表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
後宮の寵愛ランキング最下位ですが、何か問題でも?  作者: 希羽


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/24

第九話:皇帝、来る

 大図書館の静寂を後にし、私が離宮へ駆け戻った時、そこは蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。


「妃様っ、お戻りでしたか!」

「ど、どうしましょう! 皇帝陛下がお見えになるなんて、前代未聞ですわ!」

「お掃除を! 急いでお部屋を綺麗にしないと!」


 アンナやサラたちが、顔面蒼白で行ったり来たりしている。皇帝の突然の訪問。それは、この後宮の片隅で忘れられていた私たちにとって、まさに天変地異に等しい出来事だった。


「全員、落ち着きなさい」


 私の凛とした声に、パニックに陥っていた侍女たちの動きがぴたりと止まる。


「掃除はしなくていいわ。慌てて取り繕ったところで、すぐに見抜かれるだけ。それよりも、普段通りになさい。畑の手入れをする者は畑へ、工房で作業する者は工房へ。そして、何を聞かれても、正直に答えればいい」


 私の言葉には、不思議な説得力があったらしい。侍女たちはまだ不安げな顔をしながらも、こくこくと頷き、それぞれの持ち場へと散っていった。


(皇帝アレクシス……。一体、何の目的で……)


 後宮内の奇妙な噂――最下位妃の周りに、侍女たちが集まって何かをしている。その噂が、ついに彼の耳にまで届いたのだろう。


 面倒なことになる。私はそう思いながらも、心のどこかでこの状況を楽しんでいる自分に気づいていた。


 やがて、数名の側近だけを連れた一人の男性が、私たちの離宮の庭へと足を踏み入れた。


 陽光を反射して輝く金の髪、そして全てを見透かすような、鋭い紫紺の瞳。華美な装飾はなくとも、その佇まいだけで場の空気を支配する絶対的な存在感。


 彼こそが、この帝国の若き支配者、皇帝アレクシスだった。


 しかし、彼の目に映った光景は、予想とは全く違っていたのだろう。その紫紺の瞳が、驚きにわずかに見開かれた。


 彼が想像していたのは、きっと埃っぽく、淀んだ空気が流れるわびしい離宮だったはずだ。だが、目の前にあるのは、青々とした葉を茂らせる整然とした畑。工房の窓から漏れ聞こえてくる、楽しげな侍女たちの笑い声。そして、すれ違う侍女たちの、最下位の離宮に仕える者とは思えぬほど明るく、健康的な表情。


「お初にお目にかかります、陛下」


 庭でちょうどカモミールの手入れをしていた私が、土のついた手をスカートで拭いながら、静かに礼をした。


「……お前が、リディア・バーデンか」

「はい」

「説明してもらおう。この騒ぎは、一体何だ? 妃でありながら、商売まがいのことをしていると聞いたが」


 彼の声は低く、威圧的だ。しかし、私は少しも臆さなかった。


「これは商売ではございません、陛下。後宮内で活用されていない資源……『価値』を再分配し、侍女たちの生活の質を向上させるための、『相互扶助活動』にございます」

「……そうごふじょ?」


 聞き慣れない言葉に、皇帝が眉をひそめる。


 私は彼を工房へと案内し、ちょうど焼き上がったばかりのカモミールクッキーと、淹れたてのハーブティーを勧めた。


「さあ、お召し上がりください。私たちの活動の、ささやかな成果です」


 皇帝は訝しげな表情で、側近が毒見をするのを待ってから、ためらうようにクッキーを口に運んだ。そして、その動きが止まる。次にハーブティーを一口飲み、彼は驚きに目を見開いた。


「これが……最下位妃の離宮で出されるものだというのか……」

「はい。全て、この離宮の仲間たちの手で作り出したものでございます」


 皇帝はしばらく黙って私を見つめていたが、やがてふっと、まるで面白くてたまらないとでも言うように、その口元に笑みを浮かべた。


「気に入った。褒美をやろう。お前のランクを、Bランクまで引き上げてやる」


 それは、後宮の妃にとって望みうる最高の栄誉のはずだった。しかし、私の答えは決まっている。


「お言葉ですが、陛下。わたくし、ランクには興味がございません」


 私の予期せぬ返答に、今度は側近たちが息を呑んだ。皇帝は、ますます面白そうに目を細める。


「ならば、何が望みだ。金か? 宝石か?」

「いいえ」


 私はまっすぐに皇帝の紫紺の瞳を見返し、はっきりと告げた。


「わたくしが望むのは、ただ一つ。大図書館の未公開書庫への、自由な立ち入り許可にございます」


 しばしの沈黙。


 やがて、皇帝アレクシスは、声を上げて笑い出した。威厳のある君主の顔ではなく、まるで無二の好敵手を見つけたかのような、楽しげな少年の顔で。


「面白い。実に面白い女だ、お前は」


 彼は立ち上がると、私の目の前に歩み寄った。そして、私の真価を試すかのように、全く予想外の問いを投げかける。


「ならば聞こう、リディア・バーデン。お前は、この後宮を……ひいては、この国を、どうしたい?」


 その問いは、あまりにも大きく、そしてあまりにも魅力的だった。


 私は驚きに目を見開きながらも、その瞳に挑戦的な光を宿し、目の前の若き皇帝を、まっすぐに見つめ返した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