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「おや閣下、どうしました?すごいですよ?眉間のシワ」
トン、と右手の人差し指で自身の眉間を示す付き合いの長い副官に声をかけられて、閣下と呼ばれた男は手にしていた書類からその秀麗な顔を上げた。
相変わらずムダな美貌だなあ、と副官は胸の中でこっそりと感心する。
艶のある漆黒の髪に冷ややかなアイスブルーの瞳。
均整の取れた長身に襟の高い三本線の銀のラインの入った軍服を着込んだ様は数あるご令嬢たちが熱を上げるのも無理はないと思わせる。
ただし、そのご令嬢たちに向けられる視線は絶対零度の極寒の視線なのだが。
女嫌いで知られる上官は副官である青年に手にしていた書類を無言で差し出した。
差し出された方の青年はといえば、受け取った書類に目を落として「……ぶはっ!」と盛大に噴き出す。
「なんです?これ!」
「……見ての通りだ」
「いや、でも……しかしですね」
鮮やかな赤毛を逆立てた青年の顔にはありありとあり得ない、という表情が浮かんでいる。
「第三王子。ーーあぁ、一部では有名なバカ王子ですか」
その書類に書かれていた名は現在敵対中であり進軍中であり停戦交渉の真っ先中のアルバッハ王国第三王子ヘルト・アルバッハの名が記載されていた。
まだ18になったばかりで、表舞台にはほとんど出されていない。
というか、恐らくは故意にその者の情報は外に隠されている。
それでも完全には隠し切れないもので。
一部の各国の情報通には結構な有名人だった。
いわく。
甘やかされた坊ちゃんバカ。
賢君と名高い国王の唯一の汚点。
「まったくこの面倒な時期に面倒な奴を」
舌打ちする上官の様子に、副官の青年は「これは確かに……」とひっそりと呟く。
「……ってか本気ですかねこれ」
「わざわざ国王の玉印付きで送られてきてるんだ。これで冗談でしたということはないだろう」
「ははっ、いったい何を仕出かしたんですかね?」
「さて、バカのすることだからな。まあ録なことではないのは間違いない」
「ですね。しかしできればせめてもう少し違う時期にしてほしかったですね。切実に」
そうでなくとも厄介な事態に襲われている最中なのだから、と嘆息する。
自営の駐屯地に広がりつつある流行り病。
その対処に散々追われている最中にこれとは。
救いは自軍だけでなく相手の側でも病が広がっていることか。
停戦交渉の間は基本進軍は一旦停止される。
これまで戦争をしていた相手と睨み合ってはいるのだから小さな小競り合いはいくらでもあるが。
だが相手が動いた場合は別だ。
「自分で処理するのが都合悪いからってこっちに押し付けないでほしいですよねー」
「一応は王子だからな。バカがバカをしたからといってそう簡単に処罰は出来まい。それでは王族が罪を犯したと認めることになる」
「だからって、ねぇ」
書類には第三王子ヘルト・アルバッハがこの戦場に送られてくることと、何かあった場合あくまでも一兵士としての処分を要請する旨、そしてその際にも一切王国側からは交渉に影響を及ぼすことはないということがやたら小難しく遠回しに書かれている。
停戦交渉の間に起こった小競り合いの中ではよほどでない限り敵国の兵士ーー特に上位士官は捕虜としてそれなりに待遇を考慮され、交渉が締結された場合には相手国に引き渡される。
が、それはあくまで上位士官の場合で。
下位の、一兵士がバカをやった場合には適応されない。
その場で首を切り落としても問題にはならないということだ。
「これって絶対なんかやらかす前提ですよね?」
「だろうな」
「なんっつー迷惑。ほんとある意味すっごい強かですよね。あの国王」
自国で処罰するのが都合が悪いからといって戦争を利用して相手に処理を押し付けようとは。
「こちらとしてもこれ以上の争いは大して意味がない。交渉を締結する方向に動いている以上何もなければ適当にあしらっておけばいい」
「何かあれば?」
「そこに書いてある通りだ。一兵士として扱う」
悪いが迷惑をかけられた分件のバカには八つ当たりがてらに処理させてもらうとしよう。
そう言って副官の手から書類を取り上げた男は、手の中でそれを消し炭に変えた。
「あー、ところで今晩はどうします?女性」
女嫌いだが、ある事情で定期的に女性の存在が必要な上官に赤毛の青年士官はポリポリと頭を掻きながら尋ねる。
「今夜はいい」
短く返事を返した上官に彼は「どっちも了解です」と敬礼をして踵を返した。