藍川美咲
「マジあり得ないんだけど!」
スマホの画面を睨んで震える藍川美咲に、彼女の前で同じようにスマホを弄る中沢桜は苦笑を返した。
季節は夏休みを間近に控えた七月。外の蒸し暑さとは隔たれた冷房の効いた教室で、彼女達はダラダラと時間を浪費している。放課後の教室には彼女達以外の姿は無く、グラウンドからは運動部の気合の入った声が聞こえて来ていた。
肩まで伸びた髪を明るい茶色に染めた美咲は先程から苛立ちを露わにしている。その原因はつい数分前に彼女のLINEに送られて来たメッセージにあった。
『わりぃ! 明日のデートなしで!』
送り主はひと月前から付き合い始めた彼女の彼氏だ。土曜の明日は渋谷へデートに行く予定だったのだが、このドタキャンである。何の説明も無いその言葉に美咲の怒りは爆発した。
「ドタキャンとかほんとあり得ないんだけど! ね、どう思う!?」
「……更に疑惑が深まったって感じだね」
美咲に身を乗り出されて尋ねられた桜は、困ったように目を逸らした。口元には引きつった笑みが浮かんでいる。美咲はその反応を見て膨れると椅子に座り直し、嘆息する。
「だよね。絶対浮気してるわあいつ」
美咲の現在の彼氏である平井剛には数日前からある噂があった。それはサッカー部員である彼がマネージャーと浮気しているという噂だ。二人で歩いているところを美咲の友人が発見して美咲に伝え、美咲がそれを剛に問い詰めたが結局「部活帰りだったらから」とうやむやにされてしまった。それから何度も二人きりでいるところを発見されているが剛は認めようとしない。
その疑惑を晴らす意味も含めて剛は今回のデートを提案したのだろう。しかしそれすらも彼は結局キャンセルしたのだ。
「ムカつく。あんな奴こっちからおさらばだわ。ちょっと顔が良いからって調子乗ってんのよ」
剛は顔が良くサッカーも上手いので女子からはかなりの人気がある。そんなイケメンな彼に告白された美咲は迷わず付き合い始めたのだが、話を聞くところによると同じように二股をかけられて捨てられた女子は数知れないらしい。
しかし男の方から捨てられることは美咲のプライドが許さない。そこが彼女の激怒する理由でもあった。
「別れよ、じゃあね……と」
素早いフリック入力で文字を打ち込むと、躊躇なくLINEの送信ボタンをタップする。続けてブロックまで済ませてしまった。
「あーあ、別れちゃった」
桜が残念そうな声を出す。しかし美咲はけろっとしていた。
「別に顔が良かったから付き合っただけだし。どうせ向こうも同じようなもんでしょ」
「……流石だね」
呆れるというより尊敬の混じった声色で呟く桜。
「さーてと、憂さ晴らしにどっか遊びに行こ」
美咲はスマホを鞄に放り込むと椅子を引いて立ち上がり、大きく伸びをする。一方的に振った事で気が晴れたのか表情は晴れやかだ。
彼氏と別れた直後だというのにこの発言。あまりの切り替えの早さに桜はまた苦笑するしか無い。
藍川美咲にとって恋愛とは遊びでしかなかった。
本気の恋愛など彼女にとっては嘲笑の対象だ。そんな事を言っている女に限ってすぐに別れてべつの男を捕まえるものだと常に考えている。
そこそこのイケメンを捕まえ、恋愛ごっこをして自分の欲求が満たされれば美咲はそれで満足なのだ。だから一人の男をずっと捕まえている事はしない。そこそこに楽しんでその男に飽きた段階で容赦なく切り捨てる。よって今回の剛にも未練は何も無い。
「んー、美味しー」
最近出来たばかりのクレープ屋でイチゴクレープを頬張る美咲が顔を綻ばせる。同じものを注文した桜も「うん」と僅かに口元を緩めた。
ショピングモールの一角に位置するその店は彼女達と同じ女子高生の集団で溢れていた。美味しさの評判はどこの女子高生もその情報網から聞きつけたようだ。
学校の事や夏休みの事など他愛もない会話を続ける二人。
その時、窓際の席に向かい合って座る二人の傍に四人の女子高生の集団がクレープを手にやって来た。彼女達は二人に視線を向けると避けるように、少し蔑むように笑い合いながら通り過ぎる。
美咲が露骨にむっとしてその背中を睨みつけた。
「あの制服、東高の生徒じゃん。感じわっる!」
機嫌を損ねた美咲はやけ食いのようにクレープのかぶり付く。桜も眉を潜めながらポツリと呟く。
「相変わらずだね」
東高とは彼女達の通う西高とは反対側に位置する、県内でも有名な進学校である。そのほぼ中央に位置するショピングモールはどちらの生徒も利用するのだが、両者の対立は顕著なものとなっていた。
進学校である東高に対して西高はお世辞にもレベルの高い高校とは言えない。東高の生徒達はそんな西高の生徒を見下す傾向にあり、西高の生徒もそれを面白く思わないので東高の生徒を目の敵にしている。
今の彼女達も茶髪でピアスを着けた美咲と派手な金髪の桜をまるで汚いものであるかのように扱ったのだ。好きで派手な格好をしている彼女達がその視線を不快に思うのは当然だ。
「だいたい黒髪で私は清純ですよーって言ってる奴らほど裏ではやることやってるんだよね」
そんな女子は美咲の最も嫌うところだ。文句を垂れながらあっと言う間にクレープを食べ終わってしまう。
「そういえば美咲のお姉さんって東高だったよね」
ふと何か思い出したように桜が訊いた。すると美咲は更に目を怒らせる。
「あんな奴、姉じゃないから」
「……そっか」
美咲が双子の姉である菖蒲を目の敵にしているというのは有名な話だ。それ以上触れるのはいけないと思ったのだろう。桜は小さくそれだけ返すと、それ以上何も言わずにクレープをちびちびと食べ進める。
「ちょっと勉強が出来るからって何だっていうのさ」
「まぁまぁ」
いじけた子供のようにぶつぶつ文句を垂れる美咲を宥める桜。
「大体、本当に頭の良い奴っていうのは他人を見下したりしないもんだよ」
「……美咲が正論言ってる!」
ぎょっとする桜。美咲は「なにさー」とクレープを咀嚼しながら不機嫌そうに目を細めた。