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負け犬たちのキックオフ

作者: 古筆のひつ
掲載日:2025/10/10

負け犬たちのグランド

夏の陽射しが、桜ヶ丘高校の古びたサッカーグラウンドを容赦なく照りつけていた。白線は薄れ、ゴールポストはどこか傾いている。そんなピッチで今日も桜ヶ丘サッカー部は――負けた。


 スコアは0対7。完敗。観客席にいた数人の生徒は、試合が終わると同時に「やっぱり負け犬チームだな」と笑いながら帰っていく。


 キャプテンの相沢翔は、泥にまみれたユニフォームのままスコアボードを見上げ、ため息をついた。

「はぁ……またかよ」


 彼は3年生。チームをまとめる責任感だけは強いが、技術的には中の上程度。やる気のない部員たちに声をかけ続けるのも、もう疲れてきていた。


 試合後、部員たちはぞろぞろと集まり、いつものように不満を口にした。

「やっぱさ、フォーメーション変えた方が良くね?」

「そもそも練習量が足りねぇんだよ」

「いや、監督がやる気ないからだろ」


 顧問の国語教師・大塚はサッカー経験ゼロで、指導といえば気合い論ばかり。今日も「次こそ勝てるさ」とだけ言い残し、さっさと帰ってしまった。


 翔はそんな空気にうんざりしながらも、黙って水を飲んだ。チームが勝つ未来なんて、正直想像できなかった。


 そのとき、グラウンドの入り口から一人の男子が歩いてきた。

 黒髪に無表情、制服のボタンはきちんと留められていて、手にはサッカーボールが一つ。


「ここ、サッカー部だよな」


 低い声が響いた。翔が振り向くと、男子はすでに目の前に立っていた。


「お、おう。そうだけど……お前、新入部員か?」


 男子は一瞬だけ視線を落とし、そして言った。

「……天野颯太。転校生だ。サッカー部に入りたい」


 その言葉に、部員たちは一斉に顔を見合わせた。


「マジかよ、このチームに?」「物好きだな」


 笑い声が上がる中、翔は颯太の目を見て気づいた。――この男、ただの物好きじゃない。何かを抱えている。そんな目だった。


 颯太の入部は、その日から正式に決まった。

 しかし誰もまだ知らなかった。この負け犬チームにやって来た彼が、やがて嵐を巻き起こし、チームの運命を変えていくことになるなんて。


颯太がサッカー部に入部してから一週間。


 だが彼は、練習中ほとんど口を開かなかった。基礎メニューを無言でこなし、試合形式になってもパスを出さず、一人でボールを運んでは適当にシュートを放つ。


 部員たちの不満は、すぐに爆発した。


「おい天野! お前、チームプレーって知ってるか?」

 2年のFW・真田が苛立ちを隠さず声を荒げる。彼は一応チームのエースだが、勝てないチームで苛立ちが常にたまっているタイプだ。


 颯太はボールを止めたまま、冷たい目で真田を見返した。

「……勝つ気ないだろ、このチーム」


 その言葉に、空気が凍りついた。


「なんだと?」真田が一歩前に出る。

 颯太は表情を変えず、淡々と言い放った。

「お前ら、負けるのに慣れてる。走るのも中途半端。声も出さない。勝つ気のない奴らとサッカーしても、意味ないだろ」


 部員たちは怒鳴り返そうとしたが、颯太の目に宿る冷たい光に言葉を失った。


 その日の帰り、キャプテンの翔は颯太を呼び止めた。

「お前……なんでそんなに勝ちにこだわるんだ?」


 颯太は少しの間、黙っていた。


「……俺、中学の時は強豪チームにいた。全国も狙えるようなチームだった。でも、俺のミスで……決勝で負けた」


 颯太の声は低かった。

「そっから全部終わった。チームメイトは俺を責め、俺はサッカーを憎んだ。なのに……まだボールを蹴ってる。勝たなきゃ、何も変わらない気がする」


 翔は黙って彼を見つめた。颯太の中にあるのは、ただの傲慢さじゃない。過去の痛みと、償いのような決意だった。


「……わかった。だったら一緒に勝とう。俺たち、負け犬チームだけどな」


 颯太は初めて、わずかに口元を緩めた。


 翌日から、颯太はチームに対して容赦ない要求を始めた。走れ、声を出せ、勝つための練習をしろと。


 負け犬たちの反撃が、ようやくここから始まろうとしていた――。


颯太が入部してから二週間。桜ヶ丘サッカー部の空気は少しずつ変わり始めていた。


「声を出せ! 走れ、止まるな!」


 練習中、颯太の怒鳴り声がグラウンドに響く。以前の彼ならチームを見下すだけだったが、今は自分が先頭に立ち、走り、声を出し、誰よりも汗を流していた。


 翔をはじめ部員たちも、次第にその姿に触発されていった。バラバラだったチームが、少しずつ一つになりつつあった。


 そんな中、顧問の大塚が「練習試合を組んできたぞ!」と突然言い出した。相手は隣町の清峰高校。こちらも強豪ではないが、桜ヶ丘よりは格上のチームだ。


「勝てるわけないだろ」

 誰かがつぶやいた瞬間、颯太がはっきりと言い返した。

「勝つぞ。負け犬から抜け出すには、まず一勝だ」


 翔も頷いた。

「そうだな。最初の一勝、取ろうぜ」


 試合当日。


 前半、清峰高校のスピードに圧倒され、桜ヶ丘は早々に1点を奪われた。いつもならここから崩れていく展開だが、この日は違った。


「まだ1点だ! 下向くな!」

 翔の声が響き、颯太が前線でボールを追い続ける。守備陣も体を張って相手のシュートを止めた。


 後半20分、颯太が相手DFを抜き去り、エリア外から強烈なシュートを放つ。


 ――ゴール!


