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夏の日常、紡ぐ真情

「私もやる。」


 力強く頷きながら呟いたのは先程まで分厚い本に集中していたはずの菖蒲だった。

 ワンルームの狭い部屋は今日もサウナ一歩手前くらいには暑く、風を通すために開けている窓からは夏を謳歌している蝉の鳴き声がこれでもかと入ってくる。


「はい?」


 バイト募集の雑誌をうつ伏せの体勢で眺めていた美咲は、菖蒲の予期せぬ返答に思わず間抜けな声を出して顔を上げる。


「美咲ちゃんだけに働かせるなんて出来ないよ。私も働く。」


 美咲の視線の先の菖蒲は至って真剣な様子だった。困ったような顔がデフォルトの菖蒲にしては珍しい表情だ。


「いや、あたしの小遣い稼ぐのになんで、お姉、ちゃんがバイト、する事になるの……さ。」


 普段しっかりしているようで、実はトンチンカンな事を言う事が多い菖蒲。そんな菖蒲に冷静に突っ込むのは美咲の癖になりつつあった。しかし、言葉の途中で自然に姉を意識するワードに気づき、言葉の最後が締まりを失う。

 そんな美咲を特に気にするでもなく、菖蒲は真面目な表情で続ける。


「美咲ちゃんの為じゃなくても、この機会に少しでも家計が楽になるようにしたいと思うの。」


 美咲は、家計が楽になるように、という菖蒲の言葉に意識の差を感じ、少し心持ちが悪くなる。


「バイトって体力いるんだよ?疲れるよ?」


 家計を楽にするために働いて、体調を崩したら本末転倒じゃないか、と美咲は病弱な菖蒲を懸念する。

 しかし、菖蒲は美咲の心配事になど気付かず、夏休みだから疲れても大丈夫だよ、などと言って笑った。

 美咲は呆れたように右手を眉間に押し当てる。

 今までならこの辺りで、好きにすれば、と言い放って終わるところだった。

 だが何故かそうする気は起きず、やめさせるのでもなく、美咲はそのままの体勢で目を閉じていた。

 先程まで喧しく鳴いていた蝉がタイミングよく鳴き止み、部屋に沈黙が訪れる。

 菖蒲は話が終わったものと感じたらしく、読書に戻ったらしい。ページを繰る小さな音が聞こえる。


「……わかった。けど体調を崩したりしないでよね。」


 少しの間をあけてから、美咲は溜息を吐く。間髪入れずに、面倒くさくなるから、と付け加え、広げていた雑誌を閉じた。


「うん、心配掛けないように頑張るね。」


「別に……心配とかじゃないから……」


 言ってしまってから、これでは私はあなたを心配してますよ、と言っているようなものではないか、と気がつき、もやもやとした気持ちが胸の中に渦巻く。にこやかに自分を見ている姉に表情を悟られぬように、ごろり、と菖蒲から顔を背ける。視線の先の開いている窓に蝉がへばりついていた。

