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痛む胸。

目を醒ますと、すぐそばにカシムの泣きはらし赤く瞼を腫らした顔があった。


「……カシム?」


どうしたの?と問い掛けようとすると、カシムは顔をくしゃくしゃに歪めて小さく「バカ」と言った。

それから首を何度も振って、声を大きくする。


「バカ、アホ、考えなし!メリッサの大バカっ!」


大粒の涙がカシムの頬を濡らす。

溢れ出した涙を拭いもせずに、カシムはベッドに横たわるメリッサの胸を両手で叩いた。


「……死んじゃってたかも知れないんだぞ!なんで、あんなっ!」


ああ、そうだった。

とメリッサは思い出す。


自分が囮になろうと、わざと目立つように動いた。

そのことをカシムは怒っているのだ。


「カシム」


メリッサはそっとカシムの頬に手を伸ばす。

指で拭ってもまたすぐに溢れてしまう涙に、メリッサは口許にだけひっそりと苦笑を浮かべ、


「カシム、駐屯地に知らせてくれたのね。ありがとう」


と、告げた。


するとカシムはどこか気まずそうに目を逸らす。


「……や、実は」

「カシム?」

「その、ごめん。せっかくメリッサが囮になってくれたのに、俺、戻る途中で煙に巻かれちゃって」


最後まで聞く前に、メリッサは慌てて身を起こした。


「大丈夫なの?気分は?悪くない?」


ペタペタと両手でカシムの顔や胸を触る。

煙を吸い込むのはとても危険だ。

火事の場合、火に焼かれるよりも前に煙によって命を落とす人は多い。


「大丈夫。すぐに魔法で癒やしてもらえたから」

「そう」


ーー良かった。と胸を撫で下ろす。 


「あのいつもついてきてる赤毛の人。あの人が来てくれて」

「……そう」


メリッサたちが駐屯地を出たのを聞いて、追ってきていたのだろうか。


(と、いうか、カシムも気づいてたのね)


連日の尾行に。

 

メリッサは身体を起こしたついでにと辺りを見回す。

カシムの頭越しに見えていた天井から、そうではないかと思っていたが、メリッサがいるのは駐屯地の診療所の天幕だった。

患者が減って余ったベッドの一つに寝かされていたようだ。


動いてみて気付いたのだが、メリッサの身体からは痛みが消えている。


手も足も普通に動くし、血が出ていたはずの頭にも包帯が巻かれている様子がない。

あちこち自分の身体を見回していると、ようやく涙を引っ込めたカシムが「メリッサの怪我は閣下様が治癒してくれたらしいよ」と言う。

カシムはクロイス様のことを閣下様、と呼ぶ。

偉い人だから、様をつけるものと思っているようだ。

妙な呼称は不敬になる。様はいらないと訂正しようとしたのだが、止めたのは他ならない閣下本人で。

本人が面白がって呼ばせているから、誰も突っ込むこともないままになっている。


「私、どのくらい寝てたの?」


気にかかることがある。

あの時、クロイス様は魔法で雨を降らせた。

あれほどの魔法、使用した身体にはそれなりの負担がかかるのではないだろうか。


クロイス様の魔力が不安定なのは、それが人の身体に収まるには多すぎるせい。


だからそれなりに強力な魔法を使用して魔力を身体からある程度常に吐き出さなければすぐに不安定なる。


帝国の軍人には同じような人が程度の差はあれ少なくないらしい。

戦術という場で、魔法を使うことで魔力を吐き出してバランスを保つ。そのために兵士になる人がいるのだ。


とはいえ魔力は急激に使い過ぎてもまた不安定になるはずで。


(私、いかなくちゃ)


メリッサがそばにいることがどれほどの癒やしになるのか、それはわからないけれど。


「メリッサ?」


ベッドから立ち上がったメリッサにカシムの焦った声がかけられる。


「急に動かない方がいいよ!怪我は治ってるけど貧血や疲労は残ってるって……」

「平気。このぐらいなら問題ないわ」


少し動くとクラクラするけれど、でも動ける。


「ごめんなさい、カシム。私、あの人の所に行かなくちゃならないの」


カシムの眉間にくっきりと皺が刻まれる。

けれどもカシムは開きかけた口を閉ざして、きゅっと窄めた。

ふてくされた顔ながらも、道を開けるように一歩横に引いた。


「ムリ、しないでよ」

「ええ。ごめんなさい」


頭を下げて、足早に天幕を出る。

いつも歩く道を息を切らしながら先に進んだ。

血を流し過ぎたのか、時折足がふらつくけれど、なんとかいつもの天幕にたどり着き、手をかけようと伸ばした所で、男の声が背後から聞こえた。


「閣下はそこにはいないよ?今は自分の天幕にいる」


驚いて振り向いメリッサの目に映ったのは目立つ赤い髪とイタズラっぽく笑うまだ若い青年の顔。


「案内、してあげよっか?」




咄嗟にメリッサは答えられなくて、けれども一呼吸してから「お願いします」と答えた。


連れて行かれのは駐屯地のずっと奥で、上級士官の天幕が並んでいるのだろう一画だった。

見るからに他の天幕とは造りの違う天幕の一つの前で青年は立ち止まる。


「閣下はここにいる。けど、後悔するかもしれないよ?」


どういうことか。

含みのある言い方に、メリッサは俄に不安になる。

それでもここまで来て帰るという選択肢はなくて、小さく首を振った。


「そ、じゃね」


ひらひらと手のひらを振って踵を返す背中を見送って、メリッサは天幕に手をかけそっと開いた。


「あ、の。いらっしゃいますか?クロイス……様」


なんとなく、ぼそぼそと小さな声になって内側を覗いて。


締め付けられる胸に、声をなくした。


そこには確かにクロイス様が、彼がいた。

ベッドに腰を下ろし、上半身をはだけた姿で。

その彼の膝の上には薄物を纏っただけの女性がしどけなく彼の背に手を回している。


女性がクライス様に何かを囁き、背に回していた腕を彼の頭の後ろに回す。


そのまま二人の顔は近づいて、口づけを交わした。


(……いやだ)


胸が痛い。

痛い。痛い。


(どうして)


メリッサは彼の恋人でもなんでもない。

だから、彼が誰と何をしていようと責める権利なんてどこにもなくて。


なのに。


胸が苦しくて、痛くて、


「いや、やめて!」


そんな風に叫んでしまいそうになる。


実際にはそんな声など喉からは出なくて。

メリッサはその場に立ち尽くして逃げ出すこともできなかった。

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