一
「お兄ちゃん……起きて?」
甘い声で誰かが耳元で囁く。まどろみから浮き上がるように覚醒し始めた。
でも……昨日はちょっと飲み過ぎて眠いんだよ。もう少し寝かせてくれ。
寝返りを打ち、布団を頭まで被って再び眠りの世界へと旅立とうとする。
が、囁いた誰かはそれを阻止せんと、被った布団を捲り再び、今度は息を吹きかけるように囁いた。
「起きてくれないと、ズボン脱がせてその股間のいきり立ってるモノを蹴飛ばしちゃうぞ?」
不穏な言葉に一気に覚醒した。
がっと上半身を起こしたが、囁いていた主は予期してたかのように避ける。きゃっ、とわざとらしく可愛く声を出して。
目覚めたばかりの目を声の主へと向けると、そこにはやはり、というべきか姪の相良緑が微かな笑みを浮かべていた。
「お前なぁ……土曜の朝になんで来るんだよ。それに誰がお兄ちゃんだ姪っ子よ」
俺は大学に入学すると同時に実家を出て一人暮らしを始めた。
ただ実家からは電車で三十分程度とほど近く、俺が同じ神兵だと知った姪の緑はしょっちゅう俺の部屋へ遊びに来ることが増えた。神兵になったものは基本的に神々の事や神通力などの力、異界の話は一切他言無用だ。それが神兵になる時の契約条件となっている。
ただし同じ神兵同士ならそれは関係無くなる。
こうして緑がよく俺の部屋を訪れるのは、やはり知っている人が身近に居れば近寄りたくなるのだろう。
緑は神兵となったときから有名だった。
何せ彼女の契約した神が、かの有名な天照大神である。ぶっちゃけ格的に言えば大国主大神より上だ。
そんな彼女の持つ神通力は『太陽』。何言ってるのかさっぱり分からない。
しかしその実力は本物で、彼女は十三の時に契約し僅か三年で三つの異界を攻略した。この異界を攻略、というのは異界を作った神を討伐した、ということだ。いくら神と契約したからといって、たかが人間が元神をそうそう簡単に討伐など出来ない。
そんな偉業を称え、付けられたあだ名が『太陽姫』だ。中二全開である。
元々神兵は個人志向が多く、互いに協力しあう事はあまりない。もちろん俺みたいな運び屋や回復などの便利な力を持つものは例外だが。
しかし年に一度だけ神々や他の神兵と会う機会がある。
そう、十月にある神々の集会だ。ちなみに昔は旧暦でやってたけど、今は時代の流れに合わせて新暦になったそうだ。
神兵自体の数はだいたい一千人程度だが、参加は強制ではないので実際来る人数はその半分もいない。
俺と緑が会ったのも二年前の集会だ。とは言ってもぶっちゃけ俺は緑の顔を覚えて無く、向こうから声を掛けられて、ようやく気がついたんだけどさ。
兄と兄嫁は再婚同士という事もあり式自体挙げなかったし、親族同士の顔合わせで一度しか見た事がなかったのだ。しかも五年も昔である。その頃から比べると緑も成長してたし、忘れてたとしても仕方ない。うん、仕方ないんだよ。
そして集会で会った後からしょっちゅう我が家に押しかけて来る事が多くなった。とは言っても俺の縮地狙いがメインであり、体の良い運び屋扱いだがね。
「そう言われたほうが嬉しいでしょ?」
「……光実お兄様、なら許容する」
「それはきもい。それよりいい年した大人がこんな時間まで寝てるのは不健康だよ。はくりっち、お前も起きるんだよ」
ぱっと部屋に置いてあるデジタル時計を見ると『09:23』と表示されている。まだ十分朝の圏内だ。
緑は部屋の片隅に置いてある小さな藁のベッドを覗き見て、指先で突いた。するとベッドで寝ていた動物が起きようとして……そして時計を見て窓の外を見て、再び眠りにつく。
「ムササビは夜行性なんだよ」
ただし、そいつは普通のムササビではない。俺が契約している土地神で名を破栗神という。名の由来は、栗の生い茂ってた山を食い尽くして神格化したところから、だそうだ。食いしん坊すぎる。
通常、神と契約した人間との間にはパスが繋がっていて会話する事ができる。だが俺とこいつは二年ちょっと前に事故で繋がりが切れ、それ以来声が届かなくなったのだ。
ただパスが切れただけであり、神としての能力は損なっていないので、こうして俺と生活している。
ま、土地神のくせに自分の土地から出て我が家に来ている時点で、変な奴だけどさ。
