逃げ出した人たち。
「……逃げた?」
「はい」
こくり、今現在衛生班のリーダー的役割を担っているらしい痩せた男性は、そう頷いてみせた。
「逃げたって、……逃げたんですか?」
「はい。3日ほど前に」
「なら今ここに薬師は……」
「いません。あ、でも虫下しの薬は一応在庫を置いていってくれたので、今のところはまだなんとかなってるんですけど」
どこが?
まったくなんとかなってない気がしますけど?
喉元まででかかったツッコミを飲み込む。
なんとかなってるという認識からしても、責任者が逃げ出す前から似たような状態だったのがわかる。
彼ら的には薬さえあって、寝かせておけるベッドがあればなんとかなっているのだ。
(……あれ?頭痛がしそうなのだけど)
平民の村ならこういうこともあるのかも知れない。
実際、かシムのもともといた村などは規模は違えど似たようなものだったと思う。
けれどここは曲がりなりにも王国の砦の一つで。
「えぇ、と、とにかくこんな状態だと、別の疫病が広がりかねません。でなくても身体の弱った状態ですし。もう少しせめて清潔にしないと。それに1日に何度か換気も必要です!こんな所で疫病が広がったらあっという間に砦中どころか他にも蔓延してしまいます!」
そうしたら一番危険なのは帝国の駐屯地であり、開拓村だ。
なんとかわかってもらわなくてはと、メリッサは身振りを交えて説明する。
とりあえず頭に血が上って強引にイアンを巻き込んで換気はしたけれども。
「ーーまあ、それはそうかもなんですけど。人手が足りなくて。衛生班はもう5人しか残ってないし」
ポリポリと頭を掻いて男性が言うのに、メリッサは「5人?こんな大きな砦でたった?」と目を見開いた。
(え?帝国の駐屯地は30人以上いたけど?)
それも専任の薬師と兵士だけで。
治癒魔法の衛生班を合わせると100を超えていたのだけれど。
「薬師は皆逃げ出しました。だいたい引き上げた貴族について早い段階で出て行った者が多いです。最後に残っていた一人も3日前に」
「どうしてそんな」
メリッサが絶句していると、男性は傍らにいたイアンと顔を見合わせて苦笑する。
「ここはもともと捨て駒なんですよ」
「捨て、駒?」
イアンが簡単に説明してくれたところによると、
ウェルダール砦はもともと下級貴族の二男や三男あたりが僅かに上官としているだけ。残りの大半は徴兵されたり借金の肩に奴隷となった人間なのだそうで。
「ここはそれでなくても辺境ですし、破られても後ろには山もあって大軍は進軍しにくいし、中央に向かうまでには他にもっと防衛に適した砦や街があります。なのでもとから重要視されてないんです。だから最初から中央の重要な貴族や人物は来ないし、まともな整備も人員も何もない。その上やって来たのが帝国の魔王でしょう?」
貴族や手に職を持つ薬師といった人間はその段階で怪我や病気といった適当な理由をでっち上げて逃げていったのだという。
「残っているのはもう徴兵された平民とか奴隷がほとんどですよ。僕も平民ですし。あ、中佐は貴族様ですけど。最近来られたんですよね。多分王子様が来られたからそれで来ることになったんだと思いますけど。その王子様が……ちょっとやらかしたというか、まあ、色々あって。余計に人が減って」
現在残っているのは徴兵された平民や奴隷といった逃げ出すと故郷や家族まで罰を受けたり逃げたところで路頭に迷うような人間か、帝国車の進路上に村や町のある人間か。と、イアンは指を折る。
「正直もう早く交渉が成立してくれるのを皆待ってる状態なんです」
「だからってこのままじゃ」
交渉が成立するよりも前に、疫病の温床になっていそうだ。最悪兵役を解放された人間が疫病を持って村や町へ帰りでもしたら、国中に広がってしまう。
「なんとか、しましょう」
メリッサはむん、と拳を握って主張したけれども。
「人手が足りませんよ」
諦め顔で男性が首を振る。
「衛生班以外の人に手伝ってはもらえないかしら」
うむむ、とメリッサは呻く。
手は開いていると思うのだけど。
戦いは中断されているのだから。
「そうですね。……何か、あれば」
イアンも悩み込んで、「そうだ」と顔を上げた。
何故かキラキラした瞳でメリッサを見つめる。
「ご飯!ご飯ですよ!女性の手作りのご飯が食べれるってなればきっと手伝ってくれる人がいると思います!」
「……へ?」
キュッと手を握られて、メリッサは間抜けな声を上げた。




