家庭科室の鏡 其の1
夜の学校にて。
今日は散々だった。
授業をすっぽかしたので担任に怒られ、プリントの整理、その他雑用をさせられた。そこまでならまだいい。帰り道、困っているお婆ちゃんを助けようとしたら隣町まで行かされるし、帰ったら遅いと両親から怒られるし…。
「それは、大変だったな」
校門前で私を待っていた翔太先生は苦笑しながら言った。
私も苦笑する。その後も結構大変だったのだ。
「はい。ここに来るのにも友達と遊ぶと言ったんですけど、夜遊びはまだ早いと言われてしまって…。結局、肝試しと言って出てきたんですけど。先生、夜遊びってなんですか?」
私がそこまで言ったところで、先生はゴホッゴホッと咳き込んだ。
「先生、大丈夫ですか!?すみません、私が変なこと聞いたからですよね」
「あ、ああ大丈夫…だ。秋月、お前はまだ中1だ。そういうことは高校行ってから聞け」
先生は苦しそうにしながらも言った。先生のためにも、しばらくこういう話題は避けよう。可愛そうだ。
「……さて、そろそろ行くか」
「今日が翔太先生の見回りの日で助かりました。他の先生に見つかったら、終わりですから」
「本当は夜の学校なんて来てはいけないからな。今回だけだぞ」
私はしっかりと頷く。
夜の校舎は、月の光に照らされてなんとも不気味だった。まるで学校自体が大きな怪物かのように。
足がガクガクと震えてきた。
「ひぇぇ…」
思わず情けない声が零れる。
前を歩く先生の服を掴めば先生の歩くスピードが下がった。どうやら、ゆっくりで大丈夫らしい。
その頼れる背中に少しだけ安心する。足の震えはまだ止まっていないが。止まる様子もないが。
「先生って意外と優しいんですね」
「意外、だと」
私が話しかければ、先生は少し怒ったように言った。
「ええ。最初はでっかくて怖い人だなと思ってました」
先生がなにか言おうとして振り向いたその時。
――僕もそう思うよ
「え?」
誰と言おうとした私を先生が遮った。
「彼方か。どうしたんだ、いきなり」
(彼方?彼方って昼の…)
先生は校舎の上の方を向き、話しかける。
周りを見ても誰もいない。それもそのはず。夜に生徒が学校にいるわけがないのだから。
では、この声はどこから。
――ホント、翔太って昔から怖いよね。そんな低い声だから皆に怖がられるんだよ。僕みたいにもっと明るく。ユウナもそう思うよ、ね
サァッと夜の冷たい風が吹く。首筋に伝っていた汗が風で冷えていく。
何故だろう。聞こえてくる声に昼間のような明るさはなく、暗く怖い感じがする。
「うるせぇ。生まれつきだ」
――ま、そんな怖い翔太は放っておいて。ユウナ。君がここにいるってことは僕たちを助けてくれるって事だよね。僕は君を歓迎しよう。頑張って僕たちを助けてね
歓迎?何に?
頭の上で疑問符が飛ぶ。
「ねぇ、助けるってどういうこと?君は何者なの?」
――残念だけど僕はそろそろ行かなくちゃ。じゃあ、またね翔太
私の質問は無視して、彼方の声は聞こえなくなってしまった。
夜の風が再び私達を撫でていく。
「……ハァ、ったく。相変わらず自由なやつだ」
そう言った先生の声はとても呆れていたが顔は笑っていた。
何故、家庭科室に行くことが彼らを助けることに繋がるのか。
聞けば、先生は教えてくれた。
「前にも言ったとおり彼方は幽霊、都市伝説の類が大好きだった。しかし、最近そういう怖い噂というのが消えてきているんだ」
「え?でも、怪談とか学校の七不思議とかよく聞きますよ」
夏の定番怪談に、毎年のように強制参加させられて泣いていたのは忘れられない。
「話すことはあるんだが、年々減ってきているんだ。噂がないと、アヤカシ達は存在する理由がなくなり消えてしまう。彼方はそいつらを助けるために、噂を再び流そうとしているんだ」
「へぇ。でも、それなら彼方君自身が流せばいいんじゃないですか?」
そう言った私に先生は答えず、困ったように笑ったのだった。
時刻はそろそろ0時を迎えようとしている。
幸い明日は土曜日で学校は休みだ。
「ここが…家庭科室…」
家庭科室は5階にあり、私は普段5分で着くところを30分かけてやって来た。
元々、暗いところが苦手なのに見回りのため他のところを歩いている先生の靴音や鼠か何かが物にぶつかって鳴いたりした声が歪んでここまで聞こえてきているのでその度に私は立ち止まり、周りを見なければならなかった。
もう、帰りたい。いや、帰っちゃ駄目だ。しっかり自分を持て私。
「やぁ」
「え?ぎゃ、ぎゃぁ!うぐっ……」
「しー。静かに、近所迷惑だよ」
不意に肩に何かがさわった感触。
後ろを向けば大きな顔があった。
思わず叫べば、口を塞がれ、身元でやけに落ち着いた声がする。
それにしても、息が苦しい。
そう思っていたら、いきなり手が離された。
「ハァハァ」
「…ごめんごめん。息、大丈夫?苦しかったよね」
私を息が吸えず苦しい思いをさせた犯人は、彼方だった。
いきなり現れて、いきなり消える彼に怖さを覚える。
しかし、やっと離してもらった私は今、とにかく息を吸うことに必死だった。
「……ううん、大丈夫。それより、どうしたのこんなところに…」
「君は始めて来たからね。少し助言しようかと思って」
そう言ってにっこり笑う彼方。
私は首を横に傾ける。
「助言?」
「そう。この先にはアヤカシがいるのさ。彼らは気まぐれで一筋縄ではいかないことが多いから。僕からの助言。聞きたいでしょ?」
こくこくと首を縦に振れば、彼方はますます笑みを深めた。
「翔太からお札を貰ったろ。ピンチになったらそれを使うといい。大丈夫君は特別な子だ。何てったって僕の目に留まった人物だからね。それじゃ、頑張って――」
「え?」
言い終わった瞬間近くにあったはずの気配が無くなったことで私は顔が真っ青になり、止まったはずの足の震えも再び出てきた。
彼方。とても不思議な子だ。彼は一体何者なのだろう。
「失礼しまーす…誰かいますか?…いたら返事してくださーい……」
意を決して踏み出せば、部屋全体特に足元が冷えてることに気がついた。
下を見ると、ひんやりした空気が流れていた。それに不気味な気配がする。
「えっと…鏡は……あ、あった」
家庭科室の黒板の横に丸い鏡がおかれている。よく見ると少し、埃を被っているようにも見える。
「えっと…これ、どうすればいいんだ」
鏡には私が写っている。怖さに少し眉を下げた私の顔。
「?」
何かの気配を感じ、後ろを振り向くも誰もいない。
視線を前にもどすとそこには、私ともう1人。
『やぁ。君僕が見えるんだね』
後ろを向けば、私と同じくらいの身長の男の子がいた。金髪に蒼い目をした男の子。
「だ、誰」
私が震える声で聞けば、男の子は笑って言ったのだ。
『僕の名前はソノラ。その鏡に宿るアヤカシだよ。よろしくね』
笑う顔はどこか、彼方に似ていたのだった。
不思議な男の子彼方。
彼は一体何者なのか――
この話が続けば明らかになります。いつか、きっと。
次回は、主要キャラとなる人物が出てきます。