聖女の仮面。ー1
「まったくあの馬鹿王子!いったい何をしてるのよっ!役立たずっ!」
自室に入るなり、お嬢様はいつもの聖女の仮面を脱ぎ捨てる。
邸内はおろか、多分領内の他の人間も誰も知らない私だけが知るお嬢様。
おそらくはご両親でさえもその仮面の下の素顔をすべては知らない。
知っているのは私だけ。
私がその秘密を知ったのは二年程前。
私がこのドウァン伯爵邸に仕えるようになって半年が過ぎた頃の秋。
魔が差した。
何かをしてしまった時、そう言うけれども。
あの時の私はまさしくそうだった。
魔が差したのだ。
お金が必要だった。
できるだけ早く。
すぐにでも、まとまったお金が。
でないと彼に捨てられてしまうから。
あの頃の私はとても愚かで、馬鹿な都合の良い女で、初めての恋に溺れていた。
騙されているとも知らずに。
彼は下級貴族の三男だという話で、家を出て自分の店を持つのだと言っていた。
向こうから声を掛けられて付き合い初めて半年。
そう、彼が私に声を掛けてきたのは私が伯爵邸に勤めてすぐのことだった。
ちょうどその頃はドウァン伯爵家の羽振りが急激に良くなってきた頃でもあって。
使用人も数多く新たに雇われていて、私もそれに何とか潜り込んだ一人だった。
後から思えば初めからすべて謀られていたのだ。
もともと彼は私に盗みをさせ、それを横取りするために近付いてきた。
ドウァン伯爵家の特に奥方様は結構な浪費家で次々とドレスや宝石を買っていて、それは外にも知られていることで。
店を建てるのにお金が必要だと、軌道に乗れば結婚しようと彼に言われて。
私は受け取ったお給金のほとんどを彼に渡していたけれど、だんだん彼はもっともっとと要求し始め。
とうとう奥方様の宝石を盗んでくればいいと言った。
どうせ新しいものを買うことが好きなだけで、古いものになど関心もないのだからと。
確かに彼の言う通りで、奥方様は新しい宝石を買っても付けるのはせいぜい数度。古いものは衣装部屋の隅に仕舞い込まれて忘れられていく。
そんなだから、一つ二つなくなったところで誰も気付かない。
あまりにそんなことを囁かれ過ぎて、ある時ふと魔が差したのだ。
もっともそんなことはただの自分に対する言い訳でしかないのだけれど。
本来なら、衣装部屋に入る時には二人組みになって入る。お互いがお互いを見張るようにするためだ。
けれどもその時は偶然にも衣装部屋へ着替えたドレスを戻しに向かう廊下の途中、お嬢様から声を掛けられてその場を離れ、私一人になった。
一人きりの部屋の中で、ふと、頭をよぎってしまったのだ。
今なら、と。
私は衣装部屋の棚に並べられた宝石箱に目を向けてしまった。
私が箱の一つから、宝石の連なるネックレスを自分のメイド服のエプロンにしまったその時、背後からクスクスと小さく笑う声が聞こえた。
「あら、私ったら大変なものを見てしまったわ」
弾かれたように振り返った私が見たのは開かれた衣装部屋の戸口に佇む可憐な少女の姿。
「主人のものを盗むなんて。お父様に知れたら大変なことになるわね?」
ふんわりと柔らかく微笑む様子はまるで子供のイタズラを見咎めたかのようで。
その時の私にはその笑みが何よりも恐ろしいものに見えた。そしてそれが間違っていなかったことは、次に続けられた言葉と嘲りに満ちた瞳ですぐに証明されてしまった。
「ねえ、アナタ。このことが知れたらどうなるのかしら?もちろん我が家はクビだけれど、ふふ、それだけじゃすまないわよね?二度とまともな仕事はできないし、その前に鞭打ちかしら。それとも奴隷落ちで娼館に売られるかしら?」
そんなの嫌でしょう?と小首を傾げて笑う。
「ね、秘密にしてあげるわ。だからアナタも私の秘密を守ってくれる?」
気味が悪かった。
どこまでも無邪気に笑う様が。
その日から私は使用人から聖女と呼ばれるドヴァン家の下のお嬢様ーーマリエラ様付きの侍女となり、お嬢様は私の前でだけ、仮面を脱ぐようになった。




