闇のなか。
開拓村はまだ村として未完成で、境界を囲う柵さえろくにない。
おかげで村を抜け出すのは簡単だった。
一応入口はあってそこには人も立っているけれども、他にも出る場所はいくらでもあるのだ。
メリッサは森の外へ出るのではなく、あえて暗い森の中へ中へと入っていった。
方向は駐屯地ではなくその逆。
ウェルダール砦。
国境へのルートは主に二つの道がある。
ウェルダール砦からまっすぐ国境へ至る道。
隣国へ向かうのならここを通るのが一番早い。
ただしその馬車道は帝国軍の駐屯地のすぐそばを通る。
もともと国境とウェルダール砦の間に駐屯地が設けられているのだから。
現在その道は半ば封鎖され、帝国軍の許可がなければ通ることはできない。
ごく稀に一部の商人や旅人が通行することがあるらしいが、戦時下であるし、それでなくとも利用する者はほとんどいない。
頻繁に人が行き来するには街からウェルダール砦への道は山を越えることもあり狭く険しすぎるのだ。
そのため通常商人や旅人はもう一つのルート。ウェルダール砦の手前、山に入る前に北西に大きく迂回したルートを通る。
メリッサもそちらを使うつもりだった。
こうしてコソコソ抜け出すのでなければ、アリストさんの伝手で馬車道を抜ける許可ももらえるはずで、そうしたらどこかの馬車に乗せてもらうつもりだったのだが。
少ないとはいえまったく通る馬車がいないというわけではなかったから。
(でも、もうムリだものね)
もう一つのルート、ウェルダール砦の手前まで戻り迂回するしかない。
本来なら開拓村から森を出てすぐに山道に入ることも出来る。それならウェルダール砦に近づく必要もない。
けれどそれは村の入口近くを通ることになり、人目につく危険があった。
村の人間に見つかってしまえばきっと止められてしまうだろう。
月明かりと星の位置を頼りに森を進む。
夜風はヒヤリとして、メリッサの体温をゆっくりと奪っていくようだった。
(冬でなくて良かったわ)
冬ならばとても夜に山道は超えられまい。
おそらく国境への道にたどり着く前に凍えて動けなくなっただろう。
そうなったらそのまま冷たくなって死出の道を辿っていたはずだ。
それでも肌寒さにメリッサは肩に羽織った上衣を胸元でかき集めた。
(ウェルダール砦の側へ出て、そこから……)
山道を通って国境への道へ出る。
(行けるかしら)
闇の中で山道を抜けられるだろうか。
抜けられるとして、ウェルダール砦の王国兵に見つからずにいられるだろうか。
見つかれば、メリッサはきっと犯罪者として捕らえられる。
(……ふふ)
そう考えてメリッサは小さく自嘲する。
帝国側の人間に見つかるよりも、その方が良いと、考えてしまった自分に。
(私、犯罪者として捕らえられることより彼に知られる方が怖いんだわ)
もう、知られてしまったのかも知れないけれど。
ヘルト王子が捕らえられたのなら、彼の口からメリッサの話題も出るだろう。
いや、出たからこそ、彼らが捕らえられたことをメリッサには秘そうとしたのではないか。
何も知らないフリをしようとした?
それともメリッサの心情を慮った?
まだ知られてはいなくて、けれども殺されかけたメリッサに捕らわれたとはいえ犯人の話を伝えて動揺させないようにしたということはないだろうか。
いつもの天幕で過ごした時間はあまりにもいつも通りで。
つい都合のいい方向へいい方向へと思考が流されそうになるのに、メリッサは苦笑した。
馬鹿馬鹿しい。
結局知られたにせよまだ知らないにせよ、メリッサに出来ることは一つ。
クロイスの前から去ること。
知られて彼に疑惑の目を向けられるのが怖い。
犯罪者なのかと侮蔑の目で見られるのが怖い。
もしも知らないフリをしていたのだとしても、それに甘えるべきではない。
交渉が成立すれば、クロイスは帝国の公爵として、これからの王国と関係してゆくのだから。
メリッサのような者を側に置くことは汚点にしかならない。
自分勝手で独りよがり。
カシムあたりならそう言いそうだ。
自分一人で抱え込んで、自分一人で勝手に決めて。
けれど。
(だって怖いのよ)
怖い。怖い。
クロイスに軽蔑されるかもしれないことが。
彼の迷惑になってしまうことが。
彼の重荷になることが。
(私は、怖いから)
逃げ出すのだ。
木々の狭間にまだ小さないくつものかがり火と石壁が見えた。
(……ウェルダール砦)
メリッサはゆっくりと近づいて行くと、堅牢な石の壁を見上げる。
想像していた以上に大きく高い石の砦は、夜でも無数のかがり火に照らされて明るく浮かび上がって見えた。