 今まで特に気にしてこなかった姉妹間の距離、というものを意識し始めた所為か、美咲は本音と建前のバランスがわからなくなっていた。

 嫌ったままではいけない。けれども突然接し方を変えたりなんかできない。そんな考えがぐるぐると頭の中に渦巻き続けている。

 時間がいるんだ。もう少し、時間が。

 時間があれば、この胸のもやもやも、言葉端に感じる違和感もなくなるはず。今はまだ問題の解決には時期尚早なだけ。

 そうして何回繰り返したかもわからない、自分への言い訳を今日もまた、繰り返す。

 あたしだって言い訳くらいいいじゃん。あんたと違って色々大変なんだからさ。

 やけくそ気味に、頭の中で窓の蝉に語りかける。蝉は特に反応も示さず、再び喧しく鳴き始めた。





「緊張してる?」


「……はい」


 数日後、自宅の近くの本屋でアルバイトをする菖蒲の姿があった。

 緑を基調とした制服を身につけ、レジの後ろに立つ菖蒲は普段とは違い、落ち着きがない。


「まぁ、レジ打ち初めてなんだし、大体は俺がやるから大丈夫だよ」


 菖蒲の隣にいる同年代くらいの男が言う。こちらも同じ制服に身を包んでいる。


「そういえば自己紹介してなかったね。俺は明石あかし健一郎けんいちろう。ケンでいいよ」


「えと、藍川菖蒲……です……よろしくお願いします……」


「もしかして、藍川さんって東高?」


「はい……あ、明石さんもですか?」


「うん、俺も。やっぱりかーなんか見たことあるなーって思ったんだよね」


 菖蒲の緊張を解そうとしているのか、砕けた様子で話を続ける明石。


「もしかしてさ、この前のテストの成績上位者に入ってなかった?」


 この前、というのは夏休みに入る前に行われた定期テストのことだろう。

 そこそこ名の知れた進学校である東高は、成績上位十名の名前が学校内の掲示板に貼りだされる。

 菖蒲は特に気にして見たこともなかったので、自分が入っていた、という話は素直に嬉しかった。


「今度勉強教えてよー。あのテスト赤点ギリギリでさ。英語の山本いるじゃん?テスト返す時にめっちゃ睨まれてさー。」


 明石はケラケラと笑いながら壁掛け時計を確認すると、気持ちを切り替える様に制服を叩いた。


「さて、そろそろ開店だね。まぁ本屋なんて暇だからさ、気楽にいこう。」


「よろしくお願いします。」


 つられて菖蒲も制服のシワを伸ばして姿勢を正した。




「お疲れ様、初めてとは思えないほど手際がいいね」


 アルバイトが終わり、文字通り一息ついていると、明石が話しかけてきた。


「そんな、殆ど任せてしまって申し訳ないです」


 人と話すのが苦手な菖蒲は、アルバイトでも例外なく人見知りを発揮してしまったため、途中からレジ打ちを明石に任せ、本にカバーをつけるだけの仕事をしていた。


「慣れるまではそんなものだって。これからこれから。ほら、俺とはもう話せるでしょ。」


 明石はそう言って親指を立てて笑って見せた。

 賑やかな人だな、と菖蒲は少し笑う。


「そうだ、これやってる?シフトの変更もそうだけど、よかったらこれからちょくちょく話さない?」


 思い立ったように黒いスマートフォンをポケットから取り出し、軽く振ってみせる。明石の携帯の画面には有名なメッセージアプリが表示されていた。


「よろしければ、ぜひ。」


 菖蒲はたどたどしい手つきで、連絡先を登録していく。


「久し振りにみたわーケータイ両手で持ってる人……」


 こうして、カナとの連絡専用機になりかけていた菖蒲の携帯に、新しい連絡先が追加された。



「おかえり」


 菖蒲がアルバイトから帰ってくると、美咲が夕飯の支度をしていた。

 美咲はコンビニでアルバイトをしているはずだったが、どうやら今日は既に終えてきたらしい。


「ただいま。夕飯の支度、任せちゃってごめんね。」


「いいよこれくらい。あと謝らないの。」


「ごめ……あ、ありがとう……」


 美咲は特に興味を示さずに料理を続けつつ、あとちょいで出来るから、と独り言のように言った。

 美咲の横をそそくさと通り抜け、壁に寄りかかって座る。途端に気が抜けた為か、どっと疲労感に襲われ、そのまま瞼を閉じた。



「おーい。できたってば。おーい。」


 唐突に頬をつつかれ、浅い眠りから引き戻される。


「あれ、寝ちゃってたかな……なんだか疲れちゃって。」


 既に配膳も終わっているようで、テーブルの上からは芳ばしい香りが漂ってきていた。


「なんでもいいけどさ。冷めるよ。」




「美咲ちゃんは、アルバイト大変?」


 以前よりも食事の時に交わす会話が増えた。理由は菖蒲にはわからなかったが、それが嬉しく、特に意味のないことを話す。


「別に。前にもやってたからね。……お姉ちゃんは……どう、なのさ。」


 美咲から切り返しがあるのは珍しく、少し驚く。


「アルバイトの先輩が優しい人だったから、なんとかなった感じ……かな……」


「ふーん……まぁ、よかったじゃん。」


 別に興味はない、といった声の調子で美咲は食事に戻った。その時に少しだけ、美咲ちゃんが笑ったように見えたのは、きっと気のせいなのだと思う。


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