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変わったもの

「あら、美咲ちゃん?」


 ふいに名前を呼ばれた美咲が顔を上げると、そこには叔母が驚いた顔で立っていた。しまった、と後悔するがもう遅い。とりあえず頭を下げて一言。

「……いらっしゃいませ」


 


 夏休みも終わりに近づく八月下旬。未だ和らぐ兆しの見えない暑さが続く中、美咲はコンビニで勤労の汗を流していた。

 青と白の制服でお馴染みのこの店は、アパートから徒歩約十分の近場に位置している。よって高校の友人が来る可能性もなく安心して働けるはずだったのだが、彼女はあることを完全に失念していた。それは。

「あらぁ、偶然ねぇ。ここでアルバイトしてたの?」

「……うん、まぁ」

 彼女の叔母がこのコンビニを利用するという可能性だ。


 アパートから近いということは叔母の家からも近いわけで、当然ここを利用する可能性は十分にあった。どうして気付かなかったのかなぁと後悔しても時すでに遅し。

「へぇ、美咲ちゃんがねぇ」

 レジに立つ美咲を舐め回すように見てにやにやと笑う叔母。軽くパーマのかかった黒髪を後ろで一つにまとめた彼女は四十代初め頃のはずだが、三十代と言っても誰も疑わない程度には若々しい。

 落ち着かずにそわそわと身体を揺らす美咲に、叔母はそうそう、と思い出したように。

「ところで、最近二人がうちに来てくれなくて寂しいわぁ」

「あー、じゃあ今度行くから」

 誰もレジに並んでいないからいいものの、隣に立つバイトリーダーからの目線が痛い。いいから早く行ってくれ。そんな焦りで、美咲はついそんな約束をしてしまう。それを聞いた叔母は嬉しそうに微笑む。

「ほんとに? じゃあ明日は?」

「明日!? ……あぁ、もう。それでいいから」

 後ろに客が並んだのを見て、さっさと会話を切り上げざるを得なかった。叔母もそれに気が付き、「待ってるわね」と美咲にウインクすると店の奥へと歩いていく。


「……はぁ」

 レンジで弁当を温めながら、小さく溜息を漏らす美咲。働いている姿を見られた上に家に行く約束までさせられるとは。

 正直、あまり気は進まない。自分は親戚の中で浮いている自覚があるし、それは叔母の家族に会ってもひしひしと感じてしまう。叔母は一応ちゃんと接してくれるが、一番の問題は従姉妹たちだ。完全に危ない人だと認識されているらしく、むしろ嫌われていた。


 菖蒲は親戚からちやほやされているのに。


「……だめだって」

 慌てて思考を停止させる。完全にドロドロな感情に足を踏み入れかけていた。




「そんなことがあった」

「明日? 急な話だね」

 その日の夜。美咲が晩ご飯を食べながら一部始終を菖蒲に説明すると、彼女は目線を落として少し考えるような仕草を見せた。それに美咲が尋ねる。

「もしかしてバイト?」

「ううん、明日はシフト入ってないんだけど……いいの?」

「何が?」

 それは、と目線を泳がせながら言い淀む菖蒲。美咲は首を傾げるが、しばらく経ってああ、と言葉の意味を察する。

「別に大丈夫だから」

「そう? それならいいんだけど……」

 小さく微笑んで、再び箸を動かす菖蒲。

 きっと、菖蒲は『美咲ちゃんは叔母さんの家に行きたくないんじゃないか』と考えたのだろうと美咲は推測する。確かにできることなら行きたくはないが、だからと言って菖蒲を一人で行かせるのも気が引けた。

