる。
その指が暖かくて、どこまでも優しくて、また涙が溢れてくる。
今度は振り払うこともできなかった。
もう、気づいているから。
わかってしまったから。
(馬鹿だわ。私)
キライと、言えないのだから。
「俺は、お前が許せないと思うことでも平気でする。奴にしたことも、良心の呵責などというものは覚えない。あれが苦しんでいるのを見てもなんとも思わない。あのまま死んでも、それをどうとも思わない。ーーたぶん俺はとっくにおかしくなってるんだろう。必要なことならこの先も躊躇わない。むしろこのままならより酷くなるだろうな」
「……クロイス?」
「ヘルト・アルバッハ。あれは帝国に対し唾を吐いた。ただ処刑するだけでは足りないだけの真似をした。……お前にしたことの落とし前という意味も少しはあったが」
自分にしたことへの落とし前、という言葉にメリッサは俯く。また、怒りに我を忘れて罵ってしまいそうで。
「誰もそんなこと望んでいない」
と、そう喉もとまででかかったのを、飲み込んだ。
「王国側はもともとあれをこちらに処分させるために砦に寄越したんだ」
「……え?」
「あれが何か仕出かすことを見越してな。だからわざわざただの兵士として処理して構わないと封書まで寄越した。あれをこのまま生かしておくのは都合が悪い。かといって王国の手で処分するのもまた都合が悪い。だから、帝国を利用して処分しようとした」
「そんな……」
まさか、と呟き顔を上げてクロイスを見つめた。
「だがこちらもそう王国の、いや王族の都合のいいように利用されるわけにもいかない。だから周りが納得するようにあれに人……いやあれを病にかかるよう仕向けた。王国側に生きて引き渡すために」
驚きに一瞬とめどなく溢れていた涙が止まった。
赤く腫れた瞳をぱちぱちと呟きすると、ポロリと目尻に溜まった涙が頬を落ちる。
「あれがしたことは本来処刑以外に選択肢のない罪だ。なまなかな処分では発病者たちやその周りの人間は納得しない。もう少し早い時期だったら薬が手には入らずに死んだ人間は両手両足の数では足りなかったはずだ。当然だろう?」
確かに、自分たちの命がかかった薬を焼かれたのだ。それを軽い罰で済まされたりしたら、当事者たちも、他の人たちも、納得はしない。出来るはずがない。
「……」
つきんと胸が痛んだ。
メリッサを見つめるクロイスの瞳があまりにも哀しくて。
そっと引き寄せられて強く抱きしめられる。
「俺は歪んでいる。人の死に慣れすぎた。ずっと、戦場で生きてきたからか。何をしても感情は対して動かない。きっともっと酷くなっていく」
「クロイス?」
「スマン。ただの言い訳でしかない。俺はただお前に自分がこういう人間だと知ってほしかった。お前に奴を助けてほしかった。……俺を怒ってほしかった」
顔を見たいと思った。
クロイスの瞳を見たいと。
その表情を。
低い声が、メリッサを抱きしめる指が、微かに震えているように感じられたから。
けれど抱きしめる手はメリッサの頭を胸に抱え込んでいて。
上を向かせてくれない。
まるで顔を見られたくないと言うように。
「ーー怖いんだ、自分が。このまま何も感じなくなっていくことが」