ちなみにムササビは鳥類保護法でペットには出来ないので、外出禁止だ。
「それより今日はどこへ行くんだ?」
大きくあくびしながら背伸びしながら緑に聞いてみた。
彼女は可愛らしく首を傾げて、少しずれたメガネを手で直す。あー、はいはい、そのあざとい仕草はなんかお願いする気だな。
ちなみに正直言って姪は可愛い。高校二年生のくせに身長は百五十センチ弱と小さく童顔も相まってか、よく中学生と間違えられるそうだ。
黒く短めに切りそろえた髪とメガネ、そしてきっちりと学校指定の長さにしているスカート、飾り気のない鞄で、学校でも優等生として通っている。
が、その性格は俺の起こし方で分かるとおり、かなりのドSだ。起きないと本当にズボン下ろされて大事なモノを蹴ってくるからな。
よくJKに股間蹴られるなんてご褒美だ、という奴もいるけど、マジで泡吹いて気絶するからこいつにだけは頼まない方がいい。
「佐賀県の輪太刀異界だよ」
ちなみに俺の住んでいる所は東京である。
ここから佐賀県へ行こうとすると新幹線や飛行機を利用して何時間もかけて行かなければならないし、当然日帰りは厳しい。少なくとも未成年の女子高生が一人で行くような距離ではない。
だからこその俺の縮地なんだけどな。
「おいおい、輪太刀ってかなり高難易度の異界じゃないか。大丈夫なのか?」
「んー、うん。ちょっと今日は深く潜ろうと思ってね。だからみっちゃんの家に泊まるって親には伝えてるんだ」
つまり土日掛けて異界に潜るからアリバイ工作に荷担しろって事か。
異界の敵は倒すと神力の源となる勾玉を落とす。これが高値で売れるのだ。
神力が詰まっているせいか自分で使えば神通力がパワーアップするし、これを利用して作られた数々の商品も売れるのだ。だから命に危険のある異界とはいえ、潜るものはいる。
緑も今回たくさん稼ぐ気なのだろう。
「みっちゃん言うのやめろ。それ以前にいくら伯父とはいえ一人暮らししてる独身男性のところに、年頃の娘が泊まるなよ」
「実際泊まる訳じゃ無いし。それに親も、あーはいはい、って納得してくれたよ。この二年間の成果だね」
「一ヶ月に二回くらいは来てたからな。しかし今度娘の教育をどう考えているのか兄貴を問い詰めてやろう」
緑のように戦闘向きの神通力があるものは異界へ潜りたくさんの金を稼ぎ、俺のようにサポート系の神通力であれば他の神兵の手助けをして小銭を稼ぐ。格差社会だが、俺は命の危険性が全く無いので別に羨んだりはしない。
でも緑が本気で潜れば一日で五十万くらい稼ぐのだ。それはそれでちょっと羨ましい。
ま、彼女は三つの異界を攻略した事のある神兵最強の一人だしな。
しかし緑はこんなに金を貯めてどうする気だろうかね。
聞いてみたい気もするけど、神兵は互いに不干渉だし金の使い道を尋ねても教えてはくれないだろう。
「ま、それはそれとして、とにかく着替えないとな」
俺は寝間着代わりのジャージ姿だ。飛ぶ先は人の居ない場所だが、それでもこんな格好で外に出るのは気が引ける。
この格好で何も意識せずコンビニ行けるようになったら、何かを捨てたような気がするのだ。
ま、私服と言ってもユニク●やしまむ●だし、大抵黒一色なんだけどさ。
「みっちゃんはそれでいいよ?」
「制服姿の女子高生とジャージ姿の野郎ってなんか危ないだろ。っつかなんで休みなのに制服なんだよ」
「一番楽だから。私服だとコーディネート考えなきゃいけないし、面倒くさい。女の子はね、頭の天辺から靴まで全部考えて服を決めるんだよ? 一体誰がそんな面倒くさいことを決めたのかな、いまなら私が殴ってやってもいい」
「おいばかやめろ、お前に殴られたら一般人は死ぬぞ」
何せ元神様を殺せる奴なのだ。一般人を殴り飛ばしたら、まず死ぬ。
神兵で最低限は強化している俺だってこいつに殴られたら半死状態だ。
取りあえずベッドから起きて服を着替えないと。って緑もいるし風呂場で着替えるか。
ま、何はともあれ佐賀県か。ついでにどっか寄って自分用の土産でも買ってくかな。
「よし、行くか」
「おー!」
服を着替え靴を履き、玄関で俺たちはかけ声と共に佐賀県へと縮地で移動した。