流行り病とコモイタチ。
(……やっぱり)
カシムの住む村は村というよりも幾つかの家族がより集まって生活する五世帯と二人の老人がそれぞれ家を持つ集落だった。
カシムに案内されたメリッサが家というより掘っ立て小屋といった風情の一軒に入ると、中で寝かせていたはずのカシムの母親はおらず、平べったい布団だけが残されており、二人はすでに遅すぎたのか、カシムの母親はカシムが出ている間に亡くなってしまって他所に移されたのか、と大層焦る羽目になった。
が、すぐにカシムの帰宅に気付いた弟の一人が顔を出し、それが杞憂であったことを教えてくれた。
カシムの家族は母とカシム、弟が二人。
父親は二年前に流行り病で他界。
その頃にはこの集落にも十世帯ほどの家族が住んでいたが、流行り病により半数が減った。
「ニイちゃん大変だよ!」
カシムと同じ髪と目を持ったミニチュア版といった感じの5才ほどの子供は、カシムの姿を認めるなりそう言って走り寄ってきた。
「シムラ!お母さんは!?まさかっ?」
「あ、ううん。お母さんは大丈夫。……って大丈夫ではないけど。ニイちゃんが出ていった時と同じ。けど隣のタミアおばちゃんとユーナもお母さんみたいに熱を出してお腹痛いって倒れちゃったんだ!後、樵のネスタおじさんも!みんなが流行り病だって大騒ぎになってる!お母さんや倒れたみんなは村長さん家に移されてるよ!」
メリッサは唇を噛んだ。
思っていた通りだ。
このままだと病人はもっと増える。
カシムから聞いた情報を元にメリッサが推測している病であれば……。
「その村長さん家に連れて行って!後、村の人たちに伝えて。ーー沢の水を飲んじゃダメって!手を洗う時も料理に使う時も飲み水にする時も必ず一度しっかり沸騰させてから使うように。わかった?」
「お姉ちゃん薬師さん?わかったよ!ボクみんなに伝えてくる!」
クルリと身を翻すシムラを見送って、メリッサはカシムの案内で病人が集められているという村長の家に向かう。
集落の中では一番大きいのだろう。
比較的しっかりとした家に近いーーそれでもメリッサの感覚からすれば家というより馬小屋に近い、平屋の中に病人たちは並んで寝かされていた。
まだ症状が出て間もないのだろう6才くらいの女の子が入ってきた二人を見て「カシムお兄ちゃん!」と声を上げ、上体を起こした。
「こら!ちゃんと寝てろ!」
まだ元気のあるその様子にほっとした顔を覗かせてカシムは叱りつける。
家の中には病人の他に誰もいない。
流行り病の怖いところはこれもある。
皆、自分や家族に移るのが怖いから、病人に近づかない。こうして一ヶ所に集めて隔離して放置する。
きちんとした治療院のある町ならそこに連れていけば良いが、こうした小さな集落や村では流行り病の病人はまともな看護も受けられず、その数多くがそのまま死んでいく。
メリッサは背に負った薬箱を床に置くと、迷わず内に入っていく。
薬師がここで怖じ気づいたら病人たちは死ぬ。
一番奧に寝かされているのがカシムの母親だろう。
明らかに容態が悪い。
息は荒く、顔は熱で真っ赤。
腹を庇うように丸まって、唇からは喘ぐようにか細い呻きが途切れなく漏れ出ていた。
メリッサはカシムの母親の脇に腰を下ろすと、
(……頚、喉、腋の下、肘の裏、膝裏、胸元、脇腹、背中)
一ヶ所ずつ、頭で確認しながら布団をはぎ、服をめくりながら診ていく。
(良かった。湿疹はない)
カシムの母親の肌は熱で赤みはあるものの、その表面はどこも綺麗だった。
ついでメリッサはカシムに手伝ってもらって母親の身体を仰向けにさせる。
腹の辺り、特に下腹部の辺りを手で探りながら触診していく。
(少し腫れてる。でもコブは見当たらない)
メリッサは頭の中で幼い頃から何十回、何百回と読んだ医学書の頁を忙しく捲っていた。
その手がある頁で止まる。
「……お、おい!あんた!薬師なのか?」
と、そこに一人の老人が戸口に現れた。
だが、老人も、その後ろからやってきた大人たちも怯えた様子で覗くのみで入って来ようとはしない。
「大丈夫です。この病は空気感染はしませんから」
メリッサは老人たちに声をかけながら、道すがらカシムに聞いたことを思い出す。
「井戸が水が減って、近くの沢の水を……」
「沢の側でコモイタチを見かけたんだ。不吉だからってすぐに追い払って……」
「この辺りにはコモイタチが山から禍を連れてくるって言い伝えが……」
「この村には井戸が一つで、その井戸は水量が安定しなくて、でも村の側に沢があるから、いつも井戸の水が少ない時は沢の水を使う。これまでも飲んだりしても平気だったから」
コモイタチが山から禍を連れてくる。
この辺りでは、昔から同じような流行り病が起こることがあったのだ。
そして昔の人は知識はなくても、悟っていた。
病にコモイタチが関わっていることを。
だから、そんな言い伝えを残した。
「……大丈夫です。これはコモイタチのフンが原因の寄生虫ですから」
メリッサは立ち上がって置いていた薬箱に向かいながら、老人たちにそう言った。