暗躍。
薄暗い部屋の中、男性はギシリと音を立てて一人掛けの椅子に背を凭れさせた。
シンプルで華美ではないが質の良い調度品が並ぶ部屋。床に敷かれたオフホワイトの絨毯は毛足が長く、汚れ一つない。
「……そう。今度は大丈夫なんだな?行方不明な間にとんだ大物捕まえてるから、また捕まえ損ねましたとかなったら国ごとヤバいんだが?」
ーーちゃんとわかっているか?
他には誰もいない部屋の中。
独り言というには明らかに誰かと話している様子で、青年は言葉を続けた。
「ああ、そう。良かった。……へえ、面白いね?さすが帝国の魔王を捕まえただけのことはあるのかな?」
クスクスと笑って男性ーーコルトは手にした小さな魔道具を手の中で転がす。
「ちょうどいいから聖女にでもなってもらおうか?ウェルダール砦を救った聖女様。……うん、いいかもね」
自身の思いつきに満足そうに頷いて通信中の部下に指示を出す。
ふっ、と手の中の魔道具から表面に浮かび上がっていた紋様が消えた。
通信が切れたという証。
「しかし便利なことだ」
王都からウェルダール砦。
早馬を飛ばしても10日はゆうにかかる。
その距離。
それを声だけとはいえ繋げてしまう。
こんなものがある帝国相手に今の王国が太刀打ちなど出来る筈がない。
まともに戦争なぞ始めるより前にさっさと投降しておくのが正解だ。
それを老害たちのくだらないプライドやら権力抗争やら屁理屈やら怯えやらに邪魔されて結局国境沿いで力の差を見せ付けられてようやく下ることが出来る。
まあ老害たちはそのほとんどが元老院派。
これまで散々魔女の排斥を行ってきた張本人なのだから、今頃は戦々恐々としているはず。
そのことを思えば少しは溜飲も下がるというものだが。
「いざという時に奴らが担ぐ御輿は潰しておいたしな」
独りごちたその時、手の中の魔道具が淡く光を帯びた。
ヤレヤレ、とコルトは魔道具の紋様に指を添わせる。すぅ……、と自らの魔力が吸われる感触とともに部屋の中に低く耳に心地よい声が響く。
その声に含まれる常にない不機嫌さに、コルトは声に出さずに笑った。
声になぞ出せば殺されるから。
「ご心配なく魔王様?大事な貴方の子猫はこちらでしっかり預かっておきますから。あ、それとついでに少々聖女になっておいてもらいます。その方が魔王の花嫁により相応しいと思いませんか?」
きっと向こうでは端正な眉を歪めているのだろう。
何を言っている?と問い質す声がよりいっそう不機嫌さを増しているけれど。
このくらいの意趣返しは勘弁して貰いたい。
こちらは色々大変なのだ。
王国の第二王子であり公爵でありながら帝国の魔王に散々裏で働かされているおかげで。
通信を切ると、コルトは魔道具を側のテーブルに置き、代わりにその上にある呼び鈴を鳴らす。
ほどなくやってきたのはメイドではなく彼の最愛の妻だった。
その手にはティーセットの乗った盆が握られている。
「あら、ずいぶんご機嫌ですのね?」
「まあね。ああ、そうだティナ」
愛称で呼ぶと、子供を二人産んでいるのに未だ幼さの残る少女のような容貌の妻はこてり、と小首を傾げてみせた。
「近い内に養子を取ることになると思う。君、女の子欲しがっていただろう?」
まあすぐにお嫁に行ってしまうんだけどね。
コルトがそう告げると、妻はフワリと柔らかい笑みを浮かべる。
「ではお迎えする準備を致しますわね」
頼むよ、と笑ってコルトは妻の淹れたお茶をのんびりと堪能した。