 桜ヶ丘イレブンが一斉に歓声を上げた。1対1の同点。


 残り時間わずか。コーナーキックのチャンス。翔がボールを蹴り込むと、颯太が飛び込み、頭で合わせた。


 ボールはゴールネットを揺らした。


 試合終了のホイッスル。スコアは2対1。桜ヶ丘高校、ついに初めての勝利。


 部員たちは抱き合い、涙を流す者までいた。翔は笑いながら颯太の肩を叩いた。

「やったな、颯太!」


 颯太は少しだけ笑い、静かに答えた。

「……これでやっと、始まったな」


清峰高校に勝利してから一週間。桜ヶ丘サッカー部の空気はこれまでにないほど明るかった。


「なあ、次も勝てるんじゃね?」

「県大会の予選だって、ワンチャンいけるかもな!」


 誰もが口々に希望を語り、負け犬チームにようやく笑顔が戻ってきた。だが颯太だけは浮かれた様子を見せなかった。


「一勝したくらいで調子に乗るな。ここからが本当の勝負だ」


 その言葉に翔も真剣な顔で頷いた。勝つことで見えてきたのは、さらに高い壁だった。


 そんな中、顧問の大塚が次の練習試合の相手を告げた。

「次は――鳳凰学園だ」


 部員たちがざわめいた。鳳凰学園といえば県内トップの強豪校。全国大会常連で、プロのスカウトが視察に来ることもあるチームだ。


「は? ムリムリ! あんな化け物チームとやったら、またボコボコだろ!」

「県予選の前に自信失うだけだって!」


 部員たちの声が一斉に弱気に変わった。だが颯太はわずかに口角を上げた。


「面白いじゃないか」


 鳳凰学園のエースは3年の神谷蓮。スピードとテクニックを兼ね備え、県内では知らぬ者がいないストライカーだ。


 颯太と翔が彼のプレー映像をスマホで見ていると、神谷が圧倒的なスピードでDFを抜き去り、強烈なシュートを叩き込むシーンが映し出された。


「すげえ……」翔が思わずつぶやく。


 だが颯太の目は燃えていた。

「次はこいつを止める。それができなきゃ、勝つなんて夢のまた夢だ」


 そして、練習試合当日。


 グラウンドに現れた鳳凰学園のユニフォームは真紅。神谷蓮は鋭い眼差しで桜ヶ丘の選手たちを見渡し、口元に挑発的な笑みを浮かべた。


「ここが噂の負け犬チームか。楽しませてくれよ」


 颯太は一歩前に出て、神谷の視線を真っ向から受け止めた。


「……負け犬のままじゃ終わらない。証明してやる」


 試合開始のホイッスルが鳴り響いた。


試合開始のホイッスルが鳴り響いた瞬間、鳳凰学園は桜ヶ丘の誰もが想像できないスピードで攻め込んできた。


「速ぇ……!」


 翔が思わず声を漏らす。鳳凰学園の選手たちは一人ひとりが精密な歯車のように連動し、パスが次々とつながっていく。


 そしてボールはエース・神谷蓮の足元へ。彼は颯太の前で一瞬だけ止まり、挑発するように微笑んだ。


「止めてみろよ、負け犬」


 次の瞬間、神谷は颯太の逆を突いて一気に突破。颯太はまるで風に置いていかれたように立ち尽くした。


 ――シュート。ゴール。


 開始5分で鳳凰学園が先制点を奪った。


 それでも桜ヶ丘は必死に食らいついた。翔が声を張り上げ、真田が体を投げ出してシュートを止める。颯太も全力で走り続けたが、鳳凰学園の壁は厚かった。


 前半が終わる頃にはスコアは0対3。


「クソッ……どうやっても止められねぇ」真田が膝に手をつき、悔しそうに顔を歪めた。


