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どれが普通

 トラックの運転手は飲酒運転だったらしい。

 仕事を終えた両親はいつも通りに二人揃って帰路に就いた。予定よりも早く仕事が終わったので、腹を空かせて待っている娘のためにスーパーで買い物をした直後であった。

 信号無視の大型トラックが突如猛スピードで横断歩道に突っ込み、二人はいとも簡単に跳ね飛ばされた。すぐに救急が駆けつけて病院に搬送されたが、既に手遅れだったという。

 双子の姉妹は、あまりにも突然に両親を失ってしまった。


「……うん、うん、ありがと。色々と」

 美咲は受話器を置くと、小さく溜息を吐ついた。

 電話の相手は今回の事態に当たって、様々な手続きや準備を行ってくれた叔母さんだった。彼女がいなければ、何をすれば良いのかも分かっていなかっただろう。

 まだ実感も湧かないままに各種手続きや葬儀は終わり、両親はもう墓の下だ。リビングの隅では、背の低いテーブルに花や両親の遺影が載せられ、線香が細い煙を上げている。 

 両親の死後数日の記憶が曖昧だった。ただ流されるままに通夜や葬式に出席して、美咲はまるで返事をするだけの機械のようであった。漸くここ数日で少しずつ実感が湧き始め、心の整理もつき始めている。

 そして今になって、自分がただの一度も涙を流していないことに気がついた。

 悲しくないわけではない。それでも、不思議と涙は出てこなかった。


「……めんどくさ」

 明るい茶色に染まった髪をかき乱して、そんな文句を呟く。久し振りに会った親戚は彼女の風貌を見て、こそこそと何かを噂しているようであった。そして彼らは双子の姉である菖蒲を見て、菖蒲ちゃんはいい子なのにと漏らすのだ。

 叔母さんは髪を黒染めすることを勧めてきたが、美咲がそれに応えることはなかった。無言で何かを訴えるように、ただじっとそれらを聞き流していた。


 時刻は午後六時。少し腹も空いてきた頃だ。

 ここ数日、抜け殻のようにぼうっとしている姉に代わって美咲が料理をしている。料理といっても、有り合わせのもので適当に作った簡単なものであるが。昨夜は野菜を適当に炒めただけだったが、冷蔵庫に入れていたものが無くなっているところを見ると菖蒲も食べていたようだ。

 ソファに腰掛け、スマホを取り出して画面を見る。平井剛からの連絡はとうに途切れ、桜からの情報によると案の定マネージャーと付き合いだしたようだ。全て予想通り。

 スマホを出したついでに料理サイトで面倒でなさそうな料理のレシピを検索し始める。食材足りないじゃん、と舌打ちした時、ドアの開く音がして顔を上げる。

「……美咲ちゃん」

 そこには菖蒲が赤く腫れた目で立っていた。また、部屋で泣いていたのだろう。いつもの緩い三つ編みは解かれたまま下ろされている。

 美咲はスマホに目を落とし、「何?」と短く返す。

「お腹、空いてるよね? 何か作るね」

「別にいいよ、あたし作るから」

 そっけなく言うと、菖蒲は困ったように眉を曲げて、「でも……」消え入りそうな声で呟いた後に黙り込んでしまう。 

 こんな状態の菖蒲に包丁を持たせたくなかった。怪我でもされてしまったら更に面倒なことになってしまう。

 立ち上がり、菖蒲を置いてキッチンへと向かう美咲。ショートパンツのポケットから取り出したヘアゴムで髪を束ねる。

「……手伝うよ?」

 冷蔵庫を覗いていると、菖蒲が遠慮がちに声をかけてくる。美咲はしつこいな、と思いつつもこれ以上拒否しても無駄だと考え、「勝手にすれば」と振り返らないままに返した。


 沈黙の落ちたキッチンに二人で並ぶ。昼に炊いたご飯が残っていたので、適当な材料で炒飯を作ることに決めた。菖蒲が洗った野菜を、美咲が慣れない手つきで切っていく。

 二人の間に会話は無い。両親が亡くなってからも二人は最低限の会話を交わすだけだった。話さねばならないことは山ほどあるはずなのに、今まで築き上げてしまった関係がそれを邪魔している。

「……引越しの準備、進んでる?」

 菖蒲からの質問にも、美咲は「……まぁ」とだけ返す。そして菖蒲は「……そっか」といい、再びの沈黙。このようなやり取りが途切れ途切れに続くばかりだ。


 二人は数日後に、この家を売って叔母さんの家の近くにあるアパートに引っ越すことが決まっていた。叔母さんは結婚しており二人の子供もいるので一緒に暮らすことは出来ないが、せめて親族が近くにいた方が安心だろうという考えだ。

 今まで暮らしてきたこの家は、二人で暮らすには広すぎる。それに税金のことなども考えると懸命な判断だった。美咲には難しいことは理解出来なかったが。



 晩御飯が出来上がり、ダイニングで向かい合ってそれを食べる。その間も気まずい沈黙は続いていた。

 頭上の消えかけた電球が、時折弱々しい光になって二人を照らす。テーブルの半分以上は何も乗っていないままで、その空白が埋まることはもう無い。

「ごめん、ちょっと席外すね」

 ふいに、菖蒲が口元を押さえたかと思うと、震えた声で言い残して足早にダイニングを出て行ってしまった。またか、と美咲は気に留めることもなく炒飯を口に運ぶ。

 また何かを思い出したのだろう。きっと今も部屋で一人、声を殺して泣いている。

 きっとあれが普通の反応。

 なら、私は?

「……めんどくさ」

 美咲は空になった食器を持ち上げ、シンクまで持って行って洗う。ついでに菖蒲の炒飯に虫が入るといけないのでラップをかけた。



『や、やっほー、元気……なわけないよね……』

「……ん、まぁ普通?」

 部屋に戻ったところでスマホに着信があったので、出てみると桜だった。

 友人の間には美咲の両親が交通事故で亡くなったことは既に知られていた。地元の高校ということもあって中学から一緒に上がった人も多く、その中の誰かから知れたのだろうと美咲は考えている。

 事故があってから桜とメッセージのやり取りはしていたものの電話はこれが初めてだ。彼女としても何と声をかけて良いのか分からなかったのだろう。結果、空回りして失敗したようだ。

『……みんなめっちゃ心配してるよ。落ち着いたら一緒に遊ぼうってさ』

 学校は今、夏休みの最中だ。終業式も欠席しているので、いつの間に始まったのだという印象だったが。桜を始めとする友人たちは休みの間もどこかで集まって駄弁っているのだろう。

「ありがと、みんなによろしく言っといて。引越しが終わったらとりあえず落ち着きそうだからさ」

『え? 引っ越すの?』

 普段、常に落ち着いた印象の桜の声が少し跳ね上がったように聞こえた。

「いや、学校は辞めないから。電車通学になるけど」

『……びびったー』

 安堵の息が聞こえた気がした。美咲はベッドの上に座り、揶揄からかうようにくすくすと笑う。

「なにー? そんなにあたしがいなくなるのが寂しかったー?」

『……そんなんじゃないし』

 少し照れ屋なところがある桜の、頬を赤く染めている姿が容易に想像できた。桜は咳払いをして、誤魔化すように言葉を続ける。

『まぁ……あまり無理はしないでね』

「……しないから、大丈夫だって」


 通話が切れ、スマホを置くと背中からベッドに倒れて天井を見上げる。

 無理なんかしていない。美咲はそう自分に言い聞かせる。

 無理なんか、しているはずがないと。


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