臨時診療所。
ジャポッ、とメリッサは麻の布を纏めて氷水を入れた桶に沈ませた。
「メリッサさん!あっちの患者がゲロ吐きやがった」
「布で口許を拭って顔を横に向けさせて下さい。仰向けだと喉に詰まることがあるから!」
濡れた麻布を絞りながらメリッサは指示を出す。
サリフの案内で帝国軍の駐屯地を訪れたメリッサたちは、帝国軍第三駐屯地ーーつまりここの第二衛生士長である男性に紹介された。
帝国の衛生隊には必ず二部隊があるという。
治癒魔法の使い手で編制された第一衛生隊。
薬師で編制された第二衛生隊。
帝国は魔女の国。
メリッサのような王国や他多数の国に存在する魔法の使い手が魔法師と呼ばれるのに対して、帝国の魔法の使い手は男でもすべて魔女と呼ばれる。
魔女という呼称は元は薬を扱い医術や呪いを行う女性に付けられた蔑称。
アルバッハ王国があるこの大陸に於いてはある魔法を行使する人間に付けられた呼称でもある。
魔法、もしくは魔方陣魔法とも呼ばれるそれは自身の魔力を術式に織り込んで魔方陣を作り発動させるのだというが、メリッサはよくは知らない。
それというのも王国や大陸全土に於いても魔女の行使する魔法は邪法であり異端であると古来より迫害されてきたものだから。
帝国は元は大陸の端にある小国に過ぎなかった。
迫害され、居場所を追われた魔女たちがより集まりいつしか小さな国となり、それが少しずつ国土を広げていった。
そんな魔女の国だからか、帝国には治癒魔法というものが存在するのだそうだ。
怪我を癒し、身体の自己治癒力を高め病気を治す癒しの魔法。
ただその魔法もすべての怪我や病気に万能というわけではない。
例えば骨を折ったとする。
それに治癒魔法をそのまま行使すると、骨は歪んだ状態でくっつき2度と元に戻らなくなってしまったりする。
寄生虫などの処置にも向かない。
何故なら治癒魔法それだけでは虫を外に出すことはできないから。
治癒魔法は行使する魔女の魔力に依存するため、その魔力が尽きてしまえばそれで終わり。
そのため治癒魔法を行使する魔女で編制された第一衛生隊と薬師で編制された第二衛生隊の二部隊に別れて存在する。
メリッサたちが紹介されたのはその薬師で編制された第二衛生隊の衛生士長だった。
アリストという名のその人はメリッサが薬師だと聞くとアッサリと手伝いを願い出た。
王国の人間であるメリッサたちに対してである。
「ホッホッ。今はそのようなことに拘っている場合ではないのですよ。それにさすがに薬を作っては頂きません。薬と言って毒を配られては私の首が飛びますからね。なので患者の看護をお願いします」
まだ50過ぎ辺りの容貌で好好爺然とした口調と笑顔でそう言うと、いきなりメリッサたちを診療所という名の戦場に放り込んだ。
100人を優に越える患者が溢れるまさしく薬師の戦場というべき場所に。
メリッサはテキパキと簡易ベッドに寝かされた兵士たちの額に冷やした布を乗せていく。
メリッサと共に何故か巻き込まれた形のカシムたち三人も汗を拭いて回ったり汚物の片付けをしたりと走り回っている。
こういった臨時の診療所はいくつも作られているらしく、一つの巨大な天幕に100人程の患者が詰められていた。
メリッサたちに回された天幕は薬待ちの患者たちだ。
流行り病はやはりコモイタチのフンによる寄生虫で、感染した患者は下位の雑兵が多い。
帝国と王国は国境を接していない。
占領した隣国と王国との境にいくつもの駐屯地が作られていて、ここもその一つ。
上位の士官に対しては占領下の隣国や国から持ち込んだ水や食糧を口にしているため感染者が少ないのだろう。
メリッサたちは夕刻を過ぎるまでひたすら働き倒した。
一息つき、同じ天幕で作業していた衛生士に声を掛けられるまで一度も食事をとっていなかったことにも気付かなかった。
「言われてみれば」
「そうね」
「ああー!気付いたらメチャクチャお腹すいたー!」
「……ああ」
ぐう……と鳴ったお腹は誰のものか。
「二つ奥の天幕に軽食が用意されてるから取りにいくといい」
その様子に笑いながら教えてくれた兵士に礼を言って、「待ってて、私とってくるから」とメリッサは声を上げる。
もう三人ともお腹が空きすぎて動くのも億劫そうだった。
「一人じゃムリだよ。俺も行く!」
「そう?じゃ行きましょ」
そうしてカシムと二人、天幕を出たメリッサは、その前でふいに立ち止まった。
「……メリッサ?」
「ごめんなさいカシム。ちょっと先に言っていてもらえる?私もすぐに行くから」
そう言い置いて駆け出す。
視線の先、いくつも天幕が並ぶその奥を揺るぎない足取りで歩いていく人影を追って。