第五話:初収穫と絶品スープ
小さな双葉が顔を出してから、数週間が経った。
あれほど心もとなかった芽は、私たちの献身的な世話に応えるようにぐんぐんと育ち、後宮の片隅にあった荒れ地は、今や誰が見ても「畑」とわかる姿に変わっていた。
青々とした葉が風にそよぎ、ミントやカモミールの放つ爽やかな香りが、私たちの離宮の周りを心地よく満たしている。
その変化は、他の侍女たちの心にも小さな波紋を広げていた。
あの日、私たちの様子を遠巻きに見ていた侍女――アンナの同僚であるサラが、おずおずと畑に近づいてきたのだ。
「アンナ……すごいわね。本当に、畑になっているなんて」
「えへへ、すごいでしょ! こちらが薬草で、あちらがスープに入れる葉野菜なのよ」
アンナは胸を張って、誇らしげに説明している。その姿は、後宮に来たばかりの頃の不安げな彼女とはまるで別人だった。
そして、ついにその日がやってきた。
「よし、アンナ。今日は初収穫よ」
朝の点検を終えた私がそう宣言すると、アンナは「はいっ!」と満面の笑みで頷いた。
私たちは丁寧に、けれど胸を躍らせながら、瑞々しく育った葉野菜を摘み、香り高いハーブを刈り取っていく。籠いっぱいに収穫された、色鮮やかな緑の恵み。
「こんなにたくさん……」
「ええ、私たちの畑の、最初の恵みね」
二人で籠を覗き込み、その成果にしばし見惚れた。これは単なる野菜ではない。嘲笑に耐え、二人で汗を流して育んだ、希望そのものだった。
私たちは意気揚々と、収穫物が入った籠を抱えて厨房へと向かった。
しかし、現実はそう甘くない。厨房を仕切る恰幅の良い料理長は、私たちの姿を見るなり、眉間に深い皺を刻んだ。
「何だお前たち。ここは最下位妃がうろつく場所ではない。さっさと下がれ」
「お待ちください、料理長」
私は一歩も引かず、籠から一番香りの良いタイムの枝を取り出して、彼の鼻先へ差し出した。
「このハーブを使えば、いつものスープが格段に美味しくなります。一口、味見なさいませんか? 使うのは、そこの鍋一つと火だけで結構です」
私の挑戦的な言葉と、否定しようのないハーブの芳醇な香りに、料理長のプライドが刺激されたらしい。彼は「……フン。好きにしろ。だが、邪魔だけはするなよ」と吐き捨て、厨房の隅を使うことを許可してくれた。
場所を借りるや否や、私は手際よく調理を始めた。
いつも私たちに配給される、具の少ない野菜くずと水っぽいスープ。しかし、そこに新鮮な葉野菜と、刻んだばかりのハーブをたっぷりと加えると、魔法が起こった。
くつくつと煮立つ鍋から立ち上る、深く、そして優しい香り。それは、いつも厨房に立ち込めている焦げた匂いや、肉の脂の匂いとは全く違う、食欲をそそる豊かな香りだった。
「なんだ、この匂いは……」
他の料理人たちも、訝しげにこちらに視線を向けている。
やがて完成したスープを、私はまずアンナの椀に注いだ。
「さあ、熱いうちに」
「は、はい……!」
アンナは緊張した面持ちで、そっとスープを一口すする。
次の瞬間、彼女の瞳が驚きに見開かれ、みるみるうちに潤んでいった。
「おいしい……こんなに美味しいスープ、生まれて初めてです……!」
体の芯からじんわりと温まるような、滋味深い味わい。新鮮な野菜の甘みと、ハーブの爽やかな香りが口いっぱいに広がる。アンナは、言葉もなく、ただ夢中でスープを飲み干した。
そのただならぬ様子に、遠巻きに見ていたサラや、他の侍女たちも恐る恐る近づいてくる。私はにっこり笑って、彼女たちの分の椀にもスープを注いであげた。
一口、また一口と、スープを飲む侍女たちの間から、感嘆のため息が漏れる。
「信じられない……。これが、いつもの残り物のスープ……」
「体が、ぽかぽかする……」
皆がその優しい味に心を奪われている中、スープを味見した料理長が、腕を組んだまま唸るような声で言った。
「……このハーブ、まだあるのか」
それは、彼なりの最大の賛辞だった。
その日の午後。
スープの椀を片付け終えた私の元に、サラが数人の侍女と共にやってきた。彼女は意を決したように、まっすぐに私の目を見て言った。
「あの……妃様! わたくしたちにも、どうか、お手伝いさせてくださいませんか!」
彼女の後ろで、他の侍女たちも力強く頷いている。その瞳には、もう諦めや疲労の色はない。自分たちの手で、この日常を変えたいという、熱い希望の光が宿っていた。
私は彼女たち一人ひとりの顔を見渡し、そして、穏やかに微笑んだ。
「ええ、喜んで。仲間は、多い方がいいもの」
後宮の片隅で始まった私たちの小さな革命が、今、新しい仲間を迎えて、次の一歩を踏み出そうとしていた。




