第四話
「アモンだと・・・!」
その名前に反応したのは、ルチアーノだった。
「確かにドイツ人姓だが、あんたらキリスト教圏の人間には【炎の悪魔侯爵】のイメージの方が強いだろうな」
嘲り笑う口調だが、京牙の声音には笑いの影もない。
と、そこへ口を挟んだのは、今まで一言も発しなかった各務だ。
「・・・・・・アモンの名前の由来は、古代エジプト。
・・・太陽神、アメン・ラー神のアメンの別名でもありますね・・・」
「おいおい・・・・・・」
いきなり飛んだ話題を元に戻そうとした京牙が、リザの顔色が微妙に変わっている事に気付く。
「・・・・ちょっと、待てよ、おい!・・・・・・まさか・・・・っ!」
―――それまで、京牙の非難の言葉を甘んじて受けていた女性が大きく息を吐く。
「・・・・・・どうして私の周りには、こう、勘の良い、イイ男ばかりが集まっちゃうのかしらね・・・・・・・・
・・・・ねえ、京牙・・・貴方の警戒する気持ちも理解るけど・・・少しだけ眼を瞑っていてくれないかしら?
“可愛い翠の、優しいお姉さん”って云う現在の位置が、【私】は、とても気に入っているの・・・・・・・
【私】が過ごさなければいけない永い時間の、ほんの少しの間だけ・・・・それを願うのはそんなにいけない事・・・?」
そう、囁くように呟いたリザの声音があまりに深遠な悲哀をたたえていた気がして、思わず京牙の気が殺がれた、その瞬間。
「私の愛する女性を、そんなに困らせないで欲しいな」
全く気配を感じさせず、背後から響いた男の声に、一瞬、男たちが殺気立つが。
「晃っ!よく来られたわね!」
嬉しそうに飛びつくリザの姿と。何より。
「澤木先輩っ!!」
深水京吾の呼んだ名前に、さしもの百戦錬磨の男たちが動けなくなってしまったのだ。
「・・・・・・おい。・・・今・・・【アキラ・サワキ】と聞こえたのは、私の聞き間違いか?」
日本語を習得して、まだ日が浅いルチアーノは、自分の耳と眼が信じられない。
「・・・・・・いや、確かに、俺にもそう聞こえた」
答える各務の声も、らしくなく呆然としている。
「・・・おまけに、あいつ・・・・【先輩】と呼びやがった!!」
自分と血が繋がった弟を、信じられない面持ちで見つめる京牙。
三人の頭の中は、【リザ】と、突然現れた【澤木 晃】、そして深水の事で飽和状態だ。
そんな三人に、にこやかに近付いて来たのは、どう見ても深水と、そして自分たちと同年代にしか見えない東洋人の男性だった。
「初めまして。お噂は、かねがね。
【倶楽部 NPO】の総支配人・澤木晃と申します」
握手の手を差し出されれば、拒めるわけがない。
せめてもの意地で強く握れば、面白そうに片頬を歪める苦み走った男振りが老練めいて見えるのは気のせいではないだろう。
「・・・・・ごめんなさい、京牙。一時、休戦させて。貴方達の話は、今夜でもゆっくり聞くから。
今は、あのコたちに彼を紹介したいのよ。私の恋人を。」
「・・・・・あくまで“リザ姉”の、“ただの恋人”ととしてだけだな?」
念を押すような京牙の言葉に、だが、リザは却って嬉しそうに微笑んだ。
「勿論よ」
「・・・・それなら、いい。・・・・翠の奴も喜ぶだろう。
リザ姉程の人に恋人がいないなんて勿体ない。誰か良い人を紹介してやった方がいいんじゃないかと心配してたぐらいだからな」
その言葉を証明するように、リザと共に花嫁の集団に埋もれた澤木が二言三言言葉を交わしたかと思うと、ひと際大きな翠の歓声があがり。異様な盛り上がりを見せ始めたのだ。
「おぉ~っと、行かせるか。お前は残れ」
さり気なくその場を離れ、紫たちの元へ向かおうとした深水の首根っこを京牙が掴んだ。
「勘弁してくれよ~~~」
泣きごとを言うかの如き、深水の情けない悲鳴も当然無視だ。
「【倶楽部 NPO】の・・・【CLUB NPOE】のA・SAWAKIと、マダム“L”には手を出すな。
・・・・・これは、裏の世界の不文律だ。
しかも、その総帥のSAWAKIと言ったら、80過ぎのジジイのはずだぞ!!
