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再会と炎。

握った手が確かに震えている。


メリッサよりも少しだけ小さな手はじっとりと汗ばみ痛いほどの力がこもっていた。


歩いた時間はそれほど長くなく、足を止め太い幹の後ろに身を隠したカシムに手を引かれてメリッサは立ち止まった。


心臓がバクバクと音を立てていて、すぐそばにいるカシムに聞こえそうなほどだった。


(……どうして)


どうして?何故?

何故あの人がここにいるのか。


息を飲むメリッサの視線の先には見知った人物がいた。


ズキリと胸が痛む。


好きだとか愛しているだとかいう気持ちではなかった。

けれどなんとも思っていなかったというわけでもない。家の決めた婚約者とはいえ少しずつお互いを分かり合って穏やかな家庭を作れれば良いとは思っていた。


それなりに上手くやっているような気でいたし、相手も同じだと信じていた。


けれど、違っていた。


あの人は妹を、マリエラを選んでメリッサを罪人として斬罪した。


(ヘルト王子……)


ヘルト・アルバッハ第三王子。

王国の第三王子でメリッサの元婚約者がそこにいる。

すぐそば。

ほんの十数歩ほどの先に。


一度も考えなかったわけではなかった。 


もし、もう一度彼に向き直ったら、自分は彼を憎く思うのだろうかと。


メリッサが犯罪者とされたのも、家を追い出されたのも、彼のせいといえば彼のせいだから。


(……不思議ね)


胸は痛いけれど、不思議なほど憎いとか怒りとかいう感情は湧いてこない。 

ただ何故ヘルト王子がこのような場所にわずかな供を連れただけの状態でいるのか、何をしているのか、動揺しているだけ。 


むしろ気になるのは王子自身よりもその数歩ほど先で大きな皮袋を逆さにして中身を撒いている兵士らしき男の方。


ダボダボと勢いよく吐き出されるそれは少しとろみのある液体だった。

より強まった臭気がツンと鼻につく。


「……アイツらっ!」


カシムの押し殺した、けれど怒りと憤りの籠もった声が耳をつく。


その声に我に返ったメリッサは、ぎゅっとカシムの袖を握った。


「カシム!ダメ。隠れて静かにっ!」


押さえ付けておかなければ怒りのままに飛び出してしまいそうだった。

今この場でカシムに衝動のままに飛び出させるわけにはいかない。


相手は王族で、しかも辺りに油を撒いているのだ。


見つかればどうなるか火を見るより明らかだろう。


(どうしよう!どうしたら!)


臭いに気づいた時点で駐屯地に知らせに行くべきだった。

今からこっそり戻れたとして果たして間に合うものか。

 

森に油を撒いてこの後どうするつもりなのか。


(そんなの決まってるじゃない!)


火を付けるつもりだ。

王国は交渉を破棄するつもりなのだろうか。

それともヘルト王子の独断か。


どちらにしろこの森が火事になれば森の中にある開拓村はもちろん帝国の駐屯地だって只ではすまない。


村の人々はまだ人数が少ない分煙や火に気づいて非難できるかもしれない。けれど、人数も多く未だに病の終息しきっていない駐屯地はどうだろうか。

おそらく全員は絶対にムリだと思う。 


(……それに薬が)


この森の奥に広がる湿地帯にはコルシカ草と呼ばれる草が群生している。

駐屯地の兵士たちが比較的早く虫下しの薬を得ることができたのはこの森が隣接していたから。

コルシカ草は薬を作るのに必要不可欠なもので、日の当たらない水捌けの悪い森の中にしか群生しないため、本来なら手に入りにくい。


ある程度は予備があるだろうが火事の中で持ち出されるだろうか。

それに足りなくなったら?


(とにかく駐屯地に……!)


知らせなくてはならない。



「ふん。このくらいでいいか」


聞き覚えのある声がもはや迷っている暇はないと焦りを増加させる。


「……カシム」


ゴクリと飲み込んだ唾の音がやけに大きく聞こえた。


「二手に分かれましょう。あなたは来た道を戻って駐屯地に。私は森の管理小屋に行くから。いい?とにかく全速力でここから離れて」


ここから北に向かった所に、人のいる管理小屋がある。

そこにいる人がまだ無事かはわからないが。

正直ヘルト王子たちがここで油を撒いている時点で邪魔な管理小屋の人間は先に始末されていると思う。

けれどカシムには言わない。

言ったら絶対に反対されるから。


最悪なのは二人とも見つかってしまうこと。


だったら自分が囮になってもカシムを戻らせるべきだ。


足の速さも、小回りもメリッサよりもカシムの方が優れている。 


こそこそと隠れて移動するだけの時間はすでにないのだから。 


「なんでっ!」

「いいからっ!行くわ……っ!」


ゴホッと咳込んで語尾が尻すぼみになったが、メリッサは構わず走り出した。


(……火がっ!)


油を撒いた場所から少し離れて、ヘルト王子の手から魔法の火が矢のように放たれる。

立ち上る黒い煙が喉を灼いた。


メリッサはわざと足下の落ちた枝を踏み鳴らし、王子たちに居場所を知らせる。


「なっ!誰だっ!!」


追いかけてくる声に、心臓が鷲掴みにされる。


(カシム!お願い行って!)


心中で叫んで、メリッサは脇目も振らずにひたすら足を動かし続けた。


(お願いカシム!あの人にっ!)


あの人に伝えて。

きっと魔王とまで呼ばれるあの人なら。

あの人の魔法なら、この火をなんとかできるに違いないから。


「……っ!」


地面を這う太い根に足を取られて転がる。

立ち上がろうとしたその肩を強い力で押さえられた。


「……お前っ!メリッサ!?」


聞こえてくる声に振り向こうとして、けれど極度の緊張のためか、吸い込んだ煙のためか、メリッサの意識はその人の顔を確かめるより前に闇に閉ざされた。



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