好意と甘え。
メリッサはそっと上衣の胸元を手で押さえた。
そこには大きめの内ポケットに村長から預かった手紙が入っている。
普段メリッサが着ていたものよりもごわごわとして少し重いフード付のポンチョはカシムの母から馬車を降りる時はこれを被っていればいいと貰ったものだ。
若い頃に着ていたものらしい。
くたびれていたしもとは美しい藍色だったのだろう色は色褪せ、ところどころ糸が解れてしまっていたが、布はしっかりとしていて厚く羽織っていると夜も暖かい。
季節は冬に近付いており、だんだんと空気はひんやり肌寒さを帯びている。
「薬師様は早くこの辺りを離れた方が良いでしょう。先程の兵士たちは一人の女性を探しておると言うておりました。淡い茶の髪に同じ色の瞳の16、7の若い女性だそうです」
村長は穏やかな表情を変えることなく、言葉をつづけた。
ひゅっ、とメリッサの喉が鳴る。
「貴女はこの村の恩人です。ですから私はそのような者は見ておらぬと伝えましたが、……どうやらこの付近の村や町を軒並み回っている様子。村の者にはもちろん口止め致しますが、このような村でも少しは他の村との交流もございます。完全には人の口に戸は立てられません。すぐにでも出立して下さい」
「……でも、もしそれで私を出したことが知れたら」
もしメリッサがここにいたことが知れたら、村長が嘘をついたことも明らかになる。
迷惑をかけたくないと、その前に出ていかなくてはと思っていたのに。
(……私がグズグズしていたから)
本当はもう何日も前に村を出ることはできた。
けれどこの村は居心地が良くて、優しい人たちは心にぽっかりと空いた穴を埋めてくれるようで……。
皆がひき止めてくれるのをいいことに今日までグズグズしてしまった。
「大丈夫です。これでも伊達に年はとっておりませんからな。貴女がいなければいくらでも誤魔化せます。すでに村の者に馬車の準備をさせております。御者にはネスタを着けます。旅なれた男ですし、腕っぷしもそれなりにあります。何かあった時の機転も利く男です。薬師様に助けられた一人ですしな。それとカシムの世話もお願いします。そろそろ旅を経験させておきたいのですが、ご存知の通りやんちゃ者ですから。ネスタ一人では手に余る」
そう言って笑う村長に、カシムが「なんだよそれ!」と頬を膨らませた。
「事実であろうが。お前は薬師様にご迷惑をかけるんじゃないぞ。あと手紙の受取人はサリフじゃ」
「サリフ叔父さん!」
と、カシムはすっとんきょうな声を上げる。
「何かしでかしたらネスタからサリフに伝えてもらうからの。そのつもりでいろ」
「ええーっ!」
聞くと、サリフという人はカシムの叔父であるらしかった。
とても怖い人で、この村にいた頃は悪さをするとすぐに拳骨が飛んできたそうだ。
悪さといっても畑仕事の手伝いをサボるとか他愛ない悪戯をするとか、その程度のことだが。
カシムの様子に、メリッサは強ばった顔の筋肉をほんの少しほぐした。
「わかりました。あの、ありがとうございます」
メリッサはそっと頭を下げる。
一人で出ていくという選択もあるが、旅なれないメリッサではすぐに兵士に捕まってしまいそうだ。
そうしてからこれまでメリッサがどこにいたか調べられてしまったら、余計に村に迷惑をかけるかも知れない。
それよりは村長の好意に甘えた方が兵士には見つかり難い。
(……なんて。ただの甘えね)
旅の途中に捕まってしまえば、もう誤魔化しは効かないだろう。
わかっていて村長や村の人たちの好意に甘えてしまう自分の弱さにメリッサは唇をかむ。
村長はそんなメリッサの心情を察したように「大丈夫ですよ」と胸の前で固く握るメリッサの手にそっと節くれだった手を乗せた。