 何だかこの間からこればかりだ、と心の中で呟く。



「何か持って行った方がいいかな?」

「別にいらないんじゃん」

 食事を終え、二人で皿を洗っている最中に尋ねられたので適当に答えておく。菖蒲は「えー」と納得していない様子で唇を尖らせた。

 引っ越してきた頃にはこんな表情見なかったなぁ、とぼんやり思う美咲。嬉しいようなむず痒いような、不思議な感覚だ。

「やっぱりお邪魔するなら……美咲ちゃん? 私の顔に何かついてる?」

「あ、いや何でもない」

 言われて、菖蒲の顔を見つめていたことに初めて気が付き、慌てて手元の皿に視線を落とす。菖蒲は不思議そうにその横顔を眺めた。





 叔母の家には子供の頃から両親に連れられて何度も訪れていた。中学校に上がる頃には美咲が訪れる回数はぐっと減ってしまったが、菖蒲はほぼ毎回ついて行っていたようだ。

 二人暮らしを始めてから数日の間は書類のやり取りやら挨拶やらでお邪魔していたが、最近はまったく行っていない。叔母とも電話でのやり取りだけになっていた。


「……でも前に行ってからひと月も経ってないでしょ」

 寂しいわぁ、と言った叔母を思い出してツッコミを入れる美咲。あの時は適当にやり過ごそうとしていたので気に留めなかったが、よくよく考えるとおかしい。うまくやりくるめられた気がする。

 翌日の朝。今日も朝っぱらから温度計は三十度を記録し、仕方なく冷房を稼働させて叔母の家に向かう準備をしていた。

 ちらり、と後ろで髪を結っている菖蒲に振り返る。彼女は鏡の中で珍しく嬉しそうな表情を浮かべていた。

「……ま、いいか」

 イマイチ釈然としない部分はあったが、菖蒲は嬉しそうだし、と自分を納得させて鞄のファスナーを閉じる。

 同時に髪を結い終えた菖蒲も満足げに頷いて立ち上がった。

「美咲ちゃん、準備できた?」

「ん」

 美咲も短く返事をすると、膝をついて立ち上がる。掛け時計の針は十時半を指していた。約束の時間が十一時半なので、スーパーで菓子折りを買う時間を考えても今から出れば丁度良い頃合いだろう。



 ジリジリと照り付ける太陽。アスファルトの上には陽炎が揺らぎ、美咲は額に伝う汗を手の甲で拭った。少し後ろを歩く菖蒲に振り返ると、歩幅を狭めて速度を落とし、彼女に並ぶ。

 その時、菖蒲が何か思い出したように伏せていた顔を上げた。

「ねぇ、美咲ちゃん」

「ん?」

「その……この前、桜ちゃんとすれ違った時……」

 桜? と美咲は唐突に出てきた名前に首を傾げる。少し間が空いて、気がつく。

 この前とは花火を見た帰りの時を言っているのだろう。

「あの後なにか連絡とか……した?」

「……んー」

 どうして今そんな質問をするのだろうという疑問は残るが、美咲は青空を軽く仰ぎながら口元に人差し指を当てて思考する。

 あの後、寝る前に桜にメッセージを飛ばしてみたがすぐに反応はなく、返信が来たのは翌朝になってからだった。それも「何でもない」という一言で締められており、何も詳しい事情は聞けなかったのだ。

 確実に何でもないわけはないのだが、桜の事情にそれ以上首を突っ込むのもどうかという気持ちもあり、結局何も訊けず仕舞いだ。


「……まー、大丈夫でしょ」

「そうなの?」

 根拠はないけど、と胸の中で付け足す。しかし本当に辛い状況ならば相談してくれるだろうとも思っていた。今はきっとこうしておいた方がいい、と美咲は自分を納得させる。

 菖蒲はまだ納得しきれていない様子だ。どうして桜のことを気にかけているのだろう、と首を捻った時、スーパーが見えてきたので思考を中断させた。




 スーパーで適当な菓子折りを買った二人は、そこから少し歩いた叔母の家に到着した。

 二階建て庭付きの立派な一軒家で、あのボロアパートとは比べ物にならない。左手に見える車庫には大きなワゴン車が停まり、玄関の周囲は植木鉢に植わった色とりどりの花で彩られている。

