虚心から君へ
ー虚心から君へー
<飴と雨の作興>
<紙一重の働き>
<水の動きと囁き>
<点と線の平行>
<鉄格子の輝き>
『誰も予想し得なかったその悲劇は、突然起こった』
<飴と雨の作興>
ある日の朝方だっただろうか。突然、建物全体が大きく揺れ始め、棚からものが落ちた。病室の外が一段と騒がしくなる。緊急地震速報が整備されていなかった時代だったので、地震は自分たちの身で感じるしかなかった。
病院のベッドで寝ていた"中山恵美の母"は飛び起きて、隣の椅子で寝ていた"恵美の父"を起こした。
「お父さん!お父さん!地震よ!」
恵美の母は何度も叫んだ。だんだんと、揺れが強くなっていく。
「早く避難しないと!」
恵美の父がそう言いながら、母をベッドからゆっくりと下ろした。
「あ、恵美が……恵美がまだ保育室に……」
恵美の母が深刻な表情で言った。
「分かった。美穂は俺に任せろ。お前は早く病院の建物の外に避難しろ」
そう言って、美穂の父は病室の外に走っていった。恵美の母は数日前に恵美を出産したばかりで、赤ちゃんの恵美も、恵美の母も入院中だった。
恵美の母は近くにいた看護師の手を借りて、病院の外までやっとの思いで避難した。恵美の母は外を歩き回り父を探すが、なかなか見当たらない。
次の瞬間、再度地面が大きく揺れた。先ほどの地震の余震のようだ。建物も再度大きく揺れ、病室の窓ガラスが外れて何枚も下へ落下してきた。
「恵美!お父さん!」
恵美の母は歩きながら叫んで、二人を探し続けた。
それから数分後、美穂の父が一人の医者と一緒に肩を組みながら早歩きで、病院の出入り口から出てきた。その間にも余震は続いている。
「お父さん!こっち!」
恵美の母は懸命に手を振った。
「"大森先生"が助けてくれたよ。先生がいなかったら、今頃どうなっていたか」
恵美の父は咳き込みながら言う。
二人はすぐに美穂の母を見つけて、こちらに向かってきた。すると病院が大きな音を立てて三階から崩れ落ちた。美穂の母と父は二人で顔を見合わせた。
「危なかったな〜」
恵美の父は、開いた口が塞がらなかった。
「本当によかった。赤ちゃんは無事?」
恵美の母は安心した表情で父に聞いた。
「もちろん。この通り元気いっぱいだよ」
恵美の父は笑顔で両手に抱えた赤ちゃんを、美穂の母に差し出した。赤ちゃんは目一杯の笑顔を二人に見せた。
一八九三年に発生したこの地震は、後に日本海中部地震と呼ばれ、当時では戦後最大の大地震だった。震源は秋田県沿岸。秋田県に住んでいた恵美の家族を含む被災者たちは、それぞれ別の県に移り住んでいく人が多かった。
その後、三人は秋田県から新潟県の市内の小さなアパートに引越した。
恵美の父は新潟県で新しい仕事を見つけて収入は多くはなかったが、家族三人で楽しく過ごしていた。
「何とか、近くの会社で働かせてもらえそうだよ」
夕食の席で恵美の父が言った。
「一安心ね。新潟県にお父さんの弟がいて本当に助かった」
恵美の母も安堵の表情を浮かべた。
「この子を、守っていかないとな」
恵美の父が恵美の方を見つめながら、一言一言を噛み締めるように言った。
それからあっという間に一六年が経った。ある日の平日、恵美の父が会社に行こうといつも通り準備をして靴を履き、玄関に立った。すると、ゆっくりと振り返って恵美と恵美の母を呼んだ。
「お〜い。恵美!お母さん!」
「急にどうしたの?」
二人はすぐに玄関に集合した。恵美は高校の制服、母はエプロン姿だった。
「いや、別に、特に理由はないんだけど……」
恵美の父は下を向きながら暗めのトーンで言った。
「そうなの……?」
恵美の母は首を傾げた。
「いってきます」
恵美の父はその言葉を噛み締めるように二人に言った。
「いってらっしゃい‼」
二人は声を揃えて恵美の父に言った。
「じゃあ、私もそろそろ学校行くね!」
恵美は母に笑顔で言った。すぐに学校のカバンを部屋から持ってきて、玄関で靴を履いた。
「いってらっしゃい!」
いつも通り恵美の母は言った。
「行ってきま〜す!」