 颯太は無言のまま空を見上げた。中学時代の決勝戦――自分のミスで負けた記憶が脳裏をよぎる。負け犬。そう呼ばれた自分が、今また同じ状況に立たされていた。


 後半、颯太は必死に神谷をマークした。体をぶつけ、パスコースを切り、全力で食らいついた。それでも神谷は笑みを浮かべたまま颯太を振り切り、4点目を叩き込んだ。


 試合終了。スコアは0対5。完敗だった。


 鳳凰学園の選手たちは勝利を喜ぶでもなく淡々と整列し、神谷だけが颯太に近づいてきた。


「悪くなかった。けど――まだまだだな」


 その言葉を残し、神谷は去っていった。


 試合後、部員たちは誰も口を開けなかった。翔は悔しさで唇を噛み、颯太は拳を握りしめた。


 ――だが、その瞳には消えない炎が宿っていた。


「負け犬のままで終わらせない。必ず勝つ」


 颯太の声に、チームの誰もが静かに頷いた。敗北の痛みが、彼らの新たな原動力になろうとしていた。


鳳凰学園に0対5で完敗してから一週間。

 桜ヶ丘サッカー部のグラウンドは沈黙に包まれていた。部員たちは練習に来るものの、どこか覇気がなく、以前の負け犬チームに逆戻りしたような空気が漂っていた。


「……このままじゃ県予選も同じだな」

 翔がため息をつくと、颯太が口を開いた。


「負けた原因ははっきりしてる。俺たちの守備は穴だらけだし、攻撃も単調すぎる」


 真田が苛立ったように返す。

「そんなこと言ったって、どうすりゃいいんだよ。鳳凰学園みたいに個人技で勝てるわけじゃねぇし」


 颯太はしばらく黙っていたが、やがて言った。

「個人で勝てないなら、チームで勝つしかない」


 その日から颯太はノートを片手に練習後も居残り、翔や他のメンバーと戦術を考え始めた。


「まずは守備を固める。相手にスペースを与えず、ボールを奪ったら一気にカウンターだ」

「でも、それだと攻撃の形が……」

「だから速攻に特化する。少ないチャンスを全員でつなげてゴールまで持っていく」


 颯太が描いた戦術は、鳳凰学園のような派手さはない。だが彼らの体力とスピードを最大限に生かす現実的な作戦だった。


 次第に部員たちの目に再び光が戻り始めた。


「おい、もう一回走るぞ!」

「カウンターの連携、もっとスピード上げろ!」


 翔が声を張り上げ、真田が前線で汗を流し、チーム全体が一つの目標に向かって動き出す。


 そして、県予選の組み合わせが発表された。初戦の相手は、昨年ベスト8に入った西陵高校。決して弱い相手ではない。


 颯太はチラシに印刷されたトーナメント表を見つめ、静かに言った。

「ここからが本当の戦いだ。負け犬の反撃、始めよう」


県予選初戦、西陵高校との試合当日。桜ヶ丘サッカー部のメンバーは緊張した面持ちでグラウンドに立っていた。


「いよいよだな……」

 キャプテン翔が深呼吸をしながらつぶやく。


 颯太は落ち着いた表情で言った。

「怖がるな。練習でやったことを全部出し切ればいい」


 部員たちは頷き合い、円陣を組んだ。


 試合開始のホイッスルが鳴ると、西陵高校はさすがベスト8の実力を見せつけた。中盤で巧みにボールを回し、サイドから何度も攻め込んでくる。


 しかし、桜ヶ丘の守備は以前とは別物だった。颯太が中心となり、全員が連動して素早くプレスをかけ、ボールを奪うと一気にカウンターに転じる。


「行け、真田!」

 翔のパスを受けた真田がドリブルで駆け上がり、颯太とのワンツーでエリアに侵入――


 強烈なシュート!