そのジジイを【先輩】なんて呼べる人間が、この世界に何人いるってんだっ!?
・・・・それに、俺はずっとおかしいと思ってた。
あの【マダムの館】は、一種、裏の世界の緩衝地帯になっていて、そこの主人に手を出すなと云うのは理解るが、支配人の名前は玲子だからな。イニシャルは、Rのはずだ。
・・・・“L”と云うのは【LIsa】の事だったんだな・・・・・・・」
唸るように言い募る義兄の言葉に、諦めたように肩をガックリと落とす深水。
気配に敏感なはずの己が背後をとられた事に焦って、思わず口走ってしまった自分が恨めしい。
「・・・“深水京吾は、SAWAKIの双璧の懐刀の一口”・・・この噂は、真実だったんですね・・・」
各務の言葉に、弾かれたように振り向く京牙。
今まで何度聞いても信じられなかった噂が突如として重みを増し、良く知るはずの義弟が全くの別人に見える。
「・・・・その噂・・・・誰か消してくんないかな~~
俺が、あいつのために動いた事なんて、ホント数えるくらいしかないんだぜ~~」
ゴクリと喉を鳴らした京牙が、改めて各務に向き直る。
「・・・・・・以前パリで、こいつを『一般人』と言った言葉を撤回させてくれ」
「勿論です」
オペラ座での、ルチアーノの放ったネズミに関する会話を思い出し、即座に頷く各務。
「何だよ、それ~~。俺は立派な一般人だぞ~!
ヤクザやマフィアと一緒にするなよな~~」
途端にブーたれたクレームが入るが、そんなものは当然の如く無視され、相手にする者など誰もいない。
「・・・・・・後は、リザの奴だが・・・・・・・」
「―――それは、もう良いのではありませんか?」
今の今まで沈黙を守っていた男が、初めて口を開いた。
「リザは、リザです。それ以上でも、以下でもない。
・・・・少なくとも、我々の前では。
翠くんが言うところの“リザ姉”。それで、良いのではありませんか?
・・・・例え、彼女が何百年・・・いえ、何千年、生きていたとしても・・・我々には関係ない事です」
静かに微笑む男が裏の世界の住人ではない事は分かり切っているが、その底知れなさは決して常人のそれではない。
これが、人間の心の闇を垣間見、それを癒し治す仕事に従事する者の強靭さなのかと舌を巻く思いの京牙だった。
「・・・・・・関係ないと言い切れる、あんたは凄いと思うぜ、高見沢」
「おや、光栄ですね。【紅い眼の悪魔】に、そこまでお誉め頂けるとは。
・・・・それより、ほら、参りましょう。花嫁たちが、我々花婿を待っていますよ」
「・・・・ああ・・・そうだな・・・・・」
見れば、純白の花嫁たちに囲まれた、リザと澤木の方こそ、より幸せそうに見える。
実際、そうなのだろう。
地位を持つ者が、邪念のない無邪気な者に救われる事を自分は身をもって知っている―――
「京兄ーーーっ!」
自分が見ている事に気付いた愛しい人が呼んでいる。
京牙は、その声に向かって一歩を踏み出した。
「・・・・・・おい、マサヤ・・・・・・」
「・・・・・・今の俺に話しかけるな。・・・・何を口走るか分からんぞ・・・・・・」
「それは私も同様だ。・・・・私は、極上の甘い夢を見た後に、酷い悪夢を見ている気分だ。まるで、船酔いでもしているようだ。」
「・・・・・・三途の川を渡る舟に乗っているのかもな・・・・・・」
「サンズノカワ?どこの川だ、それは?」
「・・・・・・忘れろ。戯言だ。」
そう捨て台詞を残して、雅の元に去ってしまう悪友の後ろ姿を見送ったルチアーノは、後にタツキに【サンズノカワ】の意味を聞いて、酷く心配させてしまう事を盛大に後悔する事となる。
いつか、リザと澤木のロマンスも書いてみたいです♡
ちなみに、澤木の名前は、某ドラマのシリアルキラーから頂きました。