恵美はそう言って高校に向かっていった。恵美の母は玄関に立ち、恵美の母は笑顔で恵美を見送った。
その日の夜、恵美と恵美の母は帰宅して、父の帰りを夜遅くまで待っていた。夕食の準備は整い、段々と冷めていくのをただ待つだけだった。いつも恵美の父が帰ってくる時間になっても、一向に帰ってこなかった。
その時、部屋の隅にある固定電話に電話がかかってきた。
「お父さんかもしれない。恵美、電話に出てくれる?」
恵美の母の表情が、一瞬明るく見えた。
「うん」
恵美は返事をして立ち上がり受話器を取り上げた。
「もしもし。え、あ、はい。そうですか……」
恵美は困惑していた。
「内容は?なんだって?」
恵美の母は一筋の希望を胸に恵美に尋ねた。
「ただの間違い電話だったみたい」
恵美が言いづらそうに答えた。二人がいる部屋にまた沈黙が訪れた。
最初は二人とも仕事が長引いていて残業が続いているだけかと思っていたが、一週間が経過しても父が帰ってくることはなかった。
<紙一重の働き>
恵美の母は父がいなくなってから唯一の収入が無くなってしまったので、近所のコンビニでバイトをするようになった。働き始めてから一ヶ月ほどが経って、ようやく仕事に慣れてきた頃だった。
平日の夕方、女子高生が両開きの自動ドアを通って店内に入ってきた。制服から推測するにおそらく近所の進学校の生徒だ。
「いらっしゃいませ」
恵美の母はいつも通り言った。しばらく女子高生は店内を徘徊して、何も商品を手に取らずにレジの方へ向かってきた。
「一五番ください」
女子高生が恵美の母から頻繁に目を逸らしながら言う。
「タバコですか?」
恵美の母は聞き間違いだと思って問いただした。
「そうだけど。早くしてくれない?」
女子高生はイライラしながら言った。
「あなたまだ未成年よね?販売することはできません」
恵美の母は女子高生に言い切った。
「は⁈あんたにそんなの関係ないでしょ。早く売れよ!」
女子高生の口調がヒートアップしてきた。
「できません。お帰りください」
恵美の母は女子高生に帰るように促した。
「ふざけんなよ。チェ」
女子高生は悪態をつき、舌打ちをしながら出口に向かった。
「ちょっと待ちなさい。あなた近所の北丸高校の生徒よね。学校に報告します」
恵美の母は女子高生の左手を掴んだ。
「離せよ!」
女子高生は、恵美の母の手を振り払いながら言った。
「こっちに来なさい!」
抵抗する女子高生の腕を思いっきり引っ張った瞬間、女子高生はよろけてレジのカウンターに頭をぶつけてしまった。
「あぁ!」
恵美の母は叫んだ。女子高生は床に倒れたまま全く動かない。頭部からは真っ赤な血液が流れてきた。
「死んだの?」
女子高生からの返答はない。
「見つかったらまずい」
冷静な判断ができる精神状態ではなかった。恵美の母は急いでバックヤードに、女子高生の遺体を運んで行った。とりあえず遺体を大きめの段ボールの中に押し込み、すぐにカウンターに戻って女子高生の血を拭き取った。
その後、恵美の母は何事もなかったかのように仕事に戻った。
恵美の母はその日の深夜まで働いた。夜の十時ごろになるとお客さんはほとんど来ない。
恵美の母は店内の様子を確認しつつ、バックヤードに隠した段ボールを何度も見に行った。
退勤する前に女子高生のカバンだけを取り出し、財布の中身を確認した。
「やっぱり、北丸高校ね!」
学生証を見ながら言った。さらに財布の中を漁っていると一枚の名刺サイズほどの古い写真が落ちた。
「何これ?」
恵美の母は恐る恐るその古い写真を拾い上げて、確認した。
「私と夫と……この子は恵美???」
写真には恵美の母と父、それから恵美だと思われる赤ちゃんが、恵美の母に抱えられている、三人が写っていた。
「なんでこの子がこの写真を?」
恵美の母は不思議でしかなかった。その写真は恵美が生まれてからすぐに病室で撮った写真で、家のタンスの上にいつも飾ってあるものだった。
「そろそろシフト変わるぞ〜」
店長がバックヤードに入ってきた。
「店長!わかりました。引き継ぎお願いします」
