第四十七話:孤立の闇
北の村での日々は、泥濘の中を進むような、終わりなき闘いだった。
アレクシスからの、あの氷のように冷たい書簡が届いてから、十日が過ぎた。帝都からは、それきり何の音沙汰もない。私の心には、見捨てられたかのような寂しさが、じわりと染みのように広がっていた。
畑の病害は、私たちの懸命な努力を嘲笑うかのように、その勢いを増していく。村人たちの表情から、日に日に光が失われていくのがわかった。最初は私を「英雄」と讃えてくれた彼らの視線が、今では疑いと、隠しきれない失望の色を帯びて、私に突き刺さる。
「本当に、この病は治るのだろうか……」
「帝都から来たお妃様でも、無理だったのかもしれん……」
そんな囁き声が、風に乗って私の耳に届くたび、胸にずしりと重い石が沈むようだった。
そんなある日、帝都の後宮から、アンナが私に宛てた私信が届いた。
震える手で封を開けると、そこには、必死に気丈さを装う、彼女の切実な言葉が綴られていた。
『リディア様、ご心配には及びません。後宮は、女官長様のご指導のもと、変わりなく運営されております。組合の活動も、順調でございます』
だが、その取り繕った言葉の行間に、彼女の本当の悲鳴が聞こえた。
『……ただ、最近、侍女たちの間に、妙な噂が広まっておりまして。リディア様がジュリアン王子に心変わりし、陛下をないがしろにしている、などという、馬鹿げたものでございます。もちろん、わたくしたち組合の者は、誰も信じておりません。ですが、一部の者たちが、イザベラ様の離宮に出入りしているようで……』
イザベラ。
その名を見た瞬間、全ての点が線で繋がった。
これは、ただの偶然ではない。北の畑への攻撃と、後宮での情報操作。二つの戦線で、私は同時に攻撃を受けているのだ。そして、その両方の戦いで、私は孤立し、追い詰められようとしていた。
仲間たちが、私を信じようと必死に戦ってくれている。しかし、その信頼すらも、見えない敵の毒によって蝕まれ始めている。
そして、私が最も信頼し、支えてほしいと願った人は、冷たい命令を一文よこしたきり、沈黙を守っている。
その夜、私は研究室を抜け出し、一人、月明かりの下で黒く枯れた小麦畑に足を踏み入れた。
国家の危機。仲間たちの不安。村人たちの失望。そして、アレクシスとの間に生まれた、埋めようのない心の溝。
その全てが、私一人の肩に、あまりにも重くのしかかっていた。
(……私は、間違っていたのかしら)
後宮の片隅で、ただ美味しいスープを仲間と分かち合っていた、あの穏やかな日々。分不相応な夢を見てしまった罰なのだろうか。
張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。私は、その場に崩れるように膝をついた。涙さえ、もう出なかった。深い、深い闇の中に、ただ一人取り残されたような、絶対的な孤独感だけが、私を包んでいた。
「……やはり、ここにいたか」
静かな声に顔を上げると、そこにフィンが立っていた。その手には、湯気の立つ薬草茶のカップが二つ。彼は何も言わず、私の隣に静かに腰を下ろし、その一つを私に手渡した。
「星が、綺麗だ」
彼が指さした北の夜空には、帝都では決して見ることのできない、満天の星が輝いていた。
「子供の頃、父に教わった。どんなに暗い夜でも、北を示す星だけは、決してその場所を動かない、と。……それさえ見失わなければ、道に迷うことはない」
彼は、私を慰めようとはしなかった。ただ、事実を、静かに語るだけだった。
だが、その言葉は、どんな慰めよりも強く、私の凍りついた心に染み渡った。
(そうよ……私は、まだ道を見失ってはいない)
私の「北極星」は、何だ?
それは、この国に生きる全ての人が、温かいものを食べて心から笑える未来。そのために、私はここまで来たのではないか。
フィンが差し出してくれた薬草茶の温もりが、少しずつ、私の指先から心へと伝わっていく。
彼は、私が立ち直るのを、ただ静かに、隣で待っていてくれた。
闇は、まだ深い。しかし、その闇の向こうに、確かに輝く一点の光を、私は再び見つめていた。




