ウェルダール砦の実情。
(診療所)
砦内の、診療所。
あ、ダメ。
(ダメだ、私)
うずうずしてしまう。
診療所というのは、その主によってそれぞれ少しずつ違う。
地域によっても違う。
例えば師匠の診療所は小さな待合室と簡素な椅子とベッド、薬棚が並ぶだけの診療所。その二階の倉庫は対称的に本棚と雑多な素材や器具、布が所狭しと床を占領している。
以前手伝いをさせてもらったことのある師匠の知り合いの女性薬師の診療所は子供の患者が多いとかで、壁はカラフルに色を塗り、大小のクッションや絵や簡単な単語だけの絵本、積み木の玩具が並んでいた。
駐屯地の診療所は巨大な天幕の中にベッドを並べただけの空間。だけど天幕には二カ所の出入り口が作られて朝昼夕と三回は括り上げて換気ができるようになっていたり、患者の状態によってベッドの位置を分けられていたりと工夫が成されていた。
一番奥に症状が出たばかりの患者。
次が薬待ちの少し症状の重い患者。
薬は服用したけれど、まだ症状の残った患者。
症状もほぼ治まって様子見と安静のみの患者、というように。
それぞれにそれぞれの特徴があったり差異があったり工夫があったり。
勉強にもなるし、参考にもなる。
地域によっては棚に並べられた薬草にも違いがあるし、処置に使う道具にも違いがあったりして。
これも一種の職業病か、メリッサが変なだけか。
診療所と聞くと、気になってしまうし、できれば見たい。
まして普通ならこのような砦内の診療所なぞ。
(絶対見れないものね!)
やはり室内とはいえ、帝国の駐屯地のような形になっているのだろうか。
今は特に、流行り病の患者がいるはずだし。
邪魔にならないようには気をつけなければならないが、少し見学させてもらうくらいなら……。
「構わないのなら」とメリッサはイアンに診療所を案内してもらう。
けれど少し歩いた所で漂ってくる臭いにどことなく嫌な予感がした。
胃の腑を刺激する、淀んだ臭い。
「あそこですよ」
そう言ってイアンが指差した部屋。
廊下側にも大きな窓がある。
そこに見える窓の奥。
窓越しにもわかる惨状にメリッサは危うく悲鳴を上げるところだった。
解放はされたけれど、繋がれていたせいで赤くなった手首を伸ばして思わずイアンの首根っこを掴む。
「メリッサさ、ん?」
様付けは止めてくれるように頼んで、けれど語尾はまだ様、と言いかけて訂正しているイアンが戸惑った様子で少し苦しげな眼差しを向ける。
「ちょ……っと待って」
手に持った袋から手ぬぐいを二つ取り出すと有無を言わせずイアンの口を覆った。
キュッと後頭部でしっかりと結びつけ、自分も同じくしっかりと口を覆う。
「ダメよ、あんな所。そのまま入ったらそれこそ病気になる!」
「……へ?」
イアンはキョトンとしている。
(この反応からして、ここではアレが普通なんだ)
有り得ない!
清潔第一な場所のはずなのに。
(有り得ない!)
薄汚れ埃の溜まった床。
色の変わったシーツ。
メリッサはふるふると震える両手に握りこぶしを作ると、ずかずかと診療所のドアに突進した。
激しい音を立てて開かれたドアに、内にいた複数の人間が視線を寄越す。
それらを無視してメリッサは後ろで固まっているイアンに声を上げた。
「イアン!とりあえず窓!窓全部開けて!!」
室内に踏み込みながら、メリッサはざっと辺りを見回した。
一応は糞尿や吐瀉物に関しては片付けているようだが、最低限そのものを片付けたり適当に拭き取っただけ。ろくに換気をしていないらしく空気が淀んでおり臭いがこもっている。
部屋中ぎゅうぎゅうに詰め込まれたベッドには患者が寝かされているが、そのベッドもシーツや枕は黄ばみ、吐瀉物を拭いた跡がそのまま残っていたりする。
男所帯怖い、とは思っていたけれど。
(これは酷すぎるわ)
もはや男ばかりだとかそんな話ではすまないだろう。
「……自由にしていいって言ってたものね」
きっと、あの自由に、は少しばかり意味が違うだろうが。
「させてもらうわよ」
メリッサは近くにいた衛生兵らしき男を捕まえると、完全に据わった目を向けて、
「ここの責任者は誰?出しなさい」
と低い声で命じた。