 それらを適当に眺めながらインターホンを押す美咲。隣には筆記体で書かれた表札が掲げられていた。



「あらぁ、早かったわねぇ」

 しばらく待っていると、玄関のドアが開いて叔母が顔を覗かせた。しゃがんで花を見つめていた菖蒲が立ち上がって、軽く頭を下げる。

「あの、今日はありがとうございます」

「いいのよ〜。久しぶりに二人の顔も見たかったし」

 そう言って、美咲にウインクして見せる叔母。美咲は苦笑して内心、歳を考えろと言いたかったが堪える。昔から叔母はこういう人だ。

「あと、これつまらないものですが……」

「あらぁ、いいのにー」

 菖蒲は先ほど買ったばかりのクッキー詰め合わせを叔母に手渡した。従妹たちがこれを好きだったと菖蒲が言ったので、美咲も『それでいいよ』と適当に決めたものだった。

 叔母は機嫌良さそうにドアを開いて、二人を招き入れる。

「暑かったでしょう。さぁ、入って?」


 叔母に連れられた二人が通されたのは、白を基調とした家具で統一された広々としたリビング。何度見ても羨ましい家だな、と美咲は鞄を下ろしながら心の中で呟く。少しアパートにも分けて欲しいくらいだ。

「今、お茶淹れてくるからくつろいでてね」

 叔母はそう言って台所へと入って行った。美咲は鞄をフローリングの床に置くと、L字型の白いソファに腰を下ろす。菖蒲も遠慮がちにその隣に足を揃えて座った。

 冷房の風がとても心地よい。美咲は胸元のボタンを幾つか外し、冷えて頬に伝った汗をハンカチで拭う。


「……ん?」

 その時、美咲は何かの視線を感じて今入って来たドアに顔を向ける。つられるように、菖蒲もその視線を追った。

 ドアのガラス部分から、ショートカットの少女がこちらを覗いている。二人が目を瞬いていると、少女は慌てた様子で姿を隠した。

 バタバタと階段を駆け上がる音が聞こえて来る。

「…………」

 従妹いとこか、と嘆息して正面に顔を戻す。両親の葬式で見かけて以来だ。

 何年生だっただろうか、とおぼろげな記憶を辿る。上の方が確か中学一年だったから、小学三年か四年のはずだ。どちらともここ数年言葉を交わしていないので定かではない。

 菖蒲なら知ってるだろうとも思ったが、わざわざ訊くのも面倒なのでそういうことにしておく。


「あら、どうかしたの?」

 両手に紅茶を持って戻って来た叔母が、ドアに向いたままの菖蒲に不思議そうに尋ねる。「いえ、なんでも」と慌てて前に向き直る菖蒲。叔母はソファの高さに合わせられた白いテーブルにカップを置くと、L字ソファの二人が座っていない短い側に座り、一息いた。そして微笑む。

「さて、元気にやってる?」


「……まぁ」

 目を逸らしながら短く返す美咲。この前は菖蒲が風邪で倒れたりと色々あったが、今は問題ないはずだ。菖蒲も「はい」と口元を緩めて答える。叔母は嬉しそうに手を合わせて笑った。

「なら良かったわぁ。私、色々と心配で」

 色々と、のところで美咲はチラリと一瞬だけ叔母から目を向けられたように感じた。

 菖蒲との不仲のことは叔母も知っている。ただ純粋にうまくやっているのか心配されているのだとは分かるが、少しだけムッとする。それを抑えるように、美咲はギュッとショートパンツの裾を握った。


「あの、ところで今日はどうして……」

 紅茶を飲み、カップを置いた菖蒲がおずおずと叔母に尋ねた。すると叔母はまた笑って、

「久し振りに二人の顔が見たかったからよ〜」

 菖蒲を扇ぐように手を振りながら言う。しかしまだ納得がいかない様子の菖蒲に、叔母は表情と声に少しばかり真面目な色を出した。

「二人とも、あんなことがあった後でずっと落ち込んでる様子だから心配だったのよ」

 落ち込んでる、という部分に美咲は僅かな引っ掛かりを覚える。自分ではそれほど落ち込んでいないという自覚があった。そのうちに実感が湧けば落ち込むのだろうかとも思っていたが、今の所その様子もない。

「でも、少し元気になったみたいで安心したわ」

 そう言って、叔母は菖蒲に微笑みかけた。



「……はい」

 菖蒲はテーブルを見つめるように視線を落とすと、それをチラリと美咲に向ける。「ん?」と美咲が首を傾げると同時に、恥ずかしそうに頬を染めて俯いてしまった。その口元が僅かに笑みを浮かべる。