恵美の母は手に持っていた写真をポケットの中に隠しながら言った。
「どうしたんだよ、そんなに焦って?w」
店長が笑いながら言った。
「その段ボールは……新商品?」
店長が段ボールの中身を覗きながら言った。
「そう、そうです。新商品です。明日、棚出ししておきますね!」
恵美の母は段ボールに覆いかぶさるように体を広げて、段ボールの中身が見えないように隠した。
「おお、わかった。今日はもう帰っていいぞ!」
店長はそう言って、カウンターに向かって行った。恵美の母は一安心した。すぐに制服から私服に着替えて段ボールを引きずりながら店舗の外に出た。
「よいしょ!」
恵美の母はやっとの思いで自分の車まで段ボールを運び、トランクに積み込んだ。そのまま何の迷いもなく、車を近くの山の奥まで走らせた。車を運転している時間がいつもより短く感じた。
恵美の母は山の頂上付近で車を止めて、車を降りた。トランクを開けて段ボールの中から遺体を取り出す。
「この辺りで大丈夫かな」
女子高生の遺体の脇を抱えて、急斜面のギリギリまで持っていく。恵美の母は無心で行動していた。
「ん⁉︎」
恵美の母は女子高生の遺体の顔を覗き込んだ。遺体の顔はかなり白くなり、血色が悪い。
「よく見たら、私によく顔が似てるわね」
恵美の母は遺体の顔を何度も見直した。
「やっぱり、私とよく似てる……」
遺体の顔に気を取られていると、恵美の母が運転してきた道の方から別の車のエンジン音がした。
「急がないと!」
恵美の母は何の躊躇もなく、女子高生の遺体を急斜面に放り投げた。遺体は勢いよく横向きに転がり、太い木の根元に引っかかって静止した。それを最後まで見届けた恵美の母は、車に乗り込み家に帰った。
家に着くと恵美が一人で夕食を食べながら、母の帰りを待っていた。
「ごめんね。遅くなって」
恵美の母は恵美の下と見ている顔を覗き込みながら言った。
「お母さんまで、どこかに行っちゃったのかと思った」
恵美は母の顔を真っ直ぐに見つめて言った。母の顔を見た恵美は、その場で泣いてしまった。
「ごめんね……」
恵美の母は恵美の体を包み込むようにして抱きついた。
「お父さん、早く帰ってきてよ……」
恵美は泣きながら言う。もちろん恵美の母もそれはずっと願っていることだ。それと同時になぜ父が突然いなくなったのか、母が殺してしまった女性の謎を解明しようと固く決意した。
<水の動きと囁き>
次の日から恵美の母はコンビニのバイトを休み、一人で恵美の父の素性の調査を始めた。片っ端から親族や友達に電話をかけて、父のことを知らないか尋ねた。家で使っている電話帳はとっくにボロボロになっていた。しかし、返ってくる返事はいつも「知らないだけ」だけだった。
「親族が失踪してるっていうのに……無責任な人たちばっかり……」
恵美の母は電話をかけた相手の無関心さに驚きながらも、存在を持たない何かに怒りをさらに感じていた。
電話できる相手に電話をした後は、ただただ毎日近くの警察署に通った。
「私の夫が一ヶ月も行方不明なんですよ!」
恵美の母は警察署のフロア全体に響き渡る声で言った。
「そう言われましても。失踪した理由に心当たりはないと、最初に言われてたじゃないですか。ただの家出ではないですか?」
警察官もかなり呆れている様子だった。
「それを調べるのが警察でしょ!第一に、大の大人が家出なんてしますか?」
恵美の母はかなり感情的になっていた。
「お帰りください」
対応した警察官は毎回、恵美の母にそう告げて話を真剣に聞こうとはしなかった。そんな毎日が数ヶ月間も続いた。
今日も恵美の母は警察署に行って、夫の警察に捜索を懇願した。またあっさりと断られ、いつも通り帰路に着いた。
家の近くの交差点の歩行者信号が赤になり、横断歩道の手前で一人で立っている時だった。後ろから早歩きで男の人が近づいてきて、恵美の母の手を引っ張った。
「何よ!何すんのよ!」
恵美の母は必死で抵抗した。周囲に助けを求めたが、誰も近くにいなかった。
「黙って俺について来い」