 ――ゴール!


 前半20分、桜ヶ丘が先制した。


 だが後半、西陵高校も黙ってはいなかった。巧みなパス回しで守備を崩し、同点に追いつく。スコアは1対1。


 試合時間は残り10分。


 翔が息を切らしながら叫んだ。

「最後まで走り切るぞ!」


 颯太はゴール前でボールを受けると、相手DFを引きつけながら冷静にパスを出した。走り込んだ真田がシュート――


 ゴール!


 再び勝ち越し。スコアは2対1。


 試合終了のホイッスル。


「勝った……!」


 部員たちは歓喜の声を上げ、翔は颯太と固く握手を交わした。


「やったな、颯太! これで負け犬じゃなくなったな!」

 翔の言葉に、颯太は珍しく笑顔を見せた。


「まだだ。次はもっと強い相手が待ってる」


 だがその目は確かに光を宿していた。


県予選、準決勝。対戦相手は昨年の優勝校・東栄学院。

 その名を聞いた瞬間、颯太の胸がざわついた。


――東栄学院。中学時代、颯太が所属していたチームが決勝で負けた相手。

 そしてその敗北の原因を作ったのは、自分だった。


「颯太……大丈夫か?」

 キャプテンの翔が心配そうに声をかける。


 颯太は深呼吸をして言った。

「大丈夫だ。ここで勝たなきゃ、俺はずっと負け犬のままだ」


 試合開始のホイッスル。


 東栄学院は噂通りの強さを見せつけた。パスは正確で速く、攻守の切り替えが桜ヶ丘よりも一枚上だった。


 前半15分、颯太が必死に守るも、東栄学院のエース・久我が強烈なミドルシュートを叩き込み、先制点を奪った。


「……やっぱり強いな」

 真田が悔しそうに呟く。


 だが颯太は下を向かなかった。

「ここからだ。俺たちはもう、あの日の負け犬じゃない」


 後半20分、颯太が中盤でボールを奪い、翔とのパス交換から一気に前線へ。真田がゴール前で受け取り、シュートを放つ――


 ゴール!


 同点。スコアは1対1。会場がどよめいた。


 残り5分。颯太は最後の力を振り絞って走った。相手DFを一人、また一人と抜き去り、エリアの外から渾身のシュートを放つ――


 しかし、ボールはゴールポストに当たり、無情にも跳ね返った。


 その直後、東栄学院のカウンター。久我が颯太の前を駆け抜け、決勝点を叩き込んだ。


 試合終了のホイッスル。スコアは1対2。桜ヶ丘、敗退。


 グラウンドに倒れ込む颯太に、久我が歩み寄った。

「悪くなかった。だが、勝負は甘くない」


 颯太は悔しさで涙をこらえながらも、久我の手を握り返した。


「次は……必ず勝つ」


 負け犬たちの物語は、ここで終わりではなかった。むしろ、ここからが本当の始まりだった。


東栄学院に敗れた夜、桜ヶ丘サッカー部の部室は静まり返っていた。誰もが口を開けず、敗北の悔しさだけが重く漂っていた。


 そんな中、キャプテンの翔が立ち上がった。

「なあ、みんな。……今年で俺は卒業だ。最後の大会は負けで終わったけど――お前らとサッカーできて、最高だった」


 翔は笑おうとしたが、その声は少し震えていた。


「俺たち、最初は本当に負け犬だった。でも今は違う。胸を張って言える。俺たちは、戦ったチームだって」


 翔の言葉に、部員たちは次々と涙をこぼした。


 数日後。翔たち3年生の送別試合が行われた。相手はもちろん1・2年生の新チーム。颯太は新キャプテンに任命され、全力で3年生と戦った。


「翔さん! 負けませんよ!」

 颯太の声に翔が笑う。

「上等だ。最後に意地見せてやる!」


 試合は1点差で3年生が勝利。翔は満足そうにゴールネットを見上げ、颯太の肩を叩いた。


「後は頼んだぞ、颯太。お前ならこのチームをもっと強くできる」


 颯太は静かに頷いた。

「必ず勝ってみせます。もう負け犬じゃないチームで」


 桜ヶ丘高校のグラウンドには、今日もボールを蹴る音が響いていた。


 敗北を重ね、悔しさを乗り越え、それでも走り続けた負け犬たち。

 その姿はもう、誰が見ても負け犬ではなかった。


 ――新たなキックオフは、これからだ。

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