治癒魔法。
「おや、眠り姫ですね」
意識をなくしたメリッサを腕に抱いて調合室を出たクロイスに、背後から声が掛けられた。
クロイスは視線だけをそちらに向ける。
明るい金の髪に、翡翠の瞳。
女受けの良さそうな、クロイスのような軍人からすれば軟弱な印象も受ける線の細い顔は片親だけ同じの弟と良く似たクロイスにとってはそれだけで苛立ちを感じさせるもの。
コルト・ケーリカ。
王国の第二王子であり、公爵であり、二年前からクロイスの狗の一人である男は、軽く膝を折り略式ではあるが、臣下の礼をとってみせる。
「準備は」
「滞りなく」
ふん、とクロイスは鼻で笑った。
「今回は、不手際がなければいいが」
多分に嫌みを含んだ声音に、ほんの僅か、コルトの頬が引きつる。
「ご心配なく」
「だといいが。……ああ、貴様の弟を連れてきているぞ?明日にでも引き渡せばいいか?」
「ーーそちらで処分して頂いても良かったのですがね」
「冗談じゃない。面倒事を押し付けるのは止めてもらおう」
「ああ、本当に面倒です。……父や宰相がまた妙な情をかけなければ良いのですが」
そう言って、コルトは大袈裟に溜め息をつく。
「どうせなら死んでおいてくれれば良かったのですがね」
芝居がかった物言いに、クロイスはアイスブルーの瞳を細めた。
「……随分な違いだな」
二年前。
この男は母親の同じ妹のためには敵国の魔王にすら秘密裏に膝を折った。
ディアナ・アルバッハ。
この男の妹であり、王国の第二王女である少女は一度死んでいる。
レディナがあれば助かることはわかっていても、その素材は揃えられても、調合できる人間がいない。
王国の薬師とその技術では延命すら不可能だった。
そこでこの男は秘密裏にクロイスに接触を図り、助けを乞うたのだ。
クロイスがそれを受けたのは気まぐれに過ぎない。
いかにも矜持の高いこの男を狗にしてやったら面白いかも知れないと思っただけ。
結果としてクロイスはコルト・ケーリカがディアナ・アルバッハが生きている限り、クロイスの狗になることを条件にディアナに治癒魔法を施した。
ただし魔女の治癒魔法を持ってしても、ディアナの病はあくまでも延命しかできない。
薬が施した魔法は言うなればディアナの体内の状態をおよそ二年分、戻したに等しい。
それもしっかりと相応の対価と引き換えに。
ディアナ・アルバッハは一命を取り留めた上に二年間の時間を与えられたが、同時に寿命から二年を失った。この先彼女が薬を手に入れて病を完全に治癒したとしても、戻された二年の時間は彼女の寿命から必ず引かれることになる。
それでもディアナが本来ないはずの二年という時間を手に入れたのは、この男がクロイスに助けを乞うたからだ。
気位も矜持も高い、生粋の貴族らしい男が。
敵国の、よりによって魔女になぞ頭を下げ期限付きとはいえ忠誠を誓ってまで。
「……嫌いなんですよ。昔っから」
コルトはそう言って忌々しげに舌打ちをする。
「馬鹿で愚かで甘えたで。あれと半分とはいえ同じ血が流れていると思うとゾッとしますね」
「なるほど」
クロイスは唇の端を上げた。
「だから、国王があれを臣下に落とすだけに留めたことが気にくわなかったか?」
クロイスの言葉にコルトの顔色が僅かに変わった。
メリッサを腕に抱いたまま振り向いたクロイスに膝を折り頭を下げたまま、硬直する。
「コルト・ケーリカ。貴様はマリエラの侍女から証拠の茶葉と計画の詳細を記した文章を手に入れたのだったな。……おかげでメリッサの冤罪が証明されたのだったか」
カツカツとゆっくりとした足音が廊下に響いた。
コルトの傍らに、長身の黒い影が立つ。
「それを手に入れたのはいつだ?」
「……それは」
「貴様は知っていた。知っていて、止めなかった。弟をより追い落とすために。違うか?敢えて泳がせたんだろう?貴様の狙い通り奴はメリッサとの婚約を破棄して罪を捏造した。だが、その後は頂けないな。メリッサを追い出させた挙げ句行方を見失った」
コルトは一つ息を吐き出して顔を上げ、肩をすくめた。
「確かに不手際でした。ドヴァン男爵がああも早くその女性を追い出すとは予想外だったんですよ。まさか金のなる木をあっさり手放すとはね。……勘当し追い出したフリをしてどこかに隠すものとばかり。そこを保護する予定だったのですが」
「……保護、か」
ふん、とクロイスは嗤う。
「ええ。保護、です」
「まあいい。その不手際のおかげでメリッサが駐屯地に来たのだから。貴様にはまだ役割もあるしな。だが忘れるなよ?ーー五年だ。五年で我が帝国の示した条件を果たせなければ。役にも立たない王族も貴族も必要ないということを」
「もちろん、わかっています」
コルトは深く頭を下げて膝を床に着いた。
その肩は傍目にも明らかなほど強張っている。
クロイスはその背を一瞥してから踵を返した。
離れていく影に、コルトの緊張がほどけていく。
「ああ、そうだ」
ふいに振り向いたクロイスに、緊張のほどけかけたコルトの肩がびくりと跳ねた。
その様子に小さく笑って、
「中にレディナが置いてある。早く飲ませてやるといい」
そう続けたクロイスの言葉に、コルトは弾かれたように立ち上がると一度頭を下げ、部屋に駆け込んでいった。
弟のことは殺したいほど嫌いなクセに、妹のことは真実大切らしい。
「歪んでるな。まあ」
ーー俺も他人のことは言えないが。
「……ん」
腕の中で、メリッサがむずがるように小さく身動ぎする。
その髪に一つ口づけを落として、メリッサ愛しい少女をベッドへ運ぶべく、クロイスはその場を後にした。|




