第五十五話:運命の祝賀会
運命の日、『初穂儀』の朝が来た。
帝都の中央広場は、帝国の未来を見届けようと集まった、無数の人々で埋め尽くされていた。貴族、平民、そして各国の使節団。誰もが、これから皇帝の口から語られるであろう「重大な発表」を、固唾を飲んで待っている。空気は張り詰め、儀式用の焚火の煙だけが、重く垂れ込めた曇り空へと静かに昇っていた。
貴賓席の最前列では、ソラリスの王子ジュリアンが、完璧な笑みを浮かべていた。その隣には、彼の勝利を確信する側近たちが控えている。彼の目には、広場に満ちる民衆の不安が、心地よい音楽のように映っていた。
「なぜ、あの女がここに……?」
幾人かの事情を知る貴族が、その姿を見て眉をひそめた。後宮の離宮に軟禁されているはずのイザベラが、何食わぬ顔で貴族席に座っていたからだ。
だが、それこそが、アレクシスが仕掛けた最後の罠だった。
彼は、断罪すべき罪人を、あえて衆人環視のこの舞台へと引きずり出したのだ。自らの完全な敗北を、その両目で見届けさせるために。
イザベラは、自分が皇帝の手のひらの上で踊らされているとも知らず、長年の屈辱が今日ようやく晴らされるのだと、その甘美な予感に打ち震えていた。
やがて、広場に静寂が訪れ、儀式が始まった。
神官が、厳かに祭壇へと進み出る。そして、今年の収穫を占うために北の地から献上されたという、一つの桐の箱を、恭しく開いた。
箱の中から現れたのは、誰もが予想していた、しかし目を背けたくなるような現実だった。
一本の、黒く変色し、見るからに生気のない、枯れた小麦の穂。
「ああ……」
「やはり、噂は本当だったのだ……」
民衆の間から、絶望のため息が漏れる。ジュリアンは、その光景を見て、満足げに口の端を上げた。イザベラは、扇で口元を隠し、その瞳を愉悦に細めた。
帝国の敗北は、決定的となった。
神官が、沈痛な面持ちで皇帝アレクシスにその穂を差し出した、その時だった。
アレクシスは、その枯れた穂を受け取ることなく、静かに立ち上がった。彼の声は、広場の隅々にまで、明瞭に、そして力強く響き渡った。
「皆、よく見てほしい。確かに、今年の我々の畑の一部は、卑劣な者の手によって病に侵された。この枯れた穂は、その紛れもない証拠だ」
広場が、水を打ったように静まり返る。
「だが!」
アレクシスの声が、力強さを増す。
「我が帝国は、この程度の試練に屈するほど、弱くはない! 我々がこの一年で得た本当の収穫は、ただの小麦ではない! 困難に立ち向かう『知恵』と、互いを信じあう『絆』だということを、今、ここに証明しよう!」
彼がそう言って、高らかに手を上げた。
それを合図に、広場の四方から、巨大な幌馬車の一団が、地響きを立てて次々と現れた。そして、待機していたアンナとサラ、組合の仲間たちの号令一下、その幌が一斉に取り払われる。
次の瞬間、広場は、息を呑む音に支配された。
幌の下から現れたのは、山と積まれた、黄金色の光を放つ、見事なロスマリン小麦の穂の束。そして、焼きたてのパンや焼き菓子が、湯気と共に、豊穣を象徴する甘く香ばしい香りをあたり一面に解き放ったのだ。
「なっ……!」
ジュリアンの顔から、完璧な笑みが消え失せた。イザベラの顔は、信じられないものを見たかのように、驚愕に歪んでいる。
「皆の者! これが、我らが帝国の、今年の本当の収穫である!」
アレクシスの宣言を合図に、パンと温かいスープが、集まった全ての人々に振る舞われ始めた。
絶望の淵にいた民衆は、最初は何が起きたのかわからずに呆然としていたが、やがてその手に温かいパンを握りしめ、歓喜の涙を流し始めた。広場は、嗚咽と、そして帝国史上最大の大歓声に包まれた。
壇上で、私は静かにアレクシスの隣に並び立った。
私たちは、言葉を交わさない。ただ、互いの目を見て、静かに微笑み合った。
ジュリアンとイザベラが仕掛けた、卑劣な罠。その絶望の舞台の上で、私たちは、帝国の揺るぎない底力と、民との絆という、何よりも雄弁な勝利の詩を、高らかに奏でたのだ。
全ての策略が破れ、ただ呆然とするジュリアンとイザベラ。
そして、歓喜に沸く民衆の中心で、固く手を取り合う皇帝と、かつての最下位妃。
帝国の歴史が、今、確かに新しい一ページをめくった瞬間だった。




