帝国の魔王。
クロイス・ヘルトバルト。
クロイス・ヘルトバルト公爵。
その名は王国の人間のみならず、大陸の人間の大半が知っている。
帝王の年の近い叔父で側近。
帝国軍の将軍の一人。
帝国一の魔女。
クロイス・ヘルトバルト公爵の呼び名は数多く。
帝王の懐刀。最強の魔女。魔法王。英雄。
といったものから。
史上最悪な殺人鬼。死神。戦場の悪魔。
といったものまで様々なものがあって枚挙に暇がない。
なかでも王国を含む帝国と矛を構えたことのある国の人間がよく口にする呼び名がある。
ーー魔王。
魔王ヘルトバルト。
恐らくは基となったのは帝国での呼び名である魔法王なのだろう。
けれど魔法使いの王。から来ているのだろう魔法王と違い、帝国外の人間が呼ぶ魔王はけして魔法王のように尊敬やら心酔やらといった感情からのものではなく、恐怖やら嫌悪やらといった負の感情から来ているもの。
少し前までは死神、というのが一番多かったようだけれど。
帝国の戦い方が敵国の殲滅からある程度叩いた上での交渉に変わってきていることが影響しているものと言われている。
今膝枕をしている人は、そんな人。
そんな人の膝枕を何故私は毎日しているのかしら?
メリッサには疑問が尽きない。
あれ以来毎日臨時臨時診療所での手伝いを終えた夕刻以降こうして天幕を訪れてはクロイス・ヘルトバルト公爵に膝枕をしている。
クロイス・ヘルトバルト公爵、そうこの人は公爵様だったのだ。
まさしく閣下と呼ぶのに相応しい人。
罪を着せられ家を追い出されて、貴族でもなくなったメリッサが他国のしかも敵国のとはいえ公爵様の頭を毎日膝に乗せている。
(……なんだか不思議だわ)
伯爵家の令嬢のままで、あのままヘルト王子と婚約したままであれば、メリッサは今この人とこんな風に接することは決してなかっただろう。
もしかしたら和平交渉が成ればヘルトバルト公爵は王国の夜会などに出席することはあるのかも知れない。メリッサが貴族のままならばその時に会場の隅で眺めるようなことはあったかも知れないが。
くすり、と小さくメリッサは笑う。
(きっと視界にも入らなかったでしょうね)
メリッサはいつも会場の隅が特等席。
この人はきらびやかな会場の真ん中で貴婦人や令嬢たちに囲まれている。
(……あ、睫毛すごく長い)
ふと、閉じられた瞼に被さる睫毛が目に入った。
髪と同じ漆黒の睫毛。
(ホントにキレイな顔)
キレイな肌に整った目鼻立ち。
唇は薄くてでも柔らかそう。
(ってなに私ってば考えてるのよ!)
一瞬、ホントに一瞬だけ、考えてしまった。
(……触れてみたいなんて)
かぁ、と頬が熱くなって逆上せたよう。
と、閉じていた瞳がパチリと開いた。
目が合って、息を飲む。
(……きっと、どうかしているんだわ)
そう、多分二人とも。
(これはなんとなく雰囲気に流されただけ……)
だって、毎日膝枕をしていても、まともに口を聞いたこともないのに。
ゆっくりと持ち上げられた腕に頭を引き寄せられて、目を閉じてしまった。
柔らかくて暖かいものが唇に触れた時。
メリッサは、
(やっぱり柔らかい)
そんな感想を抱いた。




