ドロドロ『普通編』
私は『普通』という言葉が大っ嫌いです。
『普通』は○○だよね、とか。
そこは『普通』○○だ、とか。
これが『普通』でしょ、とか。
私の発言を聞いた人は大抵否定的なニュアンスを持たせて、『普通』という言葉を使う事が多いように感じます。
一般的に広く認識されている事。『常識』とか、『当たり前』とかも大体同じ意味で使われていると思います。
似た意味の言葉は無数にありますけれど、私が感じる『普通』という言葉の与える不快感はぶっちぎりのトップなのです。
考えすぎだと言われれば、まあ否定はできません。被害妄想だと言われれば、その通りだと思います。
なぜ私はこんなにも『普通』が嫌いなのか。
使う人は深く考えて『普通』とは言わないでしょう、だって『普通』の事を言っているのだから。そう言うのが当たり前で、常識的で、当然なのです。気にする方が変なのです。
でも『普通』と言われると、『お前がおかしい』『お前以外は同じ意見だ』『お前の意見は認めない』と頭を抑えつけられているような気持ちになるのです。
私がおかしいのでしょうか、いや、ちょっとは(本当はかなり)自分がおかしいと自覚してはいるのですが、お前に言われる筋合いがあるのかと、反抗してみたい。ダメですか、そうですか。
私は誰かと会話をする時、『普通』の意見を求めません。
『普通』という言葉は嫌いですけれど、理解もしています。
私は『あなたの』意見が聞きたいのに、なんで聞かせてくれないんでしょうか。
考えて『普通』の意見なら別に文句はありません。
言葉に『普通』と添えるその卑屈さが私は嫌いです。
良いじゃないですか『普通』じゃなくて。
どうにか生きていけますよ『普通』じゃなくても。
『普通』なんかいらないでしょう。