第一話
視点が頻繁に変わりますので、ご注意下さい。
「お疲れ様でございました」
もう、深夜と呼ばれる時間。
自宅マンションの駐車場に降り立った京牙は、若頭の滝本に深々と腰を折られ盛大に溜め息を吐く。
「全くだぜ」
旧態依然とした閉塞感に我慢ならなくて家を飛び出したはずの自分が、
これまた旧くからのしきたりに則って、自らが創り上げた団体の母体組織の新年会に赴かなければならない。仕方がない。これも大事な義理事だ。それに、家に比べればまだマシだ。自分が自分らしく息がつける。
いくら経済ヤクザとして名を馳せ、納める上納金が常にトップクラスを維持していようとも、京牙はこの世界ではまだまだ若輩者だ。自分より遥か年長者たちが組長や大幹部らに挨拶し終わるのをジッと待つしかない。そして延々と待たされた挙句、やっと自分の番になったかと思う間もなく、大宴会への突入の時刻になってしまうのだ。この宴会は強制参加ではない。だがここで不参加など表明しようものなら、『礼儀を知らん奴だ』とか『思い上がった若造が』などと、それでなくとも常日頃から年若い京牙が上層部に眼をかけられている事を快く思っていない連中に、ここぞとばかりに言い立てられるに決まっているのだ。
勿論、京牙自身は、旧い考えにしがみつく脳なしの古参連中に何と言われようと一向に気にならないが、わざわざ敵を増やす気もない。
だから、一日大人しく我慢した。
それに、こんなバカバカしい付き合いに忙殺されるのは、元旦だけだ。
明日の二日は、翠と二人で近くの神社に初詣に行く約束をしている。帰って来たら、翠お手製のお節を摘みながら一日をのんびりと過ごす予定だ。
翠の奴、もう寝ちまってるかな
車から見たマンションの明かりは消えていた。
まあ、寝ていたらそれでも構わない。優しく起こしてやるだけだ。
――何と云っても、今夜は【姫始め】なのだから――
・・・などと助平な事を考えていたら、滝本の遠慮のない溜め息を頂戴してしまった。
「京牙様。翠様は、一応、受験生なのだと云う事をお忘れなく」
「わぁーってるよ。だが、あいつの成績なら大丈夫だろう。
それに、正月休みくらい羽目外したって、いーじゃねーか」
「外し過ぎるのもいかがなものかと・・・・・・」
「ヘイヘイ。気を付けます」
「それでは、四日の水曜日にお迎えに上がります。」
「ご苦労さん。お前も、ゆっくり休めよ」
「ありがとうございます。それでは、失礼致します」
ドアの向こうに消えた主人に深々と一礼をして。
その場を去った滝本だったが、三十分もしないうちに京牙からただならぬ連絡が入る事になる。
「翠がリザの奴に浚われた!明日朝一番で、E温泉へ行くぞっ!!」
イタリアン・マフィアのルチアーノ・アレッサンドリは、愉快さと不愉快さの直中と云う、何とも微妙な位置にいた。
去年の春の終りに、運命の恋人と出逢い。
夏に想いを通わせて。
裏と表の仕事をこなしながら何とか時間をやりくりし、愛しい恋人と逢瀬を重ねたが、やはりイタリアと日本の距離は遠い。
でも。いつもは自分が日本に出向くのに、出会ったパリの教会巡りをしてみたいからと、タツキの方がクリスマスにこちらに赴いてくれた。日本にはクリスマス休暇と云うものがない。それでも。自分とクリスマスを過ごしたいからと無理をして、長い休みをとってくれた。バカンスに少ししかいられなかったお詫びだと言って。お陰で、この上ない聖夜を過ごす事が出来たのだが。
年末に届いたメールによって、急遽、大晦日に帰国する事になってしまったのだ。
本当なら、日本の“お正月の三が日”とやらで、三日まで一緒にいられるはずだった。
いや、一緒にいる事はいるのだ。
日本の温泉とやらに。
確かに設備は素晴らしい。
イタリアの温泉に比べても遜色ないと云える。
庭もそれなりで、“日本情緒”とやらを感じさせる・・・・と云えない事もない。
だが、そんな事はどうでも良い。何よりも。
愛する人と引き離されている(たとえ、着替えの間だけとは云え)、この現状が我慢ならないのだ。
まあ、この愉快で壮大な【悪戯】に、一枚噛ませてもらえた事には感謝している。
でなければ、今、この瞬間にも、誰よりも愛しい恋人の事を想って、イライラしながら車中で我慢していなければならないからだ。
他の男たち・・・・マサヤ、ケイガ、タカミザワのように。
――――発端は、去年のクリスマスに養子縁組した、深水京吾と加納紫にあった。
欧米の一部で認められている同性婚は、日本では認められていない。
だからこの縁組は、正式な婚姻にも等しいのだと、タツキに教えられた。
ちなみに、加納紫が戸籍上は男性である【両性】だと打ち明けられたのは、この時だ。
多少の驚きはあったものの、彼らが深く愛し合っているのは事実なので、【我々】は割とすんなりとその事実を受け入れた。
そして、婚姻の証人になった雅と、京牙から聞いて知った翠が言ったのだ。
『新年会を兼ねた、結婚のお祝いパーティーをやりましょう♪』と。
香月に、タツキに連絡をとり。
そして、リザと云う一人の女性に相談した事によって、事態は一変した。
『私の手持ちの別荘の一つを提供するわ。
E温泉にあるんだけど、お正月でも梅が咲くのよ。
サンルームにはバラがいつでも満開だし、ガーデンパーティー風にしたら?
