表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
後宮の寵愛ランキング最下位ですが、何か問題でも?  作者: 希羽


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

50/59

第五十話:鉄の仮面の下で

 後宮に鳴り響いた火事を知らせる鐘の音は、巧妙な陽動だった。


 侍女たちが右往左往する混乱が収まった頃、洗濯場の火事はボヤ程度のものであったことが判明する。しかし、本当の惨劇は、誰にも気づかれず、静かに起きていた。


「……う……ん……」


 組合の執務室の床で、アンナが最初に意識を取り戻した。首筋に走る鈍い痛み。ぼやける視界の中で、隣に倒れているサラの姿を認め、彼女は悲鳴を上げた。


「サラさん! しっかりして!」


 その声に、サラもゆっくりと目を開ける。二人は互いの無事を確認し、安堵のため息をついたのも束の間、部屋の惨状に気づき、血の気が引いた。


 窓は壊され、部屋は荒らされている。そして、帝国の未来そのものとも言える研究資料を収めていた木箱が、無残にもこじ開けられ、中身が空になっていた。


「……ない」


 アンナの震える声が、静寂に響く。


「リディア様の、あの苔の研究メモが……ない……!」


 全てを悟った二人の顔から、急速に色が失われていく。希望が、根こそぎ奪われた。その絶望的な事実に、二人はただ立ち尽くすことしかできなかった。


 その時、執務室の扉が静かに開かれ、鉄の仮面を被ったかのような女官長が、数名の衛兵を伴って姿を現した。


「……やはり、火事ではなかったか」


 彼女は部屋の惨状と、意識を失っていたアンナたちの様子から、瞬時に全てを看破していた。その瞳には、驚きではなく、冷たい怒りの炎が燃えていた。


「この部屋を完全に封鎖せよ。何人たりとも、私の許可なく立ち入ることは許さん」


 彼女の的確な指示に、衛兵たちが即座に動く。アンナとサラを医務室へ運ばせると、女官長は自ら、床に残されたわずかな痕跡を調べ始めた。その目は、もはや後宮の管理者ではなく、熟練の捜査官のそれだった。


 床に落ちていた、見慣れぬ布の切れ端。そして、窓枠に残された、微かな油の匂い。


「……ソラリスの者どもの仕業か。そして、この手引きをした者が、この後宮(しろ)の中にいる……」


 彼女の脳裏に、一つの顔が浮かんでいた。ここ数日、不審な動きを見せていた、忘れられた元妃。


 女官長は、すぐさま皇帝の執務室へと向かった。彼女が、これほどの怒りと焦りをその身にまとうのは、後宮に仕えて数十年、初めてのことだった。


 報告を聞いたアレクシスの反応は、静かだった。


 だが、その静けさは、嵐の前の静けさそのものだった。


 アンナとサラが襲われたこと。そして、私が命を懸けて見つけ出した希望の光が、敵の手に渡ったこと。その二つの事実が、彼の心に渦巻いていた嫉妬や迷いといった、ちっぽけな感情を、一瞬にして吹き飛ばした。


 残ったのは、己の愚かさへの深い後悔と、見えざる敵への、底なしの怒り。


(……私が、彼女を疑っている間に。私が、不器用な嫉妬に身を焦がしている間に、彼女の仲間たちが傷つけられ、彼女の努力が踏みにじられたというのか……!)


 彼は、自分の本当の気持ちを伝えられず、ただ君主としての冷たい命令を送ってしまった。あの時の自分の弱さが、この惨状を招いた一因なのではないか。その思いが、彼の胸を締め付けた。


「……リディアを、危険に晒すわけにはいかぬ」


 アレクシスは、ゆっくりと立ち上がった。その紫紺の瞳には、もはや迷いはなかった。君主としての、そして一人の男としての、揺るぎない決意の光が宿っていた。


「近衛騎士団長を呼べ。至急だ」


 彼は、側近にそう命じると、自らの手で一枚の羊皮紙にペンを走らせた。それは、命令書ではない。北の地で戦う、ただ一人の女性に宛てた、彼自身の言葉だった。


「――そして、女官長」


 ペンを置いたアレクシスは、静かに、しかし氷のように冷たい声で続けた。


「イザベラの離宮を、完全に包囲せよ。……一匹の鼠も、外へ出すな」


 帝都の夜の裏で、静かに進んでいた裏切りの円舞曲(ワルツ)は、今、皇帝自身の怒りという不協和音によって、その終わりを告げようとしていた。


 反撃の時は、来た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