男が小声で恵美の母に言った。フードで顔は見えなかったがどこかで聞いたことがある声だった。恵美の母は自然と抵抗をやめて、素直に男の命令に従った。
男は人影のない路地裏まで何も言わずに恵美の母を誘導した。
「登れ……」
ビルの一角に設置されている鉄でできた非常階段の前までくると、男が恵美の母に言った。登っていくとおそらく五階か六階建てのビルの屋上に着いた。
「こんな所に連れてきて、何をする気?」
男が恵美の母の手を離したので冷静に男に尋ねた。
「まだ気づいていないのか……俺だよ……」
男はそう言いながらゆっくりと深く被っていたフードを下ろした。
「あなた……」
そこにいたのは確かに恵美の父だった。最後に見た時からかなり痩せていて、目の下のくまもひどかった。
「あなた、なんで突然いなくなったりしたの?」
恵美の母は泣きそうな感情を抑えながら言う。
「恵美と私の気持ちを考えてよ!」
大声で叫んだ。
「突然いなくなったりして本当に申し訳ないと思っている。だけど、その理由はまだ言えないんだ……」
そのまま恵美の父は下を向いた。
「どうして?ねえ、答えてよ!」
恵美の母は感情的に言った。恵美の母が、恵美の父の腕を掴んで激しくゆする。
「恵美は元気か?勉強は順調か?」
恵美の父が軽く微笑みながら聞いた。
「私たちはずっと待てたんだからね!あなたの帰りを!」
恵美の母は父の質問を無視して言った。
「そうか……これからも元気に暮らしてくれよ……」
恵美の父はゆっくりと語りかけるように言った。そして、恵美の父はそのまま振り返りビルの屋上の端の方まで歩いていった。
「じゃあな……」
恵美の父は静かにそう言ってフェンスをよじ登り身を投げた。
「待って!」
恵美の母は父が落下した場所まで走っていき、ビルの下を見た。
「そんな……」
そこにはアスファルトの上に大の字に倒れ、頭から血を流している恵美の父の姿があった。恵美の母は顔面蒼白になって、しばらくその場に立ち尽くした。
二分ほどして恵美の母は何も考えずにその場から逃走した。遺体の周りには続々と野次馬が集まってきていた。誰かが通報したのか、救急車のサイレンの音も聞こえる。
その夜、恵美の母は帰宅してから恵美に悟られないように、必死で普段の生活を演じた。
「お母さん大丈夫?顔色、悪いけど」
恵美が自分の部屋から顔を出して言った。
「ちょっと体調崩しちゃったのかなw」
恵美の母は作り笑いをしてその場を取り繕った。その時、恵美の母の携帯電話に恵美の父の電話番号から電話がかかってきた。
「え⁉︎お父さん?」
恵美の母は何の電話だろうと動揺しながら、恐る恐る電話に出た。
「夜分にすみません。弟の"中山真斗"です。今、兄の携帯電話から電話をかけてます」
「え、夫の弟さん⁉︎ど、ど、どうかしたんですか?」
恵美の母の声は震えが隠し切れていなかった。
「今日の昼間に兄がビルの屋上から転落して、亡くなりました。ご存じですか?」
「え、ああ。そうなんですね」
恵美の母が答えた。
「警察の調べでは遺書等も見当たらないので誰かと屋上で揉め合って誤って転落した可能性が高いそうです。何か兄の人間関係で心当たりはありませんか?」
真斗は淡々と喋っていたが、その言葉には悲しさが滲み出ていた。
「夫はしばらく家に帰ってきていなかったので心当たりは……」
「そうですか……」
真斗は残念そうに暗いトーンで言った。
「では、失礼します」
そう言って恵美の母はすぐに電話を切ろうとした。
「ちょちょ、ちょっと待ってください!このままでは兄の死がいたたまれません。なぜ兄が死んだのか我々でも調査してみませんか?」
突然、真斗が突拍子もない提案をしてきた。
「私は仕事がありますので……」
恵美の母はあっさり断ろうとした。
「実の兄が殺されたんです!!!協力してください!」
電話越しにもその気迫が伝わってきた。
「分かりました。少しだけですよ」
恵美の母は仕方なく承諾した。
<点と線の並行>
早速、次の日から二人は警察と協力して調査を開始した。電話での話しぶりから想像はしていたが、真斗の行動力は凄まじいものだった。