 目を丸くする美咲。なんだ今のは。


 その様子を見ていた叔母も、そこに今までとは違う空気を感じたのか、驚いたように目を見開いた。しかしすぐに微笑ましげに口に手を当てて笑う。

「うふふ、二人とも何かあったの?」

「いや、何も」

 慌てて首を振って誤魔化す美咲。「何か」あったことは確かなのだが、それをはっきりと口に出すことは気恥ずかしい。菖蒲は黙ったままモニョモニョと口を動かすだけだった。


 やっぱり違って見えるのか。

 美咲は、紅茶に手を伸ばしながら眉根を寄せた。

 今までは菖蒲と一緒にいるだけでムスッとして、ピクリとも表情を動かしていないようにしていた気がする。端から見れば仲が悪いんだなと誰もが推測するような、そんな関係。

 それが今はどう見えているのだろうか。

 まだ何も変わっていない。まだ始まったばかりだ。そういい聞かせるように過ごしているが、叔母から見れば確かに何かが変わっているらしい。

 まぁ、確かに前よりは気を張らないでいられるかな、と美咲は紅茶を喉に流し込みながらぼんやりと考える。彼女の好みに合わない何の甘味もない紅茶は、喉まで出かけた言葉を洗い流してしまうようだった。

「でね、いろいろ話したいことがあるのよ〜」

 更に機嫌をよくした様子の叔母は、声を高くしてあれこれと話し始めた。



 お喋りが好きな叔母は、二人の生活のことや食事のこと、勉強のことなど諸々のことを訊いたり話したりした。菖蒲は楽しそうに話しているが、美咲は時折話を振られてそれに返すだけだ。

 叔母の話は、極力過去のことには触れないようにしていることに美咲は気が付いていた。きっと菖蒲もそれには気が付いている。

 二杯目の紅茶を飲み終えた頃には、美咲は既にそんな話に倦んで意識をぼうっと今日の夕飯に巡らせていた。

「それでね、お母さんのことなんだけど」

 そんな彼女の注意を引いたのは、ふいに叔母が切り出したそんな話題だった。



「お母さん、あんな感じの人でしょ? 老人ホームで周りと人とうまくやっていけてないらしくて、うちに来たいって何度も言ってるのよ〜」

 叔母のお母さん。つまりは、美咲と菖蒲の祖母。

 それが話題に上った瞬間、二人の表情が強張る。特に美咲はフラッシュバックのように、両親の葬式で見たその顔と言葉が脳裏に浮かんだ。菖蒲も「そう、なんですか」と呟くように言ってからスカートの裾を握る。

 それを見た叔母も、しまったというように目線を泳がせた。

「あ……いや、ほんと困っちゃうわよねぇ。それでね、話は変わるんだけど……」

 そして僅かに焦りの色を浮かべて話題を転換させる。美咲は気持ちを落ち着けるためにふぅ、と息を吐いて瞼を閉じた。

 それでも、言いようのない焦燥感が彼女を苛む。

 それは祭りの後にも感じていたものと似た感覚だった。



 昼食までご馳走になった二人が、『晩ご飯も食べていけばいいのに〜』という叔母の誘いを断って家を出て来たのは、時計が二時を回った頃だった。

 結局、昼食の時も従妹いとこたちは姿を見せないままだった。菖蒲は気にかかっている様子だったが、美咲にとっては都合がいい。

 わざわざ会っても気まずくなるだけだ。そんなに会いたければ菖蒲だけ会いに行けばいい。

「……って」

 そんな風に思ってしまうからダメなんだろうなぁと、美咲は目を細めて歩く菖蒲の横顔を眺めながら思った。



 八月が終わろうとしていても、蝉時雨は依然として町中に響き渡っていた。時々、路上に落ちているその亡骸が物悲しい。

 そういえばそろそろ新学期か、と美咲は溜まりに溜まった課題の存在を思い出して頭を垂れた。


 僅かな焦燥と、小さな期待を抱えたまま夏は過ぎていく。

 その先に待っているのは幸せか不幸か。

 


 まだ高く青い夏空を見上げながら、美咲は小さく零した。

「……何事もなければいいなぁ」

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