選択。
それは確かにヘルト王子だった。
くすんでしまってはいるけれど所々は明るく日に煌めく金の髪も、淀んで落ちくぼんだ翡翠の瞳も、やつれてはいるけれど端正な顔も。
「ヘルト殿下?」
メリッサは走り寄って、けれどあまりの変貌ぶりに少し手前で足を止めてしまった。
それでも彼から臭い立つ臭気に息が詰まる気がする。
「……ぁァ?」
メリッサの声にギクシャクと横に向けた口元から顎には垂れ流された吐瀉物がこびりつき、白いそれだけは不自然にシワのないシャツにポタリポタリと黄色いシミが着いていく。
「……何が」
「あ?……メリ、サ?」
ボソボソとした掠れた声で、ヘルトはメリッサの名を口にすると、突然カッ!と血走った瞳を見開いた。
「そう、か!そ……か、おば、え……がぁっ!」
ズルリ、ズルリと地面に這ったまま、ヘルトはメリッサの足元に肘を動かして近づいてくる。
言葉を発しながらも口の端からは涎と吐瀉物の混じった粘液がずっと溢れていた。
あまりの衝撃に足が竦んで動けないでいるメリッサの身体をクロイスの腕が抱え込んでその胸に引き寄せる。
「……はっ、きざ、ば!そのおどごにぃ、ごびぁうーだ、のが!おばえの、ぜぃで、俺はぁぁ!」
もはや何を言っているのか聞き取ることさえ難しい。けれど血走りギラギラと光る瞳を向けられて、メリッサの身体に怖気が走った。
「何を言っている?ただの自業自得だろう」
静かな低い声に、メリッサは顔を上げた。
間近に見上げたクロイスの顔は、静かで冷ややかな表情を浮かべている。
動揺一つない冷静なアイスブルーの瞳。
その双眸に見える暗い光に、メリッサはすぅ、と自身の頭が冷えるのを感じた。
「クロイス様」
メリッサの声に含まれた剣呑な響きに気づいたのか、クロイスの視線が下げられ、目が合う。
「殿下に何をしたのですか?」
「……」
「答えて下さい」
「少し懲らしめただけだ」
ふぅ、とメリッサは息を吐いた。
「クロイス様。森で私がヘルト殿下にお会いした時は、殿下は発病していませんでした。潜伏期間があるといっても発病してから今の殿下のような状態になるにはだいたい二週間前後。もし殿下が帝国軍に引き渡される前に寄生されていて潜伏していたとすればすでにお亡くなりになっているはずなんです」
お亡くなりに、というメリッサの言葉に、ヘルトの顔がぐにゃりと歪んだ。
「亡ぐな、……死?」
濁った翡翠の瞳からぼろぼろと涙を流し始めたヘルトへ視線を向けてから、メリッサはクロイスに向き直る。
「帝国軍では捕虜の扱いはどうなっているのですか?」
「捕虜といってもその階級によって扱いは違う。これについては王国側から最下級の兵士に対する扱いで構わないとされていた。つまり、殺そうがどうしようが問題にしないということだ」
「だから、わざと病にかからせたのですか?」
そういうことなのだろうと思った。
コモイタチによる寄生虫はある程度気を付けて入れば比較的容易に予防ができる。
水を一度煮沸してから飲むこと。
何かを口にするときは必ず煮沸した水で手を洗うこと。
肉などはしっかりと火を通してから食べる。
野菜類は煮沸した水で洗ってから、できれば軽く湯通しして食べる。
たったそれだけだ。
要するに寄生虫の卵がついている可能性のあるものをそのまま口にしない。
たったのそれだけ。
そして帝国の駐屯地においてそれらは徹底されていた。
「ああ」
「……治療は多少されているようですが、薬も飲ませていませんね?」
「そのことだが」
クロイスはベストの内ポケットから一つの小瓶を取り出して見せた。
「これをその男に飲ませるかは、メリッサ、お前が決めろ」
クロイスの言葉にメリッサは目を見張ってクロイスが胸の前に掲げた小瓶を見つめた。