初日は朝はただただ街中を二人で歩き回った。
「こんな無計画でフラついてて、本当に大丈夫なんですか?ちゃんと計画を立てるべきじゃ……」
恵美の母が言った。
「確かにそうですねw。明日からの計画を私が立てておきます!」
真斗が手鎚をつきながら言った。
恵美の母は少し心配だったが、面倒くさくなりそうだったので何も言わなかった。
次の日からは真斗がしっかり計画を立てて、計画で指定された場所を順番に尋ねていくことにした。
「ここは、兄の行きつけのラーメン屋だったんです」
二人は恵美の父の行きつけだったというラーメン屋を尋ねた。真斗は優しい目で恵美の母を見つめながら言った。
和風の風貌のお店の暖簾をくぐって中に入った。
「すみません!」
真斗が威勢よく行った。
「はいよ!ご注文は?」
店長と思われる頭にタオルを巻いた男性が、威勢よく返した。
「いやいやそうじゃなくて……」
真斗がお笑いのツッコミのようにテンポ良く言った。
「え?」
店長は目を丸くした。
「お聞きしたいことがあるんですよ!中山さんのことで!」
真斗が言った。
「ああ!あのいつも大盛りのラーメンを注文してくれる、中山さんね!」
「そうなんですねw」
真斗が、苦笑いをしながら言った。
「早速本題なんですけど、中山さんが先日亡くなられたんです。何かお店に来ていた時におかしな言動はありませんでしたか?」
真斗が真剣な表情で尋ねた。
「確か、二週間くらい前まで店に来てくれてたけど、それ以降、きっぱり来なくなったな!」
「二週間前だと、亡くなるまではまだ時間がありますね」
真斗が恵美の母の耳元で小声で囁いた。
「はい」
恵美の母は小さく頷いた。
「来店しなくなる前までは、いつも通り元気だったと思うけどな……」
店長はしばらく首を大きく傾けて考えた。
「突然、何かの病気が見つかったのかもしれないぞ。かかりつけの医者を訪ねてみるのはどうだ?」
店長が二人に提案した。
「聞いてみます!ありがとうございました!」
二人は振り返ってそのまま帰ろうとしたが店長に呼び止められた。
「うちのラーメン食ってくかい?」
店長が二人を席に誘導しながら言った。断る理由も無かったので、二人は一番人気の醤油ラーメンを食べた。
「このラーメンなら兄がリピートする理由もわかりますね!」
真斗はそう言って美味しそうにラーメンを大きく啜った。
恵美の母はニコニコしているしかなかった。
早速、次の日二人は恵美の父が通っていたかかりつけの病院に行った。街の中の小さな病院だったので朝早くに病院に着いても、まだ空いていなかった。二人は外でしばらく待つことにした。三十分ほど経つと、入口のドアを開けて中から看護師と思われる若い女性が出てきた。
「すみません。診察は十時からなんです」
若い看護師は申し訳なさそうに言った。
「ああ。僕たち診察を待っているわけではなくて、この病院の先生に伺いたいことがあるんです」
真斗がその場から立ち上がりながら、若い看護師に言った。
「そうなんですか……しばらくお待ちください」
そう言って若い看護師はドアを閉めて、一度院内へと戻って行った。
数分後、若い看護師がドアを開けて二人の元に戻ってきた。
「中へどうぞ!先生が開院前にお話ししてもいいということです」
「ありがとうございます。失礼します」
真斗はそう言って恵美の母と一緒に、院内へ入った。二人は奥の応接室まで案内された。院内は落ち着いた雰囲気で、開院に向けて看護師たちが忙しなく準備をしていた。
「先生!こちらがお話を伺いたいという……」
若い看護師は二人の方を男性の医師に紹介しながら言った。
「どうぞ、そちらにお座りください」
そう言って男性の医師は、二人を自分の向かい側に座るように促した。
「早速ですが、今日はどういうご用件で?」
男性の医師は落ち着いたトーンで言った。
「中山さんについてお伺いしたくて……」
その後、真斗は男性の医師に恵美の父のことを詳しく説明した。
「何か心当たりはありませんか?」