・・・・ついでだから、貴方たちも着飾っちゃいなさいよ❤』
――かくして、このリザが経営すると云う銀座のセレクトショップに連れて行かれた五人組は、それぞれの【旦那】を驚かすべく秘密の衣装あわせをし。今、まさに着替えの真っ最中なのだ。
かく言う私も、タツキの衣装に合わせたと云うモーニングコートを着用させられている。
モーニングが誂えたように私にピッタリなのは、驚く必要もない事だ。あの京牙、深水兄弟と、そして高見沢の共通の友人なのだから、その正体は推して知るべしだ。
カフスに黒真珠が使われているのは、リザとやらの遊び心だろう。
「・・・・・・悪かったな。俺たちのために、わざわざ帰国させちまって」
少しずつ花を咲かせている白梅と紅梅の鑑賞出来る陽当たりの良い部屋で、イライラと、だが、抑え切れない好奇心と期待に胸を踊らせながら、出された珈琲を飲んでいた私は、入ってくるなりフカミに謝罪されて少なからず驚かされた。
そのフカミは、黒のフロックコートに身を包んでいる。
いや、正確に云えば、【深水】姓ではなく、【加納】姓になったのだが。
“夫婦別姓”と云う事で、相変わらず私は【フカミ】と呼んでいる。彼が、自分の名前を忌み嫌っているのを知っているからだ。
その、加納姓になるために、私は去年、少しばかり力を貸した。
何と言っても彼は、私のタツキの一番の親友なのだから。
初対面から怒らせてしまった彼への、ちょっとした点数稼ぎの心算があった事は否定出来ない。
最初は毛嫌いしていた私が、よりによって自分の大親友に求愛しているのを知って徹底抗戦の構えでいたのだが、夏から少しずつ態度が変化し、今回の帰国で軟化したように思うのは決して気のせいではないはずだ。
・・・・私の協力が功を奏したわけではない。
――タツキの柔らかな表情を見たからだ――
「・・・・いや。君に気にされると私も困る。
タツキは、皆で会える事を楽しみにしていたし・・・・・
むしろ海外にいた事で仲間外れにされていたら、私が恨まれてしまうところだった」
「滝本は、そんな事であんたを恨んだりしやしないぜ。
・・・・・・いや、むしろ、あんたが物凄くがっかりするところだったろーぜ」
「・・・・あの、リザと云う女性にも楽しみにしておくように言われたが・・・・・
タツキたちはそんなに正装をするのか?・・・まあ、私たちにもこんな格好をさせるぐらいだからな」
「そいつは、見てからのお楽しみ。
・・・・・・・それにしても」
「ん?」
「いや・・・・翠くん奪還に、あの兄貴がどんな顔をして乗り込んで来るかと思うと可笑しくてね」
「・・・・・・・それは私も同様だ。あの冷血動物が、どんな顔をして飛び込んで来るかと思うと楽しくて仕方がない。」
そう。翠や雅たちは、今回の催しを互いのパートナーには秘密にしていたのだ。
密かにつけられているガードさえ、巻き込んで。
主役である深水と、帰国するルチアーノは別格として。
愛する者に対しては異様に独占欲の強い、普段は冷静な男がどんな顔をしてやって来るのか・・・・・・・・
所詮は似た者同士の二人が、珍しくも眼を見交わして笑った瞬間だった。
「翠ーー!リザ、貴様ーーーっっ!!」
「雅さんっっ!!」
「香月!」
リザの迎えのリムジンで同時に到着した怒声は、
「いらっしゃい。これで、役者はそろったわね。
・・・・・・・・・・・・・・出てらっしゃい、五人とも」
リザの声に導かれて出て来た五人の姿に、一瞬にしてかき消えた。