真斗が尋ねる。
「そうですね……心当たりですか……今、カルテを確認しましたが特に持病も無かったので、病気などの体の不調ではないと思います」
男性の医師が、パソコンで恵美の父のカルテを確認しながら言った。
「そうですか……ありがとうございました。失礼します」
そう言って二人は席を立った。
「これからも調査を続けられるんですか?」
帰り際に男性の医師がそっと二人に聞いた。
「はい。そのつもりです」
恵美の母が答えた。
「そうですか……」
男性の医師が、意味深な間を作ってから言った。
特にこれといった収穫もなく二人は病院を後にした。
「今日は帰りますか。一応、日曜日ですし……」
恵美の母がため息をつきながら言った。
「そうですね、お疲れ様でした」
そう言って二人はそれぞれの家へ帰っていった。真斗の背中は丸まり、どこか寂しそうだった。
恵美の母が早めに家に帰ると、恵美が自分の部屋で勉強をしていた。
「ただいま」
恵美の母が小声で言った。
「おかえり!休みだけど今日も仕事だったの?」
恵美が尋ねた。
「そうね。いつも心配かけてごめんね」
そう言って恵美の母は静かに微笑んだ。
その日から恵美の母は真斗との調査を断り続けた。コンビニのバイトもとっくに辞めていたので、特にやることもなく、昼間はずっと街中をふらついていた。
「ただいまー」
恵美が学校から帰ってきた。
「お母さん!これ!」
そう言って、恵美は母に学校からの一枚のプリントを渡した。
「授業参観?高校でもこういう行事ってあるんだね」
恵美の母は少し笑いながら言った。
「絶対来てね!」
恵美が母の目をまっすぐ見つめながら言った。
「分かった、絶対行くね!」
恵美の母は大きく頷きながら言った。
一週間後、恵美の母は高校の校舎にいた。
「お母さん!この教室だよ!」
教室がどこか分からずに困惑していた母に、恵美が言った。
「ああ!そっちね!」
恵美の母は、恵美に呼ばれた方向に行った。恵美の母は今まで学校行事に参加することが無かったので、恵美の学校での活動を見るのは初めてだった。
授業参観が終わり学校の校舎の外に出てスマホを開くと、マナーモードにしていたので分からなかったが、真斗から何度も電話がかかってきた。
その場ではかけ直すことができない状態だったので、家に帰ってかけ直すことにした。
「お母さん!」
母の後ろから恵美が走って校舎から出てきた。
「学校は終わり?」
恵美の母が聞いた。
「終わったから一緒に帰ろう!」
恵美が明るいトーンで答えた。
二人は家まで一緒に歩いてゆっくり帰った。
<鉄格子の輝き>
家に到着してすぐに電話をかけ直すと、真斗はすぐに出た。
真斗はかなり焦った口調だった。
「この前、行った病院の医者から連絡があったんだ。『今から病院に来てくれ!』って。行けますか?」
恵美の母はしばらく何も言わなかった。
「分かりました。すぐに向かいます」
そう言って恵美の母はすぐに玄関に行き、出かける準備をした。靴を履いて玄関を出ようとしたその時、恵美が叫んだ。
「お母さん待って!またどこかに行くの?私も行かせて!!」
恵美は母に懸命に訴えかけた。
「でも……分かった。早く準備して」
苦渋の決断だった。恵美は五分ほどで支度を済ませ、二人は病院へ向かった。この日はあいにくの雪だったので、移動には困難を極めたが無事に例の病院に到着することができた。入り口の鍵が空いていたのですぐに中に入った。院内に入るとそこには不穏な空気が漂っていた。電気も一つか二つしか付いていない。
「真斗さん!」
恵美の母が声をかけた。恵美は母の背中にピッタリくっついていた。
「どうして、こんなところに呼びだされたんでしょうか?」
真斗が恵美の母に尋ねた。
「私も何でここに集められたかは……」
真斗は首を静かに横に振った。
「わざわざすみません」
奥の部屋からこの前会った男性の医師と、別の男性の医師が出てきた。二人とも白衣を着ているので医師であることは明確だ。
「その方は?」
恵美の母が別の男性の医師の方を指差しながら尋ねた。
「隣町の病院から来てもらったんです。中山さんは面識があるはずでは?」
男性の医師が静かに言った。
「大森です。十七年前にお世話になりました」
大森と名乗る医師が言った。
「もしかしてあの……大森先生ですか⁉︎あの時は娘と夫を助けていただき、ありがとうございました」
恵美の母は驚きを隠せなかった。真斗と恵美は何を言っているのか、イマイチ状況が掴めなかった。
「でも、大森先生がどうしてここにいるんですか?」
恵美の母が言った。
「実を言うと、私が恵美さんのお父さんを殺しました。申し訳ない」
鈴木が放ったその言葉の重さは、その場では受け止めきれないくらい途轍もないものだった。
「え⁉︎ちょっと何を言っているか……」
恵美の母は唖然としていた。
「私の過去の行動に原因があるんです」
鈴木が下を向きながら言った。
「もう、言ってもいいんじゃないか?」
男性の医師が、大森に寄り添うようにして言った。
「そうだな」
大森がうなずく。
「ご存知の通り、十七年前に私は秋田県の病院で働いていました。
あの時は、私の妻もあの病院で出産を控えていました。そして、無事に産まれてくれたんです、赤ちゃんが。恵美さんと同じ日に、私の娘も。その数日後、あの日本海中部地震が私たちの病院を襲ったんです。
中山さんには伝えていませんでしたが、中山さんの産んだ赤ちゃんには重篤な心疾患がありました。なので、私は中山さんの赤ちゃんと私の赤ちゃんを、とっさに入れ替えることにしたんです。中山さんのお父さんはその事実を知っていた。あの場に居合わせた中山さんのお父さんと私だけの秘密でした……」
「なんでそんなことを!」
恵美の母は無意識に大声を出していた。
「すべてお子さんを救うためでした……」
大森が悔しそうに言った。
「え⁉︎」
恵美の母は訳もわからず、その場に立ち尽くしていた。
「もう少し詳しく説明してください!」
恵美の母は、かなり強い口調で聞いた。
「当時の中山さんの経済状況的に、心臓病の手術をするには困難であることが明らかでした。もし、中山さんの子供が私の子供になれば、経済的に手術が可能です。実際、手術は成功して中山さんの子供は生きることができた。それで、すべてが終わったと思っていた……それで万事解決だったんです……」
「お母さん、本当なの?」
恵美が母の顔を見つめながら尋ねた。
「大丈夫だよ。恵美」
恵美の母は近寄ってきた恵美の背中を、手元で静かにさすった。
「私もあの震災の後に、新潟県に引っ越してきた身です。何事もなかったかのように、隣町で静かに暮らしていました。でも、半年前から私の娘はどこかに行ってしまった。家に帰ってこないんです。そこへ、この病院の先生から連絡をいただきました。私が真実を話せば、娘のことも何かわかるかもしれないと……」
大森の右手の拳には力が入り、血管が浮き出ていた。
「すみません、私が……私が……」
恵美の母はそのまま膝から床に崩れ落ちた。
「やっぱり、あなたが娘を……」
そう言って鈴木はその場で静かに言った。
「すみません。本当にすみません」
恵美の母は何度も鈴木に謝った。その後は誰も何も言えずに、時間だけが過ぎていった。
その日の夜、恵美の母は警察に自首した。
裁判で恵美の母は五年間の懲役刑が確定した。恵美は真斗が引き取り一緒に暮らすことになった。
数年後、恵美の母が刑務所で朝起床すると、女性の刑務官に声をかけられた。
「二五六七番!郵便物が届いている」
恵美の母は渡された郵便物を檻越しに何も言わずに静かに受け取った。白い封筒を手でゆっくりと破って中から、一枚の手書きの手紙を取り出した。
『お母さんへ
本当のお母さんではないことは分かっているけど、今まで育ててくれてありがとう。私は職場で理想の男性の林さんと結婚しました。そして、先日元気な男の子を出産しました。私たちは群馬県に引越して、これからも仲良く暮らしていこうと思います。今まで本当にありがとう。
林美穂より』
読み終えた恵美の母は涙が止まらなかった